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ド文系人間が、文学の意義について語ってみる

ロッシーです。


アンチ文系という言説


私はド文系人間なのですが、最近ネット上でアンチ文系的な言説が多くなっているように思います。

例えば「文学なんか学ぶ必要はない」「理系の知識が無い奴は使えない」「文系はダメ」みたいな内容です。

これらの言説について、私自身は全て反対というわけではありません。仕事などで理系の知識が求められる場面があることは承知していますし、理系の知識が欠如していることの弊害も理解できるからです。

ただ、単純に「文系」と一言で言いますが、文系といっても、大きくは人文学と社会科学というものがあり、そこからさらに細か~く分野が枝分かれしていることくらいは知っていてほしいな、と思いますけどね。

まあ、それはさておき、特に攻撃されやすいのは文学でしょうね。

「文学なんか所詮個人の感想でしょ?わざわざ大学で学ぶ意義なんかないよね。」

というような意見が代表的なものです。

まあ、これを反映してか、実際に就職活動の現場では理系のほうが採用に有利と聞きますから、この言説にも一定の根拠があるわけです。

しかし、就職に有利不利だからといって、それをイコール学ぶ意義があるない、につなげてしまうのは、いささか短兵急だと思います。

今回は、読書好きな私自身が考える文学の意義について、改めて書いておこうと思った次第です。

言葉にできないから文学がある

いきなりざっくりと言ってしまいますが、私は、文学というものは「明確な言葉にできない思いや考えを伝える営み」だと思っています。

例えば「カレーライスが食べたい」というような明確な思いであれば、それは文学にはならないでしょう。

でも、皆さん自身がそうだと思いますが、そんな明確に割り切れるような思いばかりで人生が構成されているわけではありませんよね。

「なんだろう、この思いは・・・」

というように、その思いを言語化しようとしても、うまく言葉にできない、もしくは、そもそもそれに対応した言葉が存在しないということはままあります。

そんなときどうすればよいのでしょうか。どうすればそれを他人に分かってもらえるのでしょうか。

ある人は、

「月曜日の朝に窓を開けて外を見たら、曇天の重苦しい空から雨がしとしとと降っているような気持ち」

という風に比喩を用いるのかもしれません。

また、ある人は、自分の言葉にできない思いに至った状況と類似する状況を架空の物語で設定し、かつ様々なキャラを配置し対話をさせ、ストーリー展開をさせることで、

「この気持ちは、こういう状況だと生まれる気持ちなんだよ、分かるかな?」

という風に、間接的に分かってもらおうとするのかもしれません。

つまり、文学というのはそういうものです。明確に客観的に述べることができるようであれば、文学が登場する必要はないのです。

文学は、科学や技術が提供する客観的な「事実」とは異なり、人間の主観的な経験や感情、社会の中での葛藤や苦悩といった、言葉で完全に説明するのが難しい領域に踏み込むものなのです。

例えば、あなたが友情や愛、親しい人の喪失の痛みを感じたとして、それを「悲しい」の一言で済ませられるでしょうか。悲しいという言葉であなたの感情の1%を表すことができたとしても、それ以外の99%のモヤモヤを的確に表してはくれないでしょう。

文学というものは、そういう風に物語という手段を通じて心の奥底に訴えることで、なんとか共有を図ろうとする営みなのだと思うのです。

普遍的な物語の力

もちろん、そうやって個人の思いを物語にしたとしても、「それってあなたの感想ですよね?」と言われてしまうかもしれませんよね。それはあなたというイチ個人の物語でしかないからです。

しかし、そうやって個人が創り出した物語の中には、多くの人間の共感を呼ぶものが存在することも事実です。いわゆる古典と呼ばれるものはまさにそれに当たります。

ちょっと話がそれますが、音楽でCコード、つまり「ド、ミ、ソ」の音をいっぺんに弾くと、「あ、なんか気持ちいい」と感じます。一方で、ミの音を半音下げてマイナーコードにすれば、「あ、なんか物悲しい気持ち」と感じます。

これは「それってあなたの感想ですよね」ではなく人類に普遍的なものです。Cコードを聞かせたら、「ウゲゲ~気持ち悪い、吐きそう!!」となる人はいません。

偉大な文学作品もとこれ同じだと思うのです。偉大な文学作品は、「多くの人達の心の奥底に、共通して響く物語」になのです。村上春樹風に言えば、「共通の基層」ともいうべきものであり、もはや「あなたの感想ですよね」的な個人のレベルを超えているわけです。

シェイクスピアやドストエフスキー、夏目漱石などの作品が時代や文化を超えて愛されるのは、そこに普遍的なテーマや感情が込められているからです。

そういう文学作品について学び、研究することは、全く意義がない行為なのでしょうか?
無くてもいいものなのでしょうか?

そのストーリーが普遍的な共感をもつに至った理由を考察したり、作品の構造を分析したり、その他様々な研究をすることは、人類というものを理解するうえで、非常に重要なことなのではないでしょうか。

例えば、スマホという技術は人類の生活にとって普遍性をもつ便利なガジェットですよね。それと同じように人類の「意識」にとって普遍性を持つ偉大な文学作品を研究することは有意義だとは思いませんか?

文学なんて無駄!とバッサリ切り捨てる前に、そのあたりについても考えてみてほしいなぁと思います。

STEM教育との比較

昨今では、科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、数学(Mathematics)の頭文字をとったSTEM教育の重要性が強調されています。もちろん、それ自体はとても良いことです。私たちの社会が発展してきたのは、これらの分野の発展によるところが大きいからです。

しかしだからといって、STEM教育のみを重視し、文学はもはや不要な存在と考えるのは適切なのでしょうか。

STEM教育に代表される領域から生み出される画期的なテクノロジーは、確かに生活を便利にします。その観点からすると、それらは「何ができるか」を示すものだといえるかもしれません。

一方、文学はどうでしょう。文学は「なぜそれをするのか」という問いを提示するものといってもよいのではないでしょうか。

例えば、スマホにより便利になった社会に起こる様々な社会的問題や個々人の悩み等を物語にすることで、スマホとは何なのか、その意味について提示することができるわけです。

このような活動は、スマホを生み出したテクノロジーそのものでは担えません。スマホはあくまでも道具でありテクノロジーでしかないからです。

どんなに社会が便利になったとしても、そのテクノロジーを使うのは人間です。人間にとって、それがどのような意味をもつのかを言語化していく物語、つまり文学が必要とされることには変わりはないのです。

そして、人間が合理性だけではなく感情や倫理によって動かされる存在であることは変わりません。そういうものを物語として描く以上、文学の意義は決して失われないように思います。

現代における文学の価値

さらに、AIやデジタル技術が急速に進化する現代において、人間らしさを探求し維持するために文学は一層重要になっているのではないでしょうか。

「物語だってAIが生成することができるのだから、文学にはもはや価値はない」

という意見もあるでしょう。

しかし、AIが創る物語にヒントを得て、人間が描く物語のレベルは今後さらに向上するかもしれません。将棋のプロ棋士がAIをパートナーとして棋力を向上させているのと同じように、さらに高次元の物語が生まれてくる可能性があるのではないでしょうか。

AIが創る物語と、人間が創る物語に違いがあるのだとしたら、それは人間というものを知るうえで格好の研究材料になるはずです。むしろ、AIの存在により、人間に関する知見がより増えるという風に考えることも可能なのではないでしょうか。

それに、AIが創ろうと人間が創ろうと、「多くの人に響く物語を創出すること」は、その物語を生み出す主体にかかわらず、文学が未来において果たし続けるべき価値に変わりはないと思うのです。

まとめ

文学の意義とは、言葉で伝えきれない思いや感情を共有し、多くの人の心に普遍的なテーマを響かせるものだと思うのです。STEM教育と文学を対立するものと捉えるのではなく、互いに補完し合う存在として捉えるべきだと私は思います。

文学をディスる発言をするなとはいいませんが、上記に書いたことも踏まえていただき、多少語調を柔らかくして主張していただきたいな、と思うところです(笑)。

色々と小難しいことを言いましたが、読書好き人間としては、「文学なんて意味ないじゃん!」という意見に対し、頼まれなくてもついつい弁護したくなってしまうものなのです。

以下は蛇足ですが、もしもあなたが文学好きの学生で、文学部に入りたいと思っているのなら、しっかり覚悟を決めて、文学という学問を追求したらいいと思います。

就職に不利でもいいじゃないですか。就職のために好きでもない理系分野を勉強するくらいなら、楽しんで自分の好きな学問を追求してほしいと思います。国や企業が理系人材を欲しているからって、あなたがそれに「ハイハイ」と追従する必要なんてないのです。
本気で学問をしたら、そこで得たものは会社でも役立つでしょう。特に、今のように答えがなく変化の激しい時代には、文学を学んだことはより生かしやすいと私は思います。

それに世の中なんてコロコロ変わるものです。そのうち文学に脚光があたることだってあるかもしれませんよ。周りに流されず、自分のやりたいことをやったらいいのではと思います。

この記事が、大学で文学部を選択する人の一助になれば幸いです・・・って当初の趣旨から大幅にずれてしまいましたね(笑)。

まあ、要するにあんまり文学や文系を馬鹿にしないでねってことを言いたいわけです。

以上、ド文系人間の独り言でした。

「文学と科学はパンと水のようなものである。」 by トルストイ


最後までお読みいただきありがとうございます。

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