結局お酒を飲み続けていたのは、しらふの時の「何者でも無い自分に自信が持てなかった」事が原因だったのかもしれない(連続投稿726日目)。
何をやるのに必要なのは「方法を見つけること」では無くて「それを本当にやるぞ」と言う「マインドセットの方だ」と言うのはもういろいろな所で耳にタコができそうなぐらい聞かされている気がする。しかし正直今年に入るまでその感じって全く腑に落ちていなかった。
しかし今自分がある程度断酒に成功して85日目を迎えて思うのは、結局「断酒の方法を知る」ことよりも「酔っ払ってヘベレケになる自分のキャラ」を捨てようと「心の底から決心した事」。これが本当に大きかった、と言うかその全てだったと言っても過言では無いのかもしれない。そして自分自身「どうしてもお酒が辞められない」状態にあったのは「お酒そのものに対する中毒」では無くて「お酒を飲んで酔っ払っている時のキャラの立った自分」と言うものにしがみついていただけだったような気がする。
確かに今までに「酔っ払ったお陰で仲良くなれた人」がいたりだとか「僕の酔っ払ってハチャメチャになったキャラを愛してくれる人」も確実に存在していた。しかしよく思い出してみると逆に「飲んでいない時のフツーの僕」が好きで「飲んでいる時のキャラの立った僕」が大嫌いと言う人も確実に複数人存在した。そしてその中で何と言っても自分自身が「お酒を飲んでいない時の、特に特徴の無い普通の人である自分」を愛せていなかったという理由が大きいような気がする。つまり僕はお酒の力を借りて、ややエクストローディナリーな「普通では無いキャラの立つ人」にならないと人から愛されないんじゃないのかと言う謎の恐怖心を持っていたのであろう。
まあ今の年齢になってようやく「人はどんな状態の自分も全て愛してあげる」事が幸せへの近道なのだと言うことが腑に落ちて分かってきた。そうすると周りの人に対しても「自分にとって嬉しいことをしてくれた時だけ愛する」という「条件付きの愛情」から「どんな感じの時もまあ変わらず、それなりに愛していますよ」と言う「熱量は低くとも常にその存在を肯定する感情」を抱けるようになって来ている気がする。
ただ僕はだからと言って「お酒を毎日飲んでいた日々」を後悔したりはしていない。あの日々があったからこそ、今こういう考えを持てているのだろうと思うので、そう思うと「お酒にも感謝しないとな」なんて思ったりもする。まあ今後も「一生飲まない」と決めているわけでは無いので飲むこともあるのだろうとは思う。ただ昔とは確実に違う付き合い方で「お酒」と付き合えるのだろうなあ、と今は思えているんである。
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