うつ病の時 言われて嬉しかったこと
「あなたは、典型的なうつ病です。」
私は、比較的長いこと未受診のままうつの症状と闘っていました。
昨年、医師からそう告げられたときは安堵感と少しの焦りがありました。
――ずっと悩んでいたこれ(症状)は、性格の問題じゃ無かったんだ・・・
でも、これから私、どうしたら良いのかな。
私は友人が少なく、相談できる人は限られていました。
しかし、そんな不安と孤独感の中で心強い言葉を掛けてくれた人もたくさんいました。
今回は、彼らが私に掛けてくれた言葉の中で支えになった物を紹介します。
1.「そっか、うつ病なんだね。」
これのなにが嬉しいの!?と思う方もいるかも知れませんが、
私は自分のうつに関してずっと性格の問題だと感じていました。
同時に、「理解されるわけがない」とも感じていました。
多くの人は私のうつ病を告白すると、
「ええ、本当?」
「ただ単に今落ち込んでいるだけじゃない?」
と、そもそもうつ病を「病気」として認識してくれず、
自分の今の症状を説明するのにかなりの労力を使いました。
そんな時、「そっか、うつ病なんだね。」と病気をありのまま受け入れてくれるた友人がいました。
彼女は病気について深く聞いてくるでもなく、ただただ私の話を聞いてくれました。
言った本人にとっては何気なく口から出た言葉だったのかも知れませんが、
私はこう返されたとき、彼女になら相談しても良いかもしれないと思え、かなり心強くなったのを覚えています。
うつ病は、他の病気と何ら変わりない普通の病気です。
考え方を変えようと、元の性格がどんなに明るかろうと、罹ってしまえば重い空気を放つ暗い人間に変わってしまいます。
しかしそれは一時的な問題。
適切な休養と治療をすれば必ず治ります。
2.「治りますよ / 治そう」
この言葉も個人的にはかなり嬉しかったのを覚えています。
うつ病に罹ると、本人は自分の過去や未来について全くといって良いほど考えられなくなります。
今の自分の苦しさを処理することが全てになり、そしてこの状態がずっと続くような気持ちになってしまいます。
私はそんな自分が嫌で嫌で仕方が無く、暗くなりたくないのに暗くなってしまう自分の存在を申し訳なく思っていました。
つまり、自分は昔からこんな性格で、ずっと苦しいのを隠しきれず周囲に迷惑を掛けてしまう存在だ、とこのようなサイクルで自己嫌悪に陥ってしまったのでした。
そんな時、母が私に掛けてくれた言葉が「治そう」でした。
母は元々うつ病に対する理解があるとは言えませんでした。
鬱の症状を相談すると
「自分も若い頃はこうだった、でも大したことないでしょ。大げさだよ。」とよくアドバイスをくれました。
しかし当時の私は我慢が限界突破した状態。
――そんなのもう、とっくに試したよ。でもだめだったんだ・・
そしてまた「私が出来ないやつだから、アドバイス通りにしても治らないんだ。」と、うつ病患者特有の自責の念を繰り返しました。
そして診断が下ってしばらく経った頃 母が言いました。
「ROMI、治そう。うつ病。」
――そうか、病気のせいで一時的にこうなっているだけで、「治る」んだ。
前の私のように明るくなれるんだ。
母はうつ病のことを調べ、それが治る病気であること、誰でもかかる可能性のある物だと理解してくれたようでした。
「うん、治す、病気治すよ。」
涙ながらに返事をしたのを覚えています。
「治そう」という言葉には、
私の性格のせいではない、という意味と
必ず治るという未来への望みとしての意味が含まれているように私は感じました。
そして、「必ず治すんだ。」とボーッとした意識の中決意したのでした。
ー
今日は短いですが、私がうつの時に言われて嬉しかったことです。
具体的にはこの言葉以外にも
私を思っていってくれた言葉はすべて嬉しかったし、励みになりました。
よく「うつ病患者に『頑張れ』は禁句」と言いますが
私は私のことを思ってくれる言葉であれば基本的に励ましも応援も何でも嬉しかったので一概には言えないのだと思います。
ただ、嬉しくてもそれを伝えるだけのエネルギーが無かったり
自責の念が高じていてその時は素直に受け止められなかったり
うつ病は本当に厄介な病気だなと思います。
ただ1つ、寛解した今思うのは
身近にうつ病の人がいる場合、「どんな風に声を掛けよう。」とインターネットで調べている方、多いと思いますが
黙ってそばにいてくれるだけでも私は十分すぎるくらい助けられました。
うつ病患者のそばにいるというのは勿論簡単なことではありませんが
その人を思いやる心があれば「頑張れ」も「負けるな」も禁句ではないのだと、個人的な意見として挙げておきます。
うつ病が寛解した今、支えてくれた人への感謝をこめて、また人生を歩みなおそう、そう決めています。
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