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#ヒトリゴト
アイデンティティ・クライシス?
わたしには2回、自分が音を立てて崩れていった経験があります。
ひとつは小さい時。
お喋りだったわたしのお話を、よく聞いてくれていた親戚のひと。
幼いわたしは、話したいこと、想像の世界が、泉のようにこんこんと湧いてきて、とまらなくて、いっぱいいっぱい、誰彼かまわず構ってくれる人をつかまえては、お話していました。
あるとき、一番なついていた親戚から「黙れ」とひとこと言われました。
わたしは、
いま、わたし、すごくしにたい。
noteさんの使い方がまだよくわからないから、見ている人は多分全然いないと思うから、ここに書きます。
わたし、しにたい。
きえてしまいたい。
・・・これは、わたしの、こころの病気が叫ばせているコトバ。
多分わたしは、本当は、誰よりも、生きていたい。
誰かに必要とされたい。
人間いつかはしぬのだから、その時まで、できるだけ楽しくすごしたい。
後悔する人生はいやだ。
なのに。
あふれ
シアワセ、シラナイ。
卒業したい、というのが、今日までのテーマだそうだけれど。
わたしは、今のわたしは、今のわたしを、卒業したいのかもしれない。
眠っても、悪夢で、ぶるぶる震えて縮こまっている(らしい)わたし。
休まる、という気持ちがわからないわたし。
楽しむ、ことが、わからないわたし。
リラックス、って、どうすればいいの?
好きなことって、なんだっけ。
じっと時計をみつめて、時間が過ぎていくのを待ってい
こんなに○○してあげているのに
表題に挙げた言葉、よく聞きます。
「わたしがこんなに○○してあげているのに、あなたはちっとも~」
わたし、実は、昔は上記のような考えも、もっていました。
もとがお節介焼きなので、勝手に誰かの世話を焼いて、勝手に見返りを求めていたんです。
でも、自分がこころを病んで、大切な人もこころを病んで、介護したりされたりしているうちに、知りました。
見返りを求める必要なんて、なかったんです。
自分
ものさしは人それぞれ
わたしは、「思考傾向、価値観、美意識、常識、経験則」などをまとめて、「ものさし」と呼ぶことがあります。
そして「ものさし」は、人それぞれに違う、と、思います。それぞれ違っているけれど、それでいいと思うのです。
例えば、わたしが過去の経験から、「こうしてわたしは大鬱発作を脱することができた」という経験則をもっているとします。(一応持っていますが)
でも、その経験則は、わたしとは違う人生を歩んで
ひとはいびつな多面体
なのではないかな、と思っています。どこか出っ張っているところがあって、どこかへこんでいるところがあって、それが自然なカタチなのかな、って思います。
拾った石とかも、つるつるな面とごつごつな面があったりして、綺麗に整ったカタチをしているものは、本当に少ないように思います。
でも、何故か、ほかのひとの、つるつるで出っ張った綺麗な面が強調されて見えてしまって、自分については、ごつごつしたへこんだ面し