私が食べることに目覚めたのは大学3年から4年にかけてだと思う 小さい頃から全然食べない 好きな食べ物は?って聞かれたらお菓子 給食の白米は一切手をつけない 夜ごはんも食べたことはほぼない 痩せてるよね〜!ほんと細いね! ことあるごとにそう言われた ごはんをたくさん食べたり体重が増えたりすると褒められる 意味がわからないこの状況だけどそれくらい食べない子だった そんな私は胸もなかった 中学時代胸がなくて男子にいじられた いつか見返してやる!って思ってたけどまさかほんとに
親友って何だろう? 私にとっての親友って誰だろう? そんなことを考えたときに真っ先に思い浮かぶのは事故をしてしまったときに一緒に車に乗っていたその友だち 私たちは小学校に入学してからの友だち 学校ばかりではなく習い事が一緒で中学では同じ部活に入った 高校は別々であまり会えなかったけどそれでも連絡して遊ぼうと言えばいつでも喜んでくれた 私は県外の大学に進学、彼女は地元の専門学校に それでもたまに連絡を取ったり遊んだり 私が彼女に迷惑をかけたのはこれが初めてではない 成人式
新入社員って世の中の人たちはどんな風に見てるのかな? どうせ仕事なんてできないしミスしてもしょうがない? 足手まといになるだけだから何もして欲しくない? 最初からその程度にしか思ってないのかもしれない 私はこの4月から社会人になった 先輩指導員は一個上の女の先輩 不幸なのか幸いなのかはわからないが兄の知人 職場にはもうひとり兄の知り合いがいた (兄については後々noteにする予定) 正直私の職場は人が少ない だから何でも教えてくれてやらせてくれる それが重荷でしかなかっ
事故を起こした後の私のお母さん そりゃもちろん怒られた どこの家庭でもきっとそう よく事故をして怒られなかった むしろ生きててよかったって言われた それだけの人もいるみたいだけどそんなのは親ではない 本人が悪くなくても少しは怒るべき だって大事な娘を失っていたかもしれないんだから その恐怖があれば必然的に涙が出て大声で何かを訴えたくはなるはず だから怒られることに嫌な気持ちはなかった ただそのまま関係ないことまで怒られたとき やっぱりうちの親はおかしいと思った 本当に怒
私のお母さんは変わらない 生まれてきたとき いや、生まれてくる前のお腹の中にいるときから私のお母さんはこの人って決まってた それは変えることのできない運命 そんなお母さんのことを私は嫌い どうしてこんな親の子どもに生まれたんだろう どうしてこんな家庭に生まれ育ったんだろう 苦しくて苦しくて毎日が憂鬱だった それはもう小さい頃から 近所の友だちと遊んでいても帰りが遅い、そんなことはするな 遊びに行こうとしただけでまた遊んで、勉強しなさい テストで100点以外のものを持ち帰
楽しみにしていたゴールデンウィーク 事故のことは少し気がかりだし不安だけどせっかくのお休みだし楽しもう! 大学時代あまり会えなかった地元の友だち、高校の友だち、遠距離になってしまった彼 たくさん会いに行きたい人がいてほんとに楽しみにしていた とりあえず事故もしてしまったし交通安全祈願しない?と小学校からの友だちを誘いちょっと遠出 それが間違いだった その友だちは年末に車をぶつけられて骨折、入院、リハビリ中 そんな友だちを乗せて初めての道を運転することに何故恐怖を抱かなか
2016年4月28日 人生で初めての交通事故 事故と言っても大きなものではない ただナビを見ていて前方で信号待ちをしていた車に軽くコツン。としてしまったもの 相手の方はとても優しい人で 『怪我してませんか?大丈夫?』 『この程度の傷なら気にしないんだけど…会社の車だからちょっと確認しますごめんなさい』 『寒いから車の中で待ってていいから』 事故をしたのは私なのに… とても申し訳なく思ったけど救われた そのときはそんな風に思っていました 相手の車の傷は正直大したことはない