アイデンティティ・クライシス?
わたしには2回、自分が音を立てて崩れていった経験があります。
ひとつは小さい時。
お喋りだったわたしのお話を、よく聞いてくれていた親戚のひと。
幼いわたしは、話したいこと、想像の世界が、泉のようにこんこんと湧いてきて、とまらなくて、いっぱいいっぱい、誰彼かまわず構ってくれる人をつかまえては、お話していました。
あるとき、一番なついていた親戚から「黙れ」とひとこと言われました。
わたしは、信じていたものが、がらがらと音を立てて崩壊していくのを感じました。相手はわたしの話を聞いていたわけじゃない、わたしの話は邪魔だったのだと、現実を突きつけられました。
そして、わたしはぴたりと口を閉ざしました。
まだ、小学校低学年か、もっと下だったと思います。
親戚の集まりでも、挨拶以外は完全に、無言でした。話しかけられても応じませんでした。
無言でいるほど「おとなしく出来るじゃないか」と親に褒められました。
以来、わたしはコミュニケーションを放棄して、無言を貫いて、育ちました。
そんな、コミュ障なわたしですが、2回目に同じ体験をするのは、大人になってからでした。
相手は、当時一緒に創作をしていた、相方でした。
物静かな相方に、突然「もう創作の話は聞きたくない」と言われ、相方と一緒に共同制作していたつもりだったわたしの中で、また、何か大きなものが崩れました。
何を勘違いしていたんだろう。と、わたしは創作することを諦めました。
その時、すごく長い、長編小説を書いていたのですが、完成までは頑張りましたが、それを最後に、すっぱりと創作をやめてしまいました。
相方には後日謝罪されましたが、壊れてしまったわたしは、もとには戻れませんでした。
今のわたしの心の泉には、何もないです。水さえ湧かない、空っぽの泉です。
仕事としてなら、意地でも書きます。ネタだしもします。でも、1から設定を創作するのは、やめてしまいました。正確には、出来なくなってしまいました。
当時のわたしには、創作しか取り柄がなかったので、余計に自我崩壊が激しかったのだと思います。
今にいたっても、何も書けない、浮かばない、コミュ障のわたしがいます。
心の奥の枯れた泉を取り戻すことすら、諦めかけています。
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