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『会話』ができなくなって。伝えられない、伝わらない。もどかしさ、苦しみ。これから先、つむは・・・。

今日はびっくりするほど寒い。
寒くて寒くてたまらない☃❄️
ただそれだけで、生きる力、生命力が削られそうな、
とにかく寒い日❄️

多分、以前どこかの記事に書いたような。
つむは、ある時、突然声が出なくなった。
声がなくなった。
結論から言うと
「失声」『心因性失声』らしい。
いまでもまだ、なおらない。

つむは、ポンコツながらも医療職になるために
一応いろいろなことを学んでいたため、
ストレスが原因で声が出なくなる
「心因性失声」ということを知識としては知っていた。

物心ついた時から「生きることはつらいこと」。
たくさんの苦難にぶち当たり、精神的負荷に
押しつぶされそうな時期が幾度となくあった。

毎日嫌なことばっかりで、イヤ。
早く人生終わらないかな。しねたらいいのにな。

それはまだ幼少期。
幼心に、すでに「希死念慮の種」のようなものを持っていたように思う。

大人になり、うつ病、
ついには、しねたらいいのにな。を実行に移したこともあった。
もうむりだ。限界だ。と思うようなこと、どれだけあったかわからない。
そんなこんなの人生を生きてきた自分に
まさか、「失声」が起こるとは
夢にも思っていなかった。

けれど今、思い返すと
思い当たることがない、わけではない。
振り返れば、「声がなくなった」突然の、ある日。
「ある日」の頃。いつもに増して思い悩み、苦しんでいたと思う。

それが原因なのかな。
これまでの色々が積もり積もったのかな。
その程度のことしか自分でもわからない。

だけど。
これまでの人生、生まれた時から当たり前にあった「声」
この当たり前すぎるものが突然なんの予兆もなく、
なくなった時の驚きと不安はもちろんだ。

が、それ以上に
人と関わるために、何かにつけて、
「全てにおいて」と言えるほど、その影響は日常生活全てが変わってしまう程、甚大だった。

誰かに何かを伝えるために割く、時間と労力。
声で「会話」ができたらすぐ済むようなこと。
何十倍にも何百倍にも感じた。

やっとの思いで「文字」で伝える。

だけど、やっぱり「会話」のようにうまく伝えられない。伝わらない。
もどかしい。悲しい。悔しい。苦しい。

相手にも、時間を割いてもらっている。
加えて、「話す」と「文字」のやり取りに
相手も同じく、もどかしさや、色々な思いがあったと思う。

時には、「会話」ができないことを理由に、
差別的な表現や、
蚊帳の外にされ、もてあそばれた(と、つむは感じている)
悲しい悲しい忘れられない出来事も、あった。

そんなことを経験するうちに
相手の時間を必要以上に犠牲にしてしまっていることや
相手が抱くモヤモヤを感じては、申し訳なさでいっぱいになった。

そして、いつしか人に会うこと、人と関わること全てを
億劫に感じるようになってしまった。

加えて、何より。
自分が誰かと関われば、相手も面倒、迷惑になる。と、
人と関わることに、後ろめたさのようなものを感じるようになった。

自分という存在を否定したくて仕方がなかった。

「じぶんが人と関わることは、相手にとって迷惑」
自分も疲れる。

どんどん、どんどん。人と関わることをさけ、
とうとう(通院以外)完全引きこもり。

気づけば、1日中誰とも言葉を交わさない。(家に家族はいるけれど)
という、これ以上ない孤立した状態になっていた。

「ひとりぼっち」

そんな時期を過ごしていたら、人と関わらなければいけない時、
どんなことばをつかって、何から、…
と、そんなことで戸惑い、悩み。
「文字」でさえも、どう伝えたら良いかが
全くわからなくなっていた。

ネット、SNSなど、さまざまな連絡手段が増えた今。
だけど、やっぱり「電話」が当然の連絡手段として
電話番号のみ、記載されているところが多い。(主に問い合わせなど)
メール、ファックス、問い合わせフォーム…。
たまに、併記しているところもある。
連絡手段があるだけありがたい。
だけど。
緊急の用事、タイムラグがあっては話が噛み合わない、意味をなさないこと等
いろいろ、ある。

「失声」という、予測変換が多くの電子機器にないことが、正にそのことを証明するように、
世間では、一般的には、あまり知られていないこと、
みたい。

なかなか理解してもらえない、
時に、冷たい視線や悲しいことば。

“なんだかよくわからない”と、
恐る恐るじぶんを見ている、関わっている相手の様子。

会話でのやり取りができない、ということだけで
断られてしまうこともあった。

「当たり前」は、ない。
失った時、はじめてそのありがたさに気づく。

どうすることもできないハンデ。それは様々。
"障害"などと表現されることもある。
社会の仕組みや、様々な技術の進歩、世間一般に思われていることなど。
環境が変われば、何かが変われば、
その苦しみや負担も減るかもしれない。

「普通は」これで不便しないだろう。で作られている社会のいろいろ。
「社会的障壁」という言葉が頭に浮かんだ。
これはきっと、とてもとても難しい問題。

「話す」ことができない、いまのつむ。
いつなおるのか、どうしたらなおるのか、誰にもわからない。
つむはこれからどんなふうに生きていくのだろう。

果てして、生きていくことができるのか。

「コミュニケーション」ができなければ、
人間社会で生きていくことは難しい。

「コミュニケーション」の手段は
きっと、いろいろあるけれど。

じぶんが「普通は」の中に入れないときっと厳しい。
そう、感じている。

そんないま、つむは自分のこれから先の人生が、全く見えない。
自分には何ならできるのだろう。
の候補が、考えても考えても、わからない、つむ🧸

(超超超長文、超乱文。読みにくいにも程がある。ごめんなさい。
ここまでお読みくださった皆様、ありがとうございました。)






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