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をかし から あはれ

山を歩きはじめたころ、山野草の可憐さにまず目がとまった。希少な花ならば遠くても見に行った。あの花この花と蜜を求める昆虫のごとく飛びまわったあとで、朽ちた花の美を発見した。それまで、写真の対象になることのなかった姿。つぼみの可愛らしさ、花開いたときの華やかさを経て、色を喪う終わりのとき。

それを美しいとおもうのは、私が中年になったからかもしれない。若い頃は、若いというだけで、随分マシだったんだわ、と衰えた肌を見ては落ち込む年頃。私は何も生産せずに朽ちるだけ。けれどこの花たちは、土にとけて、やがて森の一部に取り込まれ春にふたたび息吹くのね。

踏みつけられた花弁、虫に吸われた蜜、鳥に呑み込まれ遠くへ運ばれる種子たち。繰り返される命の営みは、永遠のように思われて、目眩がする。それはいつまで繰り返されるの?

花の終わりの姿に休息を与えたいと思うのは傲慢かもしれないが、私は構えかけたカメラをおろした。絵にならないからじゃない。わざわざ撮影しなくても心に焼きついたから。

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