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【書評】オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』を読む。幸福ってなんだろう。

ロッシーです。

オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』を読みました。

いわゆるディストピア小説としては、ジョージ・オーウェルの『1984年』が有名ですね。

『1984年』と比べるとまだまだ知名度は低いようですが、この『すばらしい新世界』も非常に面白い小説です。



ざっくりと小説の舞台を箇条書きで説明します。

●西暦2540年の話。西暦ではなく「フォード紀元」となっている。(※フォードは自動車会社フォード・モーターの創設者)

●人類は工場で生産されるようになっていて、母親や父親は存在しない(それらは恥ずかしい言葉とみなされる)。

●生産される人類は生まれるときから階級別に分けられる(アルファ、ベータという支配層と、ガンマ、デルタ、エプシロンという下層階級が存在する)。

●幼児期から睡眠教育で条件付けがされ、各階級であることに満足するようになっているため、安定した階級社会となっている。

●考えること、孤独になることを避けるよう条件付けがされている。神や宗教、文学は存在しない。

●フリーセックスの奨励がなされ、誰もが性的自由を謳歌できる。子供の頃からもそのような教育がなされる。

●ソーマという副作用のない麻薬の配給により、悩み、不満、心配事からは無縁。

●老いることはなく、若い肉体のままで死ぬ。死に対して否定的な感情を抱かず、当たり前のこととして受け入れるよう条件付けがされている。

●最優先されるべきは、科学の発展や真理の探究ではなく、社会の安定。


ざっくりですが、こんな感じです。そのような世界に、ジョンという価値観の異なる「野生児」が現れることで物語は進行していきます。


さて、何の悩みも苦しみもなく、「あんなことやこんなこと」をしたい放題なわけですから、普通に考えればユートピアそのものでしょう。

ではなぜ、『すばらしい新世界』がユートピアではなくディストピア小説と呼ばれるのでしょうか。

そこはぜひ読んでみていただければと思います。


ユートピアって何なんだろう?

と考え始めると、なかなか難しいものです。

悩みも苦しみもない社会が果たして本当にユートピアなのでしょうか。

「人類というものは、不幸や苦しみがないと現実だと思えない種なのだ」

と、映画『マトリックス』でエージェント・スミスがモーフィアスに語るシーンがあります。

『すばらしい新世界』においては、もはや人類に不幸や苦しみは存在しません。

しかし、それは逆説的に言えば

「不幸になる権利がない」ということにもなります。不幸になりたくてもなれませんし、そもそも自分を不幸だと思うこともありません。

「幸福追求権」とよく言いますが、「不幸追求権」とはいいません。

それは、誰だって不幸になんかなりたくない、ということを所与のものとしているからです。

しかし、本当にそうなのでしょうか。

幸福とは何なのでしょうか?

幸福が当たり前になってしまえば、不幸であることが幸福になるのでしょうか?

あなたにとっての幸福とは何なのでしょうか?

そして、人類にとっての幸福とは何なのでしょうか?

色々と考えさせられる一冊です。

ぜひ、ご一読ください。

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