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『大きなシステムと小さなファンタジー』(著・影山知明さん)を読み終えたので、僕の第11章をつくってみました


https://festina-lente.stores.jp/items/673b351de6bd95089e764729

 一つ、提案があります。
 ぼくはこの本を十章まで書きました。その続きを、第十一章を、それぞれに書いてみてもらえないでしょうか。

この本 #大きなシステムと小さなファンタジー  の「あとがき」で著者の影山さんがこんな提案をされています。

この提案に乗ります。

本の感想も織り交ぜながら、僕にとっての #大きなシステムと小さなファンタジー  第十一章をつくってみます。

最初に、ちょっと縁起の悪そうな話から始めちゃいます。

第十一章、英語で言えば、Chapter Eleven ですね。Chapter Elevenって聞くとドキっとします。というのも、「倒産」がすぐに、反射的に思い起こされるからです。

Chapter Eleven 米連邦破産法11章

チャプターイレブン(Chapter11)ともいい、再建型の企業倒産処理を規定した米連邦破産法の第11条のこと。日本の民事再生法に類似し、旧経営陣が引き続き経営しながら負債の削減など企業再建を行うことができる。

経営陣は、申請から120日以内に再建計画を提出し、債権者の過半数かつ債権額の3分の2以上の債権者の同意を得て裁判所の認可を得ることが必要。

これに対し、連邦破産法で事業を終了し、会社清算の手続きを規定している条項は、第7条であることから、清算型の倒産処理はチャプターセブン(Chapter7)と言われる。

https://www.nomura.co.jp/terms/japan/he/A02775.html

この解説によると、Chapter11は企業再建、再生に向けた法的手続きです。上記で説明されている通り、清算型のChapter7とは違います。

一度ゼロに戻ってやり直す、仕切り直し、ということで、Chapter11は未来志向と言えるかもしれません(倒産はステークホルダー全体にとって、とてもしんどいことではありますが)。

ちょっと縁起が悪そうな話はここまでにしましょう。

ここからが、僕の「大きなシステムと小さなファンタジー」第十一章です。

この「大きなシステムと小さなファンタジー」は「ゆっくり、いそげ2」ともされています。初代?1?にあたるのがこの本です。

↑の商品紹介にもある通り、「ゆっくり、いそげ」は2015年3月に刊行されました。僕が出会ったのは2015年5月でした。Amazonの注文履歴を確認してみると、2015年5月22日に注文していたようです。

本と出会うきっかけは、m@さんのこの記事でした。

m@さんの記事のタイムスタンプは5月21日。この記事を読んですぐに注文したんですね。

この本について一番最初に僕がブログに書いたと思われるのがこの記事です。

この初代 #ゆっくりいそげ  に、とても強い衝撃を受けたことを今でもよく覚えています。

繰り返し書いていますが、なかでもこの箇所にシビれました。今でも繰り返し書き写し、引用してしまいます。もちろん何度も読み直しています。

あらゆる仕事の正体は「時間」であると思う。
それも機械が働いた時間ではなく、人が働いた時間(「働かされた時間」ではなく)。

「ゆっくり、いそげ」第7章 「時間」は敵か、それとも味方か 222ページ

そして、今回の「大きなシステムと小さなファンタジー」の第一章で、影山さんはこう問いかけられています。

時間とは、いのち。
それは、ほんとうの持ち主のもとにあると生きていられるけれど、そこからぬすまれ、切りはなされると死んでしまう。となると、一つの疑問が湧いてくる。はたしてぼくらは本当に自分の時間を、生きた時間を、日々生きることができているだろうか。

第一章 こどもたちのためのカフェ 29ページ

とても鋭い問いかけだと感じました。

時間がいのちであれば、仕事の正体も「いのち」ということになるのだろう。

そう考えた時に、僕自身の仕事は一体どんな形をしているのか、してきたのか、と考えさせられました。そこに僕の「いのち」の形があるのではないか、とも。


僕にとっての2015年

話を2015年に戻します。

実は、この本と出会った数ヶ月後に僕はメンタル面で不調に陥ってしまい、勤務先で当時担当していた仕事を続けるのがしんどい状況になってしまいました。自分の能力を求められているレベルまで引き上げられなかったのです。短い期間でしたが会社を休みました。会社に入って20年、そんなことは初めてでした。

休養と家族の支えもあって仕事に戻ることができましたが、翌年には、仕事の中身が大きく変わりました。

勤務先は同じですが部署を異動、仕事はほぼゼロからのスタートになりました。ですから、2015年の秋に僕自身に起きたことは、会社員としてのキャリアを仕切り直しするチャプターイレブンだったのかもしれません。

一方、僕の資産(金融資産)の中身を変更させていく方針転換を行ったのも、2015年のことだったように思えます。ただその時、その判断が大きな変更になるとは想像していませんでした。

2015年6月から毎月『スパークス・新・国際優良日本株ファンドという投資信託を買い始めました。それまでの僕なら、まず選ぼうとしない商品でした。

というのも、この商品は信託報酬(投資信託を運営している投資会社のサービスに対する対価)が割高に見えていたからです。

当時の僕は、この信託報酬が安ければ安い方がいい、そう強く信じ込んでいました。いまから思い返すと、投資会社の皆さんのサービスに対する信頼感が少なかったということです。

投資会社の皆さんが投資家のためにしてくださっている「仕事」に対する理解、納得が乏しいからこそ信頼感が生まれない。そもそも興味そのものが薄っぺらでした。

「大きなシステムと小さなファンタジー」の第十章からです。

また受け手に想像力がはたらくのは、受け手の側にそれに近い実体験があればこそで、「心をこめ、かけるべき時間や手間ひまをちゃんとかけて、いいものをつくる」経験がまったくない人の場合、受け取る仕事の向こうに存在する、つくり手のそうした仕事の苦労や実体を実感とともに想像することは難しくなるだろう。

第十章 もう一つの道 415ページ

「仕事の正体は人の働いた時間、いのち」という見方を持てていなかったから、サービスを提供してくれている人たち(投資会社)への意識、関心が乏しかったのです。投資会社で仕事をしてくれている人たちの営みへの関心が乏しい(無い?)からこそ「安ければ安いほどいい」と短絡的に考えていたわけです。

この投資信託に投資を始めたことで、じわじわとその見え方が変わってきたことがありました。その一つが、鎌倉投信さんの投資信託「結い 2101」です。この投資信託には2010年からお世話になっていました。2015年よりも前のことです。

でも、その本当の値打ちを、鎌倉投信のみなさんのお仕事を、僕はわかっていなかった、腹の底から理解できていなかったように思います。

2015年以降、「結い 2101 を買って保有することは、そういうことだったのか」とあらためて気づかされることが格段にふえました。そこに『スパークス・新・国際優良日本株ファンド』に投資を始めていたことの影響があったと思います。

何よりも僕が腹の底から理解できていなかったのは、株式投資の成果がどこからもたらされるか、その源泉でした。

株式投資の成果は、投資している会社の事業、そこで働いてくれている人たちの仕事からもたらされている、それを理解できていないからこそ「安ければ、安いほどありがたい」という思考になっていたのです。

当時の金融資産はほぼ全てが投資信託でしたが、その中身は株式で構成されています。しかし、その株式を発行している会社、その会社(はたらく人たち、事業の内容、何を実現しようとしているのか)への興味、関心が、極めて乏しい。

当時の僕の”あり方”は、「主体性」の無い株式保有だったのです。


2017年12月に、この本と出会い、ブログで紹介しました。

農林中金バリューインベストメンツさんの存在を「おおっ!」と認識したきっかけになった読書体験でした。

構造的に強靭な企業」という概念と出会い、深く深く頷かされたのもこの本です。

この出会いについて、一つ思うことがあります。

それは、2015年に『スパークス・新・国際優良日本株ファンド』への投資を始めていなかったら、農林中金バリューインベストメンツさんの投資に対する構え、哲学をその場で的確に理解することができなかっただろう、ということです。

2015年にスパークス・新・国際優良日本株ファンド』への投資を始めていなかったら、「構造的に強靭な企業」というコンセプトに深く頷けるだけの土壌、基礎が僕にはなかっただろう、正しく的確に認識することはできなかっただろう、と。仮に出会うことができていたとしても、刺さる、突き刺さることがなかっただろう。

こうして時間をかけて、僕の考えは、少しずつ、ちょっとずつ変わっていき、今に至っていると思います。

そんなことを考えると、2015年に『スパークス・新・国際優良日本株ファンド』への投資を始めたことが、僕の資産形成にとってもチャプターイレブンだった と思えるのです。

株式投資=金儲け という「大きなシステム」

株式投資ってどういう行為、営みか、を自分で考えてみると、「株式」に限定することなく”投資”をもっと広げて考えなきゃ、とか、そういう展開が自分の頭の中で自ずから生まれるようになりました。

「大きなシステムと小さなファンタジー」の第八章からです。

投資とは、前向きな意味で他人事でない事柄を世に増やす行為なのであり、世界に関心を持つきっかけになるものなのだ。

第八章 友愛の経済、友愛の金融 342ページ

この本で説かれている「投資」。証券取引所に上場する会社の株式、それを流通市場で買い付ける形であっても、こういう感覚は持てるはず、僕はそう感じています。要は、やり方、そして、そこに参加している人たちの意識、想い次第です。

これって「小さなファンタジー」ですよね。本のなかで、ファンタジーは”創造性ある想像力”とされています。

多くの人たちは株式投資=金儲けだと思い込んでいる、その状況は、一種の大きなシステムにも見えます。実際、株式投資という行為、株式投資家というあり方を、「胡散臭い」と捉えている人もまだまだ多いなあ、と感じることがあります。

そういえば、このイベントでも 株式投資=金儲け という大きなシステム の存在を感じました。

でもね、そうじゃないんだよ、って僕は認識しています。

株式投資で自分の共感する事業に参画する、学ぶ、経験する、感じる。それを可能にしてくれるのが株式投資だぞ、と。上場企業にも当てはまる、大きな会社だって起こりうる。これが広がったら、色々と変わってくるはず。

自分が共感できる、参画したいと思える事業と出会うには何が必要だろうか、最も大事なことは「主体性」ではないでしょうか。自分でじっくりと考えてみる。

主体性を持つことで、持ち続けることができれば、自分が参画している会社、事業への関心、興味が、少しずつでも高まっていくと思うのです。

こんな記事にも出会いました。

「考察の時代」、とのことです。

私が提示した「批評」と「考察」の違いを確認しよう。
考察には「正解」がある
批評には「正解」がない
そう、重要なのは解釈の「正解」の有無だ。
考察には、作者が提示する「正解」がある。『君たちはどう生きるか』を見て、解釈を提示すること。『変な家』を読んで、不可解な間取りの理由を知ること。『あなたの番です』を見て、真犯人は誰かを当てること。これらはすべて、作者側から提示された「正解」がある。

なるほどね、と頷きながら、不思議に思うことがありました。

「正解」というものがあるのかどうかわかりませんが、株式投資には「答え合わせ」がある、と思っています。その「答え合わせ」のタイミングは自分で「主体的に」決める必要があるのですが。

個別会社への株式投資には、「考察」の要素がたくさんあります。会社の数だけストーリーがあります。上場会社は約4000ありますから、それだけの数のストーリーに参画する機会がある、門戸が開かれています。

しかし、世間では数百、数千の会社の株式を一まとめにしたファンドに投資するのが大流行りです。

そのファンドに投資することは、どんな会社に投資するのか、その会社をいくらで買い付けるのか、それらを全て他の誰かに任せてしまいます。

数百、数千の会社、それぞれにストーリーがあるのですが、どんなストーリーに参加しているのか、よくわからないはずです(しっかりと理解、納得して投資している人もいるのでしょうけど<嫌味です笑)。

そんな投資には「考察」の余地は、ほとんど無いように思います。あるとすれば、その集合体に付けられた値段の推移を追いかけることくらいでしょう。

この手の商品が大流行しているのに、いったいどこが「考察の時代」なの?

と不思議に思いました。

でも気づきました、不思議なことは何もない、と。

世間の大きなシステムは 株式投資=金儲け で動いているんですよね、依然として。

ストーリーに参加する、考察する、株式投資にそんなイメージを持っている人が、そもそも少ない。圧倒的に少数派。

だから、「どんな会社に投資するのか、その会社をいくらで買い付けるのか、それらを全て他の誰かに任せてしまう投資」が大流行するわけです。

僕自身の「小さなファンタジー」

僕自身のチャプターイレブンを経て、「投資」とは、をこう認識しています。

魅力ある人たち、ストーリーに出会い、

そこに参加して「考察」する、

自分で決めたタイミングで「答え合わせ」を楽しむ。

「答え合わせ」で大きな喜びや達成感、充実感を味わう。

ストーリーに参加しているなかでお金では量れない資産も得られている。

これが(株式)投資なんだ!と認識する人が、もっとふえてもいいと思うのです、本当に「考察の時代」であるならば

こんな想像が、僕の「小さなファンタジー」です。

こんなファンタジーを小さくても、強めようとすると、この本で説かれている「とにかく歩いてみる」はとても大事なことですね。歩いてみるからこそ他人事ではない事柄が増えるのだろう、って思います。そして、その中から自分のなかに「種」を見つけることもできるようになるのでは、と。

ここでも大事になるのは「主体性」「主体的に」だと思います。

金融資産だけでなく自分の資産と感じられる範囲の中にどれだけ「主体性」を埋め込めるか、を大切に、大事に、していきたい。それを認識して見失わない。

その”あり方”が、僕自身の、僕なりの、僕だけの「小さなファンタジー」を強くするのだろう、って思います。

僕の第11章、2015年から始まったとするとそろそろ10年。第12章に向けての準備は整ってきたのかもしれない。いやもしかしたら、知らぬ間に第12章、第13章と進んでいるのかもしれない。まだまだ第11章は続くのかもしれない。

ともあれ、

「主体性」「主体的に」小さなファンタジーをもっと強くしていきます!

長文、最後までお読みくださってありがとうございました!



大きなシステムと小さなファンタジー のメモ(付箋)

僕が付箋を付けた箇所の一部、キーワードです。気になることばが見つかったら、本を手に取ってみてください。

ブリコラージュ

目的と目標 why

「何を持ちたいか」「何をしたいか」ではなく「どうありたいか」

自分の主体性に還って、自分の内なるものと照合させる → 「自分」一人称の言葉

人生に1回の、大きなYes

縁、場

おでん
一即多、多即一 おでん 一種類の種ではおでんにならない。多様な種の鮮度(いのち)が決定的に重要。多様な種がおでんに存在している意義(根拠)がある。

「支援する」の再定義 「受ける」 反応を示し、うなずく。そこから始まる

場が力を持つ5つの条件 
場とは・・・関係性の記憶なのかもしれない

誰も他の誰かをコントロールする権限はない。

フラットな組織はメンバーの数だけ成長点がある。中長期的に見れば、多面的かつ持続的な成長の可能性がある。

「支援してもらう力」・・・大事・・・誰も他の誰かをコントロールできないから

”幸せ” 充足と上昇 二項対立ではなく「どっちも」

壊しながら再構築 分解しながら合成 これが本質的ないのちの営み・・・ほどきつつ、結ぶ

ほどく・・・一が精一杯の創造的な想像力(ファンタジー)を発揮する
結ぶ・・・一人一人が全体である


お店は機構・機械<ニュートン>か、いのち・自然<ゲーテ>とみるか。

能 品質が安定、完成度を高めるのを意識的に排除しようとする面がある

システムは一つ一つの仕事から熱量を奪う

今の金融システムでは、心の底からの敬意、信頼、感謝が育たない。「テイク」利用し合う関係性

ファンタジーを起動させるための原初的な「問い」

弱いつながりの強さ・・・カフェ 人は人によって磨かれる。

存在の層で他者とつながる  身体性をもった関わりが重要

「共」人間だけじゃない。取り巻く自然や神様の存在。謙虚になれる慰められる、励まされる 

大きなシステムと小さなファンタジー

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