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「人に助けを求めるよりこっちの方がマシなだけ。」 そんな自分が最近思うこと。


昨日の投稿にいたるまで。振り返ってみて。

昨日の投稿で、これまで読んでくれていた人たち、
イイネやコメントをくださっていた人たち。
つむってこんな人だったのか、残念。って思われているのかな、とか。
今更ながら気にしている自分。
だから投稿するのに勇気が必要だった。
何度も投稿しようと思っては、やっぱりやめておこう。
そんなことを何度も何度も繰り返して、
でも理由は定かじゃないけど、そんな思いが積み重なりすぎてしまったのか、
多分、それほどまでに、限界だったのかもしれない。
別に楽しくて好きでやってるわけじゃないから。
苦しいし、良くないことはわかあってるけど、信じて頼れる人がいないから。他に方法がないから。
ただの言い訳みたい。だけど、本当なんだけど。

そんな昨日の投稿がこれ。

追加、というか、この記事に続いて、最近モヤモヤ、正直嫌だな。
と思うことがある。

「SOSを出そう!」  なにそれ。

若者の自殺が増加、G7ではだんとつ一位。
そんな統計、国としては見過ごすわけにはいかないのか、

自殺対策基本法や自殺総合対策大綱の一部改正に伴って、
児童・生徒の自殺予防対策を更に強化するために
『SOSを出そう』『SOSの出し方研修』とかいうことを
かかげ始めた。らしい。

これが広まり出した頃、自分はちょっとした違和感を覚えた。
子どもにこれを教えることは悪いことじゃない、と思う。
だけど、自分のこれまでの経験から、
その『SOS』ちゃんと受け取ってくれる人、大人がいるのかな。
なにを子どもたちに教えているのかな。って勝手に思って、もやもやしていた。

それと同時に、子どもに日頃から関わる人、主には「教師」たちに知ってほしいことだけど、
なぜ、
『大人の側から子どものSOSや変化に気付くことを強化しよう』
が先に出てこなかったのか。
なんで、子ども任せなのかな。って勝手に思って、正直腹が立ったりもした。
(詳細や実際の現場でどんなことが行われているか何もわからないのに、
個人的意見をごめんなさい。スルーしてください。)

だけど、自分の気持ちを大人に散々叩きのめされてきた自分としては
『なにこれ』としか思えなかった。

突然訪れた、再びの「教師」との関わり。そして、その実際は。

そして。実際。
最近、もう自分は児童でも生徒でもなく「大人」。
だけど、とある理由から過去に担任だった「教師」から
あることに協力してほしいと突然連絡を受け、長い年月を経て再び「教師」と関わる機会があった。
少し話を進めていくと、
「力になりたいから何でも言って。」と
教師はしつこく、半ば強引に話を聞き出した挙句、
『ダメ。バカなこと言わない』 と。
そして、誠に不要な定番のお説教と、正論を押し付け、
自分は正しいことを教えた。と、実に満足そうだった。

これが、『言わなきゃ良かった、もう言わない。』の決定打になった。

これは、本当にとある一例にすぎない。
だけど、こんな現状もいまだにどこかには、ある。
ということは事実。

それも、そのはず、とも思える。無理はない。
だって、育ち、生きた時代が違うから。
大人の中の大人、くらいの年代の人は、きっと
力づくで生きる。努力。弱音をはない。…
そんな教えの中で育ち、生きてきたんじゃないかな、って。
だから、仕方ないところもあるよな、なんて勝手に思った。

いま、自分が思うこと。

だから。
子どもたちには、不用意に「SOSを出す」「助けて」と大人を頼った結果、
自分のように傷ついてほしくないな、と思った。
なんなら、勇気を出してやっと言ったことを
ハンマーで叩き潰されるような気持ちになるから。

だからと言って、引きこもりで役立たずのいまの自分が何かできるわけじゃないし、
実際の現場を広く知るわけじゃないから、なにも言えないけど。

これ以上、こころを傷つけられ、「人は信頼できない」と思う子どもが増えてほしくない。

それだけ。引きこもりながら、勝手に強く思った。

※(なにも知らないポンコツが無責任な個人的意見を散りばめていて、お怒りの方もいらっしゃると思います。どうかご容赦ください。)

ごめんなさい。






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