解説 悔い改めよ、天の国は近づいた(第二説教集20章1部) #182
原題:An Homily of Repentance, and of true Reconciliation unto God. (悔い改めと神との真の和解についての説教)
第20章に入ります。この章は3部に分かれています。まずは第1部の解説です。第1部の聖句でいうテーマはこれでしょう。
私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます。(ヨハネの手紙一 第1章9節)
第1部のポイントは次の4点です。
①悔い改めの教義は極めて大きい
②何から、誰に対し、誰により、どのように
③悔い改めを益のないものとする誤謬
④まとめと結びの短い祈り~神に絶望しない
まず悔い改めの教義がどれほど大切で意義深いものであるかが述べられます。そもそも人間は罪を犯すものであるとはいえ、だからといってすなわち滅びに至るというのではなく、心から悔い改めることによって救いの道が開けるということが聖書の引用を交えて説かれます。
また、人間の悔い改めを受ける神についてはこのように説かれます。神は無辺の慈悲を持っており、人間が立ち帰ってくるのを受け入れると述べられます。
この上で、悔い改めて神に立ち帰るにあたって大切な4つの事柄が示されます。人間は「何から」「誰に対し」「誰によって」「どのようにして」立ち帰るのかということです。端的には「罪から」「神に対し」「み子によって」立ち帰るように説かれますが、「どのようにして」については力を入れて長く説かれます。この「どのようにして立ち帰るか」については二つに枝分かれします。それぞれの要諦となる聖書の言葉がこの二つです。
偽善を捨てるということ、そして心のすべてをもってするということ、このようにして神に立ち帰ることが求められます。悔い改めを表立った行為だけで行われるものとしているのが偽善者であり、そこに騙されないようにしなければいけないとも説かれます。
また、悔い改めについて、これが無意味なものであるとする誤謬にも触れられています。
確かに聖書のこれらの箇所を切り取って読めばそうも読めるのかもしれませんが、この誤謬についてはこのように断じられています。
口で敬うだけで心からではない、そういう偽善を行う者には悔い改めはないということになります。旧約のダビデや新約のペトロの例が引き合いに出され、真に神にある人には過ちを犯しても悔い改めによる救いがあることが説かれ、短い祈りをもって第1部は終わります。
今回は第二説教集第20章「悔い改めよ、天の国は近づいた」の解説でした。次はこの試訳となりますが、1回でお届けするには長いので、2回に分けてお届けします。
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