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承認欲求からの奴隷解放宣言!
ロッシーです。
noteを始めてから早くも1週間以上が過ぎました。
ホントにnoteは使いやすく、よくできたサービスだなと思います。
自分の承認欲求を刺激する仕組みもよくできています。
それは、自分の記事に「スキされること」です。
スキされるのはうれしい。しかし・・・
自分の記事が「スキされる」ということは、自分が書いた何かが、読んだ人の何かに触れて、ハートのボタンをクリックするまでの行動に導いたことを示します。
だから、記事を書いた側としては、スキされるとめちゃくちゃうれしいんですよね。
ただ、これが困りものです。
その次に書いた記事のスキが少なかったりすると、
「あれ?何がいけなかったんだろう。」
と考えてしまったり、
スキが多かったりすると
「やった!たくさんスキしてくれた!」
と嬉しくなってしまうわけです。
単に書きたいように書けばいいのに
そんなことに一喜一憂せず、書きたいように書けばいいのは分かっているのですが、なんとしたことでしょう。
「スキされる」ことによって、私はビジネスマンのような思考をしてしまっているわけです。
「こういう記事を書いたらウケるんじゃないか」
「こういうトピックが流行っているからよく読まれるんじゃないか」
「スキが少なかった記事よりも、多かった記事に関係することを書こう」
と考えてしまうのです。
PDCAサイクルを回し、読者を消費者であるかのように、そのニーズを考えて「スキ」という売上を増やそうとしてしまっているのです。
スキにあおられる私の承認欲求。
あおられた承認欲求をガソリンにして、アクセル全開で記事を書く。
この「あおり運転」をなんとかしないといけません。
私は一体何を目指しているのでしょう
ビジネスマンなら、社会に貢献して利益を増やすことが目的です。
でも、私にとって「スキをたくさんもらうこと」は一体なんのためなのでしょうか?
「もっと多くの人から もっとたくさんのスキを」
それって本当に大事なことなのでしょうか?
スキがゼロの記事と、スキが10の記事、スキが100の記事の価値にどのくらいの違いがあるのでしょうか?
「私が記事を書く」⇒「記事に私が書かされる」
要するに、私は「もっとスキが欲しい」という承認欲求の奴隷になっていたわけです。
アドラー先生から『嫌われる勇気』でも読んで出直しなさい!
とお叱りをうけそうな状態ですね。
だから、ちょっといったん立ち止まって、なぜ自分がnoteに記事を書くのか冷静に考える必要があると思いました。
書くのが好きだから書く。真実はいつもシンプル
スキの数というのはあくまでも結果です。
それは私がコントロールできるものではありません。そのようなものに、振り回される必要はありません。
仕事ではいやおうなく承認欲求に振り回されているのにもかかわらず、プライベートで記事を書くことまで同じ状態にしたくはありません。
私は書くことそれ自体がスキなのです。
それでいいのだ、と改めて思いました。
記事を書く過程を楽しめているんだったら、結果としてのスキの数なんて
「おまけ」
でしかありません。
・文章が下手でも
・話題のトピックではなくても
・人に感動を与えられる内容でなくても
「書くことを楽しんでいる自分に、自分自身がスキできること」
それは、1000のスキよりも大事なスキなのだと思います。
とはいいつつも、承認欲求からの奴隷解放宣言は、宣言したからといってすぐにうまくいくわけではありません。
しかし、常にその意識をもってこれからもnoteを続けていこうと思います。
Thank you for reading !