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解説 命の向き直しをせよ(第二説教集20章3部) #188

原題:An Homily of Repentance, and of true Reconciliation unto God. (悔い改めと神との真の和解についての説教)

第3部の解説です。聖句でいうテーマはこれでしょう。

主に立ち帰るのを遅らせるな。一日一日と先延ばしするな。主の怒りは突如として現れ、復讐の時、お前は滅びる。(シラ書 第5章7節)

第1部のポイントは次の3点です。
①第2部の振り返り
②人を悔い改めに向かわせる5つのもの
③まとめと結びの短い祈り

この第3部は第1部と第2部の内容の上にたち、さらに深い戒め、さらに具体的な説諭、そして今一度の確認という色合いを濃く持っています。聖書からの引用も多く用いられます。第20章の締めくくりということでしょう。まず第2部の内容が振り返られます。第2部で述べられた悔い改めを成す4つのものについてまとめて述べられます。

一つは心から告白をして深く嘆くことでした。二つには自身が神のみ前で生きるに相応しくないことを踏まえつつ、口から揺るぎのない告白をすることでした。三つには救い主キリストに赦しを求める確たる信仰を持つことでした。そして四つには神のみ恵みによってそれまでの邪な生を棄てようという意図を持ち、新しい生において堂々と神に向かい、そのみ名を栄えとし、隣人の慰めのために、あらゆる義において純粋に愛をもって生きることでした。

悔い改めを成す4つのものを確認し、この第3部では人間を悔い改めに向かわせる、あるいはどの動機づけをする5つのものが挙げられます。一つ目はこれです。

第一に、聖書の多くの箇所で神は戒めを示され、わたしたちをご自身に立ち帰るようになされています。

これはこの章の第1部にあった「誰に立ち帰るのか」ということの繰り返しにも思えますが、ここであえてこれを述べているのは、そもそもの大切な前提に気づいてもらうためです。

ここで気をつけなければならないことがあります。わたしたちはすでに大きな罪や咎によって神の怒りを招いているのですから、こういった神の戒めを破れば二重に罪を犯すことになります。

罪人であることを自覚し、その上で神に反抗するという二重の罪を犯すことのないようにと戒められます。続いて二つ目です。

第二に、主なる神はご慈悲と善性から、極めて慰めとなる甘美な約束をご自身の戒めに結びつけておられます。(略)神の戒めを守りその甘美な約束に信頼を置くことによって、わたしたちは自身が犯した罪に囚われることなく、揺るぎなく神に立ち帰ることができると、わたしたちはここで十分なほどに教えを受けています。

このあと聖書の引用が多く用いられています。神の約束を信じ、揺ぎなく神に立ち帰ることを人々に説いています。続いて三つ目はこれです。

第三に、わたしたちが罪の淫らさの中で生きてそれを清められない限り、神はわたしたちをただ忌み嫌われるだけではなく、天のエルサレムに入るという希望も失うことになります。しかしこれまでの生を棄て、心のすべてをもって主なる神に立ち帰り、命の向き直しをするという意思をもって、み子イエス・キリストの血への信仰を通して神の慈悲を求めそれに与ろうとするならば、この限りではありません。

しかし人間はとても弱く、自らの罪を認めて命の向き直しをすることができないでいると戒められます。

むしろ救い主であり贖い主である神の独り子の貴い血によって清められ贖われることに頼るだけで、実はこの不浄な淫らさを心の底から忌み嫌ってはおらず、あらん限りの熱心さをもってそれを遠ざけようとはしていないのではないでしょうか。

キリストへの信仰も中途半端で、心からの行いや実体も伴っていないことに対して鋭い問いかけがなされます。続いて四つ目はこれです。

第四に、わたしたちの生が持つ不確かさと儚さは、一時間やそれに満たない時間などで捉えることなどできません。(略)死はまさに神にとって最も時宜に適ったときに否応なしにもたらされるのであり、わたしたちは神のみ心のままに神の裁きの座の前に引き出されます。

肉体の死は突然訪れる。誰もその時がいつであるかは知らない。肉体の死ののちに裁きにあうことを考えれば、悔い改めをすぐにでも行い、来世に備える必要があると説かれます。そして最後の五つ目はこれです。四つ目といわば表裏をなすものと見ることができます。

第五に、神の災厄と正しい裁きによる完全な破滅を頭上に受ける者は、決して神に立ち帰った者ではありません。

自らの心を頑ななままにする者が自身の悪行から立ち帰ることはなく、神がその激しい怒りをもって取り除こうとなされる邪さを自身の手から放すこともありません。これは地獄の業火という終わりなく耐えられない責苦のほかの何ものにも至るものではありません。

悔い改めをしない者は救われない。キリストへの信仰を持ち、命を向き直すことによって救われることがまとめとして説かれ、祈りをもって、第3部は、つまり第20章は終わります。


今回は第二説教集第20章第3部「命の向き直しをせよ」の解説でした。次回はこの試訳をお届けします。


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