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私は怒りをもって王を与える(2)(第二説教集21章1部試訳2) #192

原題:An Homily against Disobedience and wilful Rebellion. (不服従と反乱を戒める説教)

※第1部の試訳は2回に分けてお届けしています。その2回目です。
※タイトルと小見出しは訳者によります。
※原文の音声はこちら(Alastair Roberts氏の朗読です):
(12分56秒付近から25分45秒付近まで)




反逆者は暗愚な君主よりも悪である

 反逆者とは暗愚な君主よりも悪辣であり、反乱とはそういった君主が行う悪しき統治よりも実に悪いものです。反逆者は重臣に相応しくなく、反乱は相応しい薬でもなく、君主の持つ小さな欠点を補ったり統治におけるごく小さな悪弊を治したりできるものではありません。むしろ怪しげな治療を行えば、国家という身体が持ちうる病や不健康がなおさら悪いものになります。君主の統治がどのようなものであれ明らかであるのは、同じ統治を行っていても多くの場合において、ある臣下からみて極めて信仰深い君主でも他の臣下からは邪で不信仰であるとされていて、刷新が望まれているものであるということです。君主をよく思っていないすべての臣下が背けば、どのような国であっても反乱を免れません。反逆者は賢明な人々からの助言を聞き、それを取り入れ、従順な臣下の実例に倣うべきです。あまりにも邪な執着によって思考が盲目になっているのであれば健全な思考を取り入れるべきです。悪は善を取り入れるべきであり、そうすることによって国土は長く従順で平和で穏やかであり続けます。

神は邪な民に暗愚な君主を遣わす

 しかし、もし君主が誰の目にも明らかに暗愚で邪悪であるとしたらどうでしょうか。これには逆の問いをしますが、臣下が邪悪であるから君主が暗愚で邪悪であるのではないでしょうか。臣下の邪さが神を怒らせたのであり、それによって受ける罪として暗愚で邪悪な君主が授けられているのです。その君主に対して反乱を起こすのは、すなわちそのような君主を罰として与えた神に対して反乱を起こすことになるのではないでしょうか。みなさんは聖書がこの点に触れているのを知っているでしょうか。聖書の中で神は人の罪のゆえに邪な者を王に据えられています(イザ19・4)。また、「私は怒りをもって、あなたに王を与えた。そして憤りをもって、それを取り上げる(ホセ13・11)」ともあり、人々が罪を犯せば善良な王を取り上げることもあるとされています。わたしたちの記憶においては、神はわたしたちのヨシュアであるエドワード王を若くして召されたのですが、これはわたしたちの罪のゆえでした。一方で聖書では、君主に知恵を授けるのは神であり、神はご自身が愛され、ご自身を愛する人々には賢明で善良な君主を与えてくださるとあります(箴16・3~4)。また、「もし主を畏れ、主に仕え、御声に聞き従い、主の命令に逆らうことなく、あなたがたも、あなたがたを治める王も、神である主に従うなら、それでよい(サム上12・14)」とサムエルの口を通して言われています。

君主への反乱は神への反乱である

 神が善良な君主のほかに邪悪な君主も置かれているのは、わたしたちが行っていることが理由となっているということがここでおわかりになると思います。善良な君主を戴き続けたいのなら、神と君主に服従し、神にそうしていただくように願わなければなりません。神が遣わされた邪悪な君主を廃し、善良な君主に立ってもらいたいのなら、わたしたちは神の怒りを招いてそのような君主を与えられていることの元となっている自身の邪さを捨て去らなければなりません。自身の悪を善に改めることによって、神がその君主を廃され、その君主に代わる善良な君主を授けられるようにしなければなりません。聖書のこの言葉を耳にしたことはあるでしょうか。「王の心は主の手の内にある水路。主は御旨のままにその方向を定める(箴21・1)。」つまり聖書の中で言われているのは、わたしたちが心のすべてをもって罪から神に向かえば、神は君主の心をわたしたちの平安や富に向けてくださるということです。臣下がその罪によって邪悪な君主を授かっていながらその君主に反乱を起こすことは二重あるいは三重の罪であり、神をさらに怒らせて災厄を招くことになります。そうです、善良な君主を授けられるに相応しくなるか、あるいはわたしたちに相応しい邪悪な君主を受け入れて服従するかということです。君主が善良であれ邪悪であれ聖書にある勧めに従って、君主のために、善良であるならばその善性がますます大きくなるように、そうでないならば悔悛があるように祈りましょう。

暴君に反乱をせずむしろ祈るべし

 さて、みなさんは聖書の中にあるこのとても大切な言葉を耳にしたことがあるでしょうか。聖パウロは「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人のために献げなさい。王たちやすべての位の高い人のためにも献げなさい。私たちが、常に敬虔と気品を保ち、穏やかで静かな生活を送るためです。これは、私たちの救い主である神の前に良いことであり、喜ばれることです(一テモ2・1~3)」などと述べています。これは聖パウロの勧めです。神の聖なる霊が聖パウロの筆を通してこの教えを授けたとき、キリスト教徒の大半にとっての君主は誰であったでしょうか。カリギュラやクラウディウスやネロであったでしょうが、彼らはキリスト教徒でなかったばかりでなく異教徒であり、愚鈍な統治者であり極めて残忍な暴君でありました。みなさんはユダヤの民がバビロンの王であるネブカドネツァルの虜囚となったとき、神がユダヤの民に向けられたみ言葉を耳にしたことあるでしょうか。彼はユダヤの王や貴族やその親や子や縁者を殺害し、そうです、エルサレムも含めての国中の街や聖なる寺院を焼き尽くし、人々を生きたまま捕え、バビロンへと連れ去りました。みなさんにはこの虜囚にあった神の民に対して預言者バルクが語ったことを聞いてもらいたいのです。この預言者はこう言っています。「バビロンの王ネブカドネツァルと、その子ベルシャツァルの命のために祈ってください。彼らの日々が、地の上で天の日々のようになるためです。主は私たちに力を授け、目に光を与えてくださり、私たちはバビロンの王ネブカドネツァルとその子ベルシャツァルの庇護の下で暮らし、長く彼らに仕えて、彼らの好意を得るでしょう。また、私たちのためにも、神なる主に祈ってください。神なる主に対して私たちは罪を犯し、主の怒りと、憤りは、今日に至るまで私たちから離れ去らないからです(バル1・11~13)。」

暴君が自身を改めるように祈るべし

 預言者バルクのこの言葉は彼の口から神の民に向けられたものであり、異教徒であり暴君であり、何千という人々を殺害して国を破壊した残忍な迫害者である王に関するものですが、民の罪を踏まえれば、その君主が上に立つのが相応しいとする言葉です。古い時代のキリスト教徒は、聖パウロの勧めのとおり、カリギュラやクラウディウスやネロのために祈るべきであったのではないでしょうか。ユダヤの民はネブカドネツァルのために祈るべきだったのではないでしょうか。これらの皇帝や王たちは神の民からは遠く、異教徒であって神を信仰せず、殺人者であり暴君で残忍な迫害者で、国や民や一族の破壊者であり、村や町や都市を焼き払いました。わたしたちは君主が本来あるべきように末永く栄え、神のみ心に適って王としてあることを願うべきではないでしょうか(申17・15)。聖書において大いなる祝福を持つとされているのは、わたしたちキリスト教徒から遠くない恵み深い君主であり、回教徒などの異教徒ではないのではないでしょうか。

自身に害を為す者のために祈るべし

キリスト教徒の臣下として、みなさんがここまで耳にしてきたような残忍な人物や暴君や、わたしたちの財産を奪う者や、わたしたちに血を流させる者や、わたしたちの町や都市や国を焼き払う者のために祈るべきではないでしょうか。わたしたちはわたしたちと国の庇護者であり極めて慈悲深く愛すべき君主の健やかさが、末永い平和と平穏と平安の中にあることを願うべきではないのでしょうか。君主の統治について、またその統治を通して注がれる神の大いなる絶えざるみ恵みと祝福について、神に絶えず感謝することをせずにいて、神や君主に対する不義理を犯すことがあってはなりません。わたしたちとわたしたちの国に恵み深い統治者が末永くあるようにと神に絶えず祈ることをせずにいて、神に対して、またわたしたち自身とわたしたちの国に対して、大きな罪を犯すことがあってもなりません。さもなければ、わたしたちはもはや、これまで神から与えられてきたみ恵みや祝福を受けるのに相応しい者ではなくなります。わたしたちやわたしたちの国は、君主の統治を通して与えられてきた神のみ恵みによってこれまで避けてきたあらゆる過ちや悲惨に落ちるのが似つかわしくなってしまいます。

反乱に訴えることは悪である

 そのような臣下についてわたしたちは何を言うべきでしょうか。わたしたちは彼らを臣下という名で呼ぶことができるのでしょうか。彼らは神に対して感謝することなく、恵み深い君主のために神に祈ることもありません。むしろ邪に鎧を身に着けて反逆者の徒党を組み、末永く続くべき国家の平和を破壊します。戦争ではなく反乱を起こして恵み深い君主を危険にさらし、本来であれば自身の命を投げうって守るべき国家の安全を脅かします。イングランド人でありながらイングランドにおいて強盗をはたらき、土地を荒れさせ、家を燃やして隣人や縁者をはじめ多くの人々を殺害し、あらゆる悪や過ちを行います。そうです、外敵が犯しうる以上のことをするのです。恵み深い君主に対して反乱を起こすこのような者たちについて、わたしたちは何を言うべきでしょうか。人々の邪さが理由で異教徒の暴君が上に立つようにと神がなされたら、誰が神のみ言葉によってその暴君に服従し、そのために祈ることになるのでしょうか。そのような暴君についてわたしたちは何を言うべきでしょうか。ここまで見てきているように、彼らの行いにみる冷酷さや残忍さや邪さや非道さはあらゆるものより酷く、言葉では言い尽くせないほどです。

反乱に訴えるのではなく祈るべし

わたしたちは極めて速やかに悔い改め、神の御稜威が求めるところに対して恐ろしい罪を犯したことへの心からの深い悲しみをもって、ただ祈るべきです。その罪は恵み深い君主や生まれ育った国に対してだけでなくすべてのキリスト教国に対しての邪な行いによって生まれます。また女や子どもを含めたすべての人に対しての、つまり妻や子や縁者への感謝の気持ちを持たないでいることによるこの世のあらゆる位階の人すべてに対してのあまりに邪な行いによっても生まれます。自身が犯した過ちに見合うように、その罪に対する悔い改めを、つまり心の悲しみを持つことを、私事からの悪意をもって立つすべての者に対して神は認めておられます。わたしたちに対して、また多くの臣下に対して神がご慈悲をもって認めておられることがあります。わたしたちは悪を為す者とはまったく似ておらず、ほとんどは善で純朴であり、愛すべき従順な臣下であるということです。言いかえれば、わたしたちのかなり多くが実際に服従を自身で示しているだけではなく、あらゆる場で自身の力と能力と知能の限り、あらゆる反逆者を、また神や恵み深い君主や生まれ育った国への反乱を封じ込めることができるということです。わたしたちが為しうるすべてのことをしないでいると、わたしたちは極めて邪であるということになり、つまるところ神が反逆者たちに向けられる大変な災厄を受けるのが極めて似つかわしいということになります。

まとめと結びの短い祈り

 全能なる神に心の底から絶えず祈りを向けましょう。神がみ恵みと力と強さをわたしたちの恵み深い女王エリザベスに与えられ、外なる敵のみならず内なる反逆者すべてを打ち破り、内にある反乱が鎮められ、外からの侵攻が退けられますように。わたしたちは恵み深い君主に対するあらゆる服従を末永く続け、平和と平穏の中で、あらゆる平安さをもって君主の威厳を敬うことができることを確信しています。また恵み深い女王エリザベスとわたしたち臣民がともに、王の中の王である神にすべての服従を向け、神の聖なる律法に従い、あらゆる美徳と善性をもってこの世での生を送り、来たるべき世において永遠の王国を受け継ぐことができると確信しています。神よ、救い主イエス・キリストをお遣わしになったとともに、恵み深い女王を遣わされたことに感謝します。キリストに、神と聖霊とともに、一にして不滅の神に、すべての栄えと誉れと感謝とが世々とこしえにありますように。アーメン。

この説教の第一部を終えました。みなさん、ともに祈りましょう。

一同に唱える祈り

 ああ、全能なる神よ、王の王でありすべての被造物の統治者にして、あらゆる勝利を授けてくださる唯一の方。強い者に対すべく弱い者に力を与えることのできるただ一人の方。あなたのみ名を呼び求めあなたを信頼する僕を従えるに数少なくても、無数の敵を打ち滅ぼされるただ一人の方。ああ神よ、あなたの僕でありあなたのもとにある女王エリザベスと、その統べるすべての民を守りたまえ。ああ神よ、あなたの永遠のみ言葉の真と、あなたが定められた君主と国家と、このイングランドの王冠と国土に仇なす者たちに対して残忍さを持ちたまえ。あなたは神聖なる摂理によって、あなたの僕でありわたしたちの君主である恵み深い女王をこの世に遣わされた。ああ慈悲深い父よ、あなたの真より上に己の身を置き、このイングランドの国土の平穏を乱し、その王冠を危うくしようとする頑なな者たちを、み心のままに柔和で穏やかな者とさせたまえ。あなたの子であり世のただ一人の救い主であるイエス・キリストを彼らに覚えさせ、わたしたちとともにあなたの慈悲に栄えを向けさせたまえ。願わくは彼らの無知な心に光を与え、あなたのみ言葉を覚えさせ、その蒙昧さをなくさせたまえ。ああ全能なる神よ、わたしたちのこのキリスト教が、あなたの聖なる福音を告白する人々とともに、あなたの助けと強さにより、あらゆる敵によって揺らぐことなくあるようにさせたまえ。キリスト教徒に血を流させることなく、暴君の抑圧を受けるすべての人々を救い、その残忍さを恐れる人々の心を休めさせたまえ。そしてすべてのキリスト教国が、特にこのイングランドの国土が、あなたの加護と庇護により福音の真の中にあり続け、全き平和と平穏と平安を享受するようにさせたまえ。あなたの慈悲を求め、わたしたちは心と声をひとつにし、感謝をもってあらゆる賞讃と讃美をあなたに献げる。わたしたちはひとつの神聖な調和と結合のなかに自分たちを置き、絶えることなくあなたの栄えあるみ名を讃える。救い主であるみ子イエス・キリストと聖霊とともに、一にして永遠で全能で極めて慈悲深い神よ、すべての賞讃と讃美がとこしえにあるように。アーメン。


今回は第二説教集第21章第1部「私は怒りをもって王を与える」の試訳2でした。これで第1部を終わります。次回は第2部の解説をお届けします。最後までお読みいただきありがとうございました。

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