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ホーチミンで会った掃除係の男の子と、骨董品みたいなNOKIAの携帯

【あらすじ】単身ベトナムに入った私は、行先も特になく、日々繰り返される祭りのような熱に浮されながら、北上のタイミングを計っていた。

私はメインストリートにある安いドミトリーの2段ベッドを旅の拠点としていた。

ホーチミン市の中心部にほど近いそのゲストハウスは、綺麗で快適、とまでは言わないが、温水の出るまともなシャワー室が完備されていた。

部屋数も多いからか家族経営よりは多少立派な、辛うじて企業体を取った宿泊施設だった。

値段もそこそこ安く、朝食付きで2~300円と一帯の中でも比較的長期旅行者の懐にやさしい価格設定だ。

朝になって下に降りるとなじみになったフロントの青年がメニューを持ってくる。

表紙には露店でオバマ大統領が現地の人と食事を共にしている様子が印刷されていて、どうやらそれも店のウリにしているらしい。

本当にこの店や関係店に大統領が来たとも思えないが、そういうよくわからないアピールをするお国柄であることは確かだ。

「ベトナムパン/サラダ/たまご料理(ボイル・目玉焼き・スクランブルエッグ)/ベーコン・ソーセージ/ジュース(ミルク・オレンジ・ココナッツ)」

いつもと変わらないメニューから食べ方とジュースを選び青年に伝えると二階の厨房に伝えに走ってくれる。

起きた時間が遅かったからか、レセプションとカウンターバーとダイニングを兼ねた1階には私しか客はいない。

目の前の舗装されているとも定かでない道路には、2人乗りのバイクと毎朝の買い物に向かう男たち、まれに観光客と思しき欧米人・・・いずれも砂埃にまみれながら急ぎつつも、どこか大らかであるのは、いわゆる東南アジアの活気ある朝と呼ぶべきだろう。

しばらくして運ばれてきた硬めのパンに少々油が過ぎるベーコンとソーセージをはさみ、申し訳程度に野菜をトッピングしてその日最初の食事を楽しむ。

本来慣れない国で生野菜など食べてはならないと言われていたが、この雑多の地まで赴いて食あたりするのであれば望むところであるという気持ちになっていたし、

なんとなく、食あたりの神様からはまだ見放されていないような気がしていた。

朝食をとり終えてしまうと荷物の片づけにベッドルームへ戻った。

とりあえずホーチミン市でやることが無くなってきたため、宿を引き払い北部都市ダナンへ居を移すことにしていたのだ。

バックパックを広げて荷物を詰め込んでいると、ずっと挨拶だけしていたルームキープの男の子が物憂げにこちらを見ているのに気が付いた。


「もう出発するか?」

客と話して覚えたという英語で聞いてきた。

「そう、きょう出発するよ」

「どこ来た」「日本からさ」

「どこいく」

「ダナンに行ってホイアンに行ったら・・・そのあとは解らないよ」

私が正直に答えるとまた単語を並び替えて続ける。
「ぼくここから出たことがない」

「・・・」

「facebookを教えてくれないか」

それならお安い御用だ、とページを見せると、ポケットから骨董品のようなノキアを出して慣れない手つきで写真を撮った。


「facebookやってないのかい?」

聞くとスマホも、facebookすらやっていないという。いったい彼はどうしてそれを私と交換しようと言い出したのだろうか。

彼を見るとその写真を眺め、大事そうにポケットにしまった。


荷物をまとめ終え、レセプションで待っていた青年に一言かけてチェックアウトを頼み宿をでた。ルームキープの男の子は外回りを掃除していて、こちらに気付くと相変わらず内気そうに手を振った。

先ほどまで眺めていた砂埃まみれの雑踏には先ほどよりも交通量が増えていて信号もない交差点は車同士がごった返しその隙間を無数のバイクが縫うように走ってゆく。


手を振り返して思う。
彼がいつかスマホを買ったり旅行に行ったりする日が来るのだろうか。

人口比率も日本の高度経済成長期のそれと合致している。国民も真面目で教育体制もある。人口ボーナスの効果も手伝ってすぐに爆発的な拡大フェーズに入るだろう。


彼自身、ここで頑張っていれば何か得られる日が来るかもしれないという淡い期待を持って頑張っているに違いない。そしてその期待は現実になりつつある。

あるいはいつか貧困から抜け出せるという希望が、一番大切なものなのかもしれない。

いつか見覚えのないベトナムの青年から友達申請が来るのではないかと、期待してfacebookをそのままにしている。

facebookを久々に開くとこんなことを思い出す。

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りんご
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