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山の記

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山に関するエッセイとか、フィクションとか
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私はなぜ山へ行くのだろう?

私はなぜ山へ行くのだろう?

 なにか欲があるとすれば、私の感性を揺さぶりその震えを肉体にも伝えてくるものが欲しい。美術や音楽の鑑賞では、肉体的な揺れを感じることは稀だけれど、脳の中で起こっている波紋の広がりは確かだ。その波紋はいずれ、過去や未来を行き来しながら言語や形あるものへ作用する。

 山へ登るときは目的がないときもあるが、私が本質的に求めていることは、肉体的な揺さぶりだと思う。見たかった対象があろうがなかろうが、やり

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明るくない私は

明るくない私は

吹雪く山頂を一人で目指していた。踏み跡のない白い道を見たら、吹雪いていても我慢ができなかった。強風により雪のない箇所もあれば、吹きだまりでは股下まで埋まる箇所もある。サラサラの雪の下の岩につまづきながら、誰もいない道を笑いながら進んだ。

まつ毛に雪が付いているのが分かる。顔の周りの髪の毛は自分の呼気で凍り付いていて、自撮りでもしたら面白いんだろうけど、明るくない私は、一人では笑ってこの雪と遊びな

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いくつかの死骸

いくつかの死骸

その朝は違和感があった。忘れ物はないか部屋をふりかえり、家に鍵を閉めて車に乗りこむ。目的地へ向かう途中、いくつかある信号機がことごとく青だった。寄る予定だったコンビニを通り過ぎてしまったが、流れを止めたくなかった。コンビニでは食べ物を少し買う予定だったが、なくても支障はない。走り慣れた道は信号機のない自動車専用道路に入った。

薄く霧がかかる中をしばらく走っていたが、先行車も対向車も見当たらない。

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裸の原生林◆大船山(2018/3/14)

裸の原生林◆大船山(2018/3/14)



 男池に入り川のほうへ足を進ませると水鳥たちの羽ばたく音が響いた。ぼんやりしていたのでそれで目が覚めた。以前はこの時期の景色は味気ないと感じていたけれど、人間の裸だって美しいように幹と枝と落葉だけの原生林もとても美しいと思った。
 風が吹くと、枝に残ったままの枯れ葉がカサカサ音をたてる。キツツキのパーカッションやある鳥のソプラノ独唱、別の鳥のトランペットソロパート、指揮者のいない森の音楽は自由

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二月の山歩◆藤河内渓谷観音滝(2018/2/12)

二月の山歩◆藤河内渓谷観音滝(2018/2/12)

 冬の中でも二月が好きだ。それは山を始める前、梅の月だと知ったときからだと思う。寒い日々が常になり慣れてきた頃、ふと薫る庭先の色。暖かな日差しと、鳥の囀りが空から降りそそぐ午後。寒さが続くのも、あとほんの少し。里ではそんな気配がしている。

 山はどうかというと、まだ雪と氷の世界。といっても九州の山なので雪国とは訳がちがうけれど、三月の気まぐれの雪に比べれば儚さもなく、寒々しく凛々しい冬山の雰囲気

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をかし から あはれ

をかし から あはれ

山を歩きはじめたころ、山野草の可憐さにまず目がとまった。希少な花ならば遠くても見に行った。あの花この花と蜜を求める昆虫のごとく飛びまわったあとで、朽ちた花の美を発見した。それまで、写真の対象になることのなかった姿。つぼみの可愛らしさ、花開いたときの華やかさを経て、色を喪う終わりのとき。

それを美しいとおもうのは、私が中年になったからかもしれない。若い頃は、若いというだけで、随分マシだったんだわ、

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