rico / りこまるの森
絵画や建築、美術について集めた読み物
山に関するエッセイとか、フィクションとか
これで三回目となる。 二回目のときは、私がいちばん好きな「流」がなくてガッカリしたので、予め展示作品一覧を確認してから行くことにした。 どのみち時間はあったので、大分県からは車窓からの花見を楽しみつつ移動した。植えられた桜並木もいいのだけれど、田舎の山里の景観にぽつり、ぽつり、とある桜にこそ目が休まる心地だった。 九州に住んで良かったことの一つに、髙島野十郎という画家を知れたことと、彼の出身地である福岡県に多く作品があること、がある。三回目ともなれば、どれも見たことのある
そういえば、20代のころに書いていたブログはどうなったのだっけ。もうログイン情報も思い出せない。眠れない日はノートパソコンで何か打ちこんで、気が済んだら寝ていた気がする。あれはまだ、ひとり暮らしを始める前だ。 夜、東向きの小さな窓から月の光りが部屋に届く日は、灯りを消してカーテンを開け、ベッドにうつる濃い影を見ていた。北側にある私の部屋は、東の小さな窓がいちばん明るかった。満月の夜は、東の窓から月の姿が見えなくなっても、濃い影を映してくれた。 階下から聞こえる笑い声より、
花に染(そ)む心のいかで残りけむ 捨て果ててきと思ふ我身に 詠んだのは西行だったと思う。いくつもの歌を書き溜めたノートは、桜が咲くたびに開かれ、目で奏で、年輪を刻むように今年の想いを封じ込める。
焚き火をするとスモーキーな匂いが衣服にも移るんだけど、その匂いが一番強く付いた上着を洗うのに、洗剤を使わなかったのはわざとかな。焚き火の残り香に焚き火の残像。おーいって鳴く朝方のフクロウの残響。
大分県は山だらけ。となりの市は山の向こうというのは当たり前のようにあり、確かトンネルの数が日本一だったような。 それはともかく、山に灯りがつきだした。 大分県に越してきて驚いたのが、山桜が多いことだった。この季節、山のあちこちに白い提灯が灯るようになる。あちこちの里山が一面そのようになるが、山腹に浮かぶいくつもの山桜は、河川敷に並ぶソメイヨシノよりも近寄りがたい。どうにかして近くで見たいと訪れれば、遠くからの眺めならば風情があったのに、近づくと美しさの実体が霧のようにうっす
森が好きなのは、木がたくさんあって落ちつくから。とくに大きな幹の木は、安らぎを感じる。視界に収まりきらない存在感に圧倒されつつ、触れてみたい、と寄りかかりたい、と思わせられる。それは母なるものへの郷愁かもしれない。 ぱきぱき、かさかさ、折れた小枝や落ちた葉を踏みながら森を歩いていると、あらゆる小動物が逃げ出していく。森のものを略奪しにきた野蛮な存在と警戒されるのは悲しいが、侵入者には違いない。違う生物を愛玩用に鑑賞用に採取したり飼育したりするのは人間だけだ。違う種同士が相容
聞いた覚えのない曲がはじまっても、声を聞くだけで身体が目覚める。その声の主は宇多田ヒカルさんで、ああ、新しい歌が出たんだね、とそれまで覆い被さっていた布団からやっと抜け出せるような気持ちになる。 「Letters」あたりからその感覚は始まり今に至るまで、私は彼女の歌声を聞くと恋におちたときを思い出す。それは、この曲で彼女が言っていた言葉そのもの。 “とめられない喪失の予感” 私が恋に落ちたとき。それは、声から先に出会い声に惹かれて始めて顔を合わせたとき、それから何回目か
おばさんになったら、なるべく若者たちの流行語は使わないようにしよう、と思っていた。 でも若い頃から長い間使い過ぎて身についてしまった言葉はためらわず使用するだろう。例えば「キモい」。いつから使用しているか思い出せないけれど、私の場合は「ダサい」より「キモい」の使用頻度が高かった。間違いなくこれからもお世話になる言葉だ。 最近よく見かける言葉で似た語感の「エモい」があるが、これを初めて見たとき、 「なにそれ、キモ」 と思ったのが第一印象。 エモーショナルな、心が揺り動かされ
10年という分かりやすい区切りでもあるから、ここ数年よりも東日本大震災に関する話題がよく聞こえてくる。 私は何となく、映像を目にしないようにしている。 あの頃、津波の映像をよく目にした。 繰り返し、見るともなしに見せられているだけで気分が落ちていくのを感じてからは、ニュース番組を視聴しないようにした。 地震で崩れた映像なら他の大きな地震でもたくさん見せられたはずだけど、津波の映像はダメージがちがった。 海から進行してくる波が町を破壊していく、その現在進行形の映像が崩れ
仕事中、気がつくと空想に耽ってしまうことがある。夢のようなパラレルワールドのような未来の話のようなお話を編んで、ゲームを進行させるようにコマンドを打つ。いつもバッドエンドで誰もハッピーにはならない。この時の私の思考の中身が外に漏れてたら間違いなく職場の人たちから軽蔑を浴びるだろうけど、今のところは漏らしていないようだ。ほとんどパソコンにのみ向いて仕事をしているので涙ぐんでいても誰も気がつかない。ウィルス対策でパーティションもあるしマスク生活だし。 退屈なルーティンワークをし
静かな山を歩いているときは満たされるのに、他人の歓声や日常会話が聞こえると、瞬間移動したくなる。 山も人も、静かなほうが好きだ。
まず、送別。次にお祝い。日持ちしない。 摘みとられたもの。人工物。 生きているけれど、数日で枯れるもの。 根がない。次世代には繋がらない。 そのような、恋。 ぜったい退屈する。
花は散り、水鏡の中