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解説 手で造られたものは呪われる(前編)(第二説教集2章2部) #79

原題: An homily against Peril of Idolatry, and superfluous Decking of Churches. (教会をいたずらに飾り立てて偶像崇拝を行うことの危うさについての説教)


※第1部の解説は3回にわけてお届けします。
※第2章の全体像についてはこちら:

第二説教集第2章第2部の解説に入ります。今回から3回に分けてお届けします。第2部のテーマを聖句で言えばこうなるでしょう。

義がなされた木は祝福されるが、手で造られたものは、それ自体とそれを造った者とが呪われる。作者はそれを造ったからであり、その朽ちるものは神と呼ばれたからである。(知恵の書 14章7~8節)

第2部のポイントは次の10点です。今回は①と②についてになります。

①第1部の振り返りと第2部の目的
②古代教会の教父らによる偶像崇拝への戒め
③ローマ皇帝による偶像崇拝の禁止
④ローマ帝国の分裂と偶像崇拝の広がり
⑤東ローマ帝国における偶像の排斥
⑥ローマ教皇による偶像の正当化
⑦東ローマ帝国における偶像の正当化
⑧キリスト教界全体での偶像の正当化
⑨偶像の正当化によるキリスト教界の弱体化
⑩まとめと結びの短い祈り


冒頭で第1部が振り返られます。第1部が新旧両方の聖書から多く引用して偶像崇拝を戒めたことに触れ、聖書にある真理が人間の手によって弱められもしなければ強められることもない、つまり、神の御言葉はそれ自体で真であるということが説かれます。

キリストの永遠の真理が持つ確かさによってひとたび固められたものは、例えて言えば、闇を薄めて光を濃くしようとするとして、真昼の眩しい太陽が仄かな蝋燭のあかりを必要とはしないのと同じく、人間が作ったものによってその確かさが強められる必要などありません。

したがって偶像崇拝についても、聖書において禁じられているということをもって戒めとして十分ではあるのですが、「より理解を深めるため」として古代教会の教父たちによる偶像崇拝の戒めがたくさん挙げられていきます。テルトゥリアヌス、オリゲネス、アタナシウス、ラクタンティウス、キュリロス、ヒエロニムス、キプリアヌス、アンブロシウスと、偶像崇拝を戒める多くの説が紹介されます。まるでキリスト教史の講義を聴いているようです。エピファニオス、アウグスティヌス、エウセビオスについては、紙面を大きく割いて紹介されています。

エピファニオスによる偶像崇拝への戒めについては、エルサレムの大主教ヨハネ2世に宛てた書簡を軸にして紹介されます。

「わたしは祈ろうとしてある教会堂に入った。その教会堂の入り口には色を塗られた麻布が掲げられていて、その布にキリストとおそらくは誰か聖人が描かれていた。(略)これは聖書の教えに反するものだと思いってその布を引き裂いた。そして教会堂を管理している者に対して、死すべき人間が描かれた布など風に飛ばすか埋めてしまうべきだと話した。(略)願わくは、あの教会堂の者たちが、あの布を破ったわたしが送るこの布を受け取り、(略)色を塗るなどしていない布をキリストの教会に掲げるようであってほしい。あなたの監督の下にある者たちが実直さを捨ててキリストの教会堂に相応しくないことをし、自らに害をもたらす行いをするよりも、この布を大切にすることのほうが善となる。」

神に似せた像を造るということはおろか、キリストを描いたものでさえ、「偶像」とみなし、これを徹底的に排除するという姿勢がここにあります。古代教会での偶像排斥がどれほど純粋で苛烈であったかの一端を垣間見させるものとして紹介されています。

アウグスティヌスに関しては、その数ある著作のなかから、偶像崇拝を戒める言葉が引用されています。

「教会堂という神殿は殉教者や聖人たちのために建てられるべきものではない。神のためのみに建てられるものである。聖職者は殉教者や聖人たちのためにいるのではない。神のみのためにいるのである。」

「偶像は不幸せな魂を教化するのではなく、それを歪める力を持っている。(略)子供であっても、また獣でさえも、自分たちが目にしているのは神ではないと分かっている。」

「偶像が神殿に置かれ、誉れある荘厳なものであるとされてひとたび崇拝されると、そこから堕落した極めて誤ったものが生まれる。」

すべてキリスト教界最高の教父とされるアウグスティヌスの言葉として紹介されています(出典が明確でないのが痛いところです≒今後よく調べます)。このように16世紀の民衆に対し、古代教会がいかに偶像を忌み嫌い、純粋な信仰を持っていたのかが、さまざまの文書や書簡から引用して詳しく述べられています。古代教会がこのように偶像に対して否定的であったのになぜ偶像が広まるに至ったのかについては、エウセビオスによるものとして、大きく次の2点に集約されるとしています。

聖ヒエロニムスと同じくエウセビオスも、偶像がいわゆる異教徒からキリスト教徒のなかに入ってきて広まったのだということと、人々がキリストへの信仰を持つようになっても異教的な慣習を捨てきれずに残したままであったとしていることがわかります。

個人的に偶像を拝んでいた人々は確かな熱意ゆえにそうしていたのであり、邪な考えからではありませんでした。偶像はやがて個人宅から教会堂へといつの間にか入ってきて、はじめは迷信めいたものであったのが、キリスト教徒の間で偶像崇拝というかたちをとるようになったのです。

そもそも異教的な慣習がもとで偶像崇拝が起こった。そのなかで人々は純粋な信仰心から私的に偶像を持っていたのだが、やがてそれが教会堂に入ってきた。そういうことになります。これが社会や国家のレベルでどのように展開していくことになるのかがこのあと述べられていきます。


今回は第二説教集第2章「教会をいたずらに飾り立てて偶像崇拝を行うことの危うさについての説教」の第2部「手で造られたものは呪われる」の解説(前編)でした。次回の投稿はこの解説の中編になります。

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