過去の出来事、「ことば」忘れられたら苦労しないんだ。昨晩のNEWS ZERO、大切なメッセージ。
昨年から度々、ポツポツと
時に堪えられない感情に任せて
書いてきたこと。
この詳細について、
いまの段階でこのような場所に私的に書くのは
よろしくないと思うから、
いまは控える。
だけど
自分には、
これまでの人生で、どんな出来事とも比較にならない
桁がいくつ違うのか、
いまだによくわからない、
信じがたい、信じられない、信じたくない
衝撃的な 出来事だった。
そのことによるさまざまな思い、感情、苦しみ
入り乱れ、波はありながらも
いまも苦しんでいる。
それは、日常生活にも大きな大きな影響を
及ぼしている。
よく。
考えすぎ、いつまで考えてるの
そんなこと気にするな、
そんなことに囚われて時間を無駄にしていることがバカだと思わないのか、
そんなこと早く忘れろ
取り合う相手じゃない、好きにさせておけばいい
などと、どうにも切り離せない過去に苦しむ自分を
責めるような、
攻撃するような、
呆れたような、
そんなことを言われる。
確かにそのとおりなのだとも思う。
自分は深く考えすぎ。
それはよくわかっている。
忘れられたらどんなにいいだろう、
と自分でも思っている。
好きでこんなことにいつまでも囚われているわけではない。
昨晩。
たまたま見ていたNEWS ZERO。
藤井キャスターが、
真剣な眼差しで画面の向こう側にいる人々に向かって
語っていたことば、その表情。
今でも鮮明に残っている。
「言葉で人は死にます」
「既読した人には悲しみが残る」
「後で謝ってもいのちは帰ってこない」
まるで自分の苦しみをも代弁しているかのようで
涙が溢れた。
じぶんもしにたいんだ。ってこころの中で独り言。
誰かに頼る。
誰に頼ったらいいか、
頼った時に、また何か傷つくことが起こるのではないか。
怒られたりするのではないか。
そんなことから、
いつしか、誰にも言えなくなり
ひとりで抱え込んできたこと。
現実には、
例えそのようなことが起ころうとも
「因果関係は認められない」などという、
傷つき苦しむ側、遺族からすると
まるで相手の行為を容認するかのようにさえ感じられる
言葉で、
最も簡単に判断が下される。
「言葉で人は死にます」
「思いやりが欠けている」
このことを、他人事ではなく
認識している人はいったいどのくらいいるのだろう。
直球な言葉に、正直少し驚きもしたけれど
藤井キャスターの
あの真剣な表情と眼差し。
みなに伝えたいという強い思いが、伝わってきた。
そして、色々な立場にいる、それぞれの人たちへの
優しさのこもった ことば。
傷つける側をただ一方的に責め立てるような、
そんなことも表現せずに。
この優しさ。色々な立場で苦しむ人たちへの
思いやりがこもった、ことば
多くの人に、たくさんの人に
届いてほしいと、
心の底から思った。