じさつしたいんだ

エイプリルフールではなく、まじめに、そう言われました。

そう話してくれた大切な人も、こころを病んでいます。

わたしも病んでいるので、そういう気持ちになる心理はよくわかります。

未来や現在に希望を持てなくなると、わたしもそう思うことがあります。

なので、「そっかあ、しにたくなっちゃったかあ」と受け止めます。

そう思うってことは、それだけ「つらい」って悲鳴だと思うので、「どうしてそう思ったのかな?」って、責める感じに聞こえないように気をつけて、聞きます。

わたしは、専門家でも医師でもないので、「そうなんだね」と聞くことしかできないのです。

でも、じさつしたいきもちを、否定してはいけないのはわかっています。

「あなたがいなくなったら、わたしはとてもつらいなあ」とは、伝えます。伝わらなくてもいいんです。

あとは、一生懸命、お話を聞いて、一緒にどうしようか考えて、一緒に、つらいねって泣くくらいしかできないです。

そのひとのこころに、せいいっぱい寄り添うことしかできないです。「がんばって、がんばって、くたくたに疲れちゃったんだね、お疲れ様」って言葉しか出ないです。その言葉が相手に伝わらなくても、かまわないです。

「わたしに話してくれてありがとう」って心から思いますし、伝わらなくてもいいから伝えます。

そんな時って、誰でも自分のことでいっぱいいっぱいなので、わたしの言葉が伝わるとは思わないし、期待しないのです。でもいつか、気づいてもらえればいいと思っています。

じさつしたいきもちは、こころやからだの病とか、つらい環境とか、いろんな要因が起こしている気持ちだと思うので、話してもらえる範囲より深くには、踏み込まないようにしています。

自然にいろいろ話してくれるようになるのを待ちます。

話すって、偉大だなあ、と思います。きっと、誰にも相談できないひとは、思いつめて思いつめて、結果、命をたってしまうのかもしれないって思います。「いのちの電話」とかもありますけれど、電話の向こうのひとが、どれだけ親身になってくれるのか、使ったことがないので、わたしは知りません。

わたしは、いつか必ずお迎えは来るんだから、それまでは生き抜こうと思っています。でもそれは、あくまでもわたし個人の考えなので、人におしつけるものではないとも、思います。

生きていたら、しにたくなるときだってありますよね。あってもいいですよね。

そんなときに、大切な人たちが「今自分はとてもつらいよ」って気負わずに言える相手になりたいな、って、すごく思います。人間としてもっと修練しないといけないなって、思います。


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