どんどん諦めていこう、2022。
諦める。
あなたはこの言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろうか?
放棄、断念、ギブアップなどなど…割合として、マイナスなイメージが多いと思う。
しかし、漢和辞典で「諦」を調べると悪い意味はひとつもないらしい。
日本語の「明らか」と似た意味を含んでおり、物事の真実の姿やありさまを明らかにすることでやっと諦められるという意味なのだそうだ。
仏教語においては、真実、真理、悟りを意味する素晴らしい言葉だとも言われている。2022は、この「諦」がテーマだ。
まっすぐ目を見て、ゴッツンコ。
私は、相手の目をまっすぐに見て話すことが昔から苦手だ。知り合いを増やすこと、人と会話することは得意になった方かもしれない。でも、対面のコミュニケーションにおいて、相手の目を見ることだけはどうしても苦手なままだった。
それは、「自分と話している最中の相手の感情」をハッキリと知るのが怖いから。
相手の目を見れば、相手の気持ちがいくらか明らかになる。その時、自分と相手の気持ちが衝突してしまうかもしれない…怖い。その恐れは時に壁をつくり、相手と信頼関係を築く上で問題と化す。それだけじゃない。自分の心も、知らぬ間に苦しめてしまったのだと思う。
こんな風に、じめじめ怖がってきたけれど。
もう、一旦諦めてみれば?と思ったのだ。
去年の就活がまさにそうだったけれど、人の原動力である「価値観・感情」はとても無視できるものじゃない。
自分の感情だけじゃなく、相手の感情も。言葉のテクニックや計算で何とか変えようとしても、限界がある。どうしても、ゴッツンコすることは避けられないのだ。
だからこそ、相手の目を見て、まず悟ることから始めたい。
友情、恋愛、仕事上のお付き合い。誰かと信頼関係を築く上では、何に関しても同じだ。
目を逸らされて、嫌われたと思ったら…「嫌われた」事実が明らかに。
怪訝な顔をされて壁をつくられたり、気持ちの温度が揃わず気まずくなっても…「相手も自分も困ってる」事実が明らかに。そうなっただけ。
最初はとりあえず、ありのままの事実を「そっかそっか」と悟ってみる。そしてその一呼吸が、私にとっては「相手の目をまっすぐ見て話すこと」に当たるのだと思う。
「どうせ、大変なことばかりよ」と、ニヤニヤしちゃえ。
年末ぐらいから、私の鼻のてっぺんには赤いできものが居座っている。
「クリスマスはもう終わったよ~」と、トナカイみたいな私の鼻に、毎日話しかけているのだが…年が明けてもなかなか席を立とうとしない。
でも。2022の私は少し違う。鏡越しにそいつを見つめて、心でニヤリとした。
相手から向けられる目も、突きつけられる現実も、不安も、何もかも………
「傷つかない」を諦めて、自分の感情を糧に冒険していこう。
これが、2022の目標だ。