『大きなシステムと小さなファンタジー』(著・影山知明さん)を読み終えたので、僕の第11章をつくってみました
この本 #大きなシステムと小さなファンタジー の「あとがき」で著者の影山さんがこんな提案をされています。
この提案に乗ります。
本の感想も織り交ぜながら、僕にとっての #大きなシステムと小さなファンタジー 第十一章をつくってみます。
最初に、ちょっと縁起の悪そうな話から始めちゃいます。
第十一章、英語で言えば、Chapter Eleven ですね。Chapter Elevenって聞くとドキっとします。というのも、「倒産」がすぐに、反射的に思い起こされるからです。
Chapter Eleven 米連邦破産法11章
この解説によると、Chapter11は企業再建、再生に向けた法的手続きです。上記で説明されている通り、清算型のChapter7とは違います。
一度ゼロに戻ってやり直す、仕切り直し、ということで、Chapter11は未来志向と言えるかもしれません(倒産はステークホルダー全体にとって、とてもしんどいことではありますが)。
ちょっと縁起が悪そうな話はここまでにしましょう。
ここからが、僕の「大きなシステムと小さなファンタジー」第十一章です。
この「大きなシステムと小さなファンタジー」は「ゆっくり、いそげ2」ともされています。初代?1?にあたるのがこの本です。
↑の商品紹介にもある通り、「ゆっくり、いそげ」は2015年3月に刊行されました。僕が出会ったのは2015年5月でした。Amazonの注文履歴を確認してみると、2015年5月22日に注文していたようです。
本と出会うきっかけは、m@さんのこの記事でした。
m@さんの記事のタイムスタンプは5月21日。この記事を読んですぐに注文したんですね。
この本について一番最初に僕がブログに書いたと思われるのがこの記事です。
この初代 #ゆっくりいそげ に、とても強い衝撃を受けたことを今でもよく覚えています。
繰り返し書いていますが、なかでもこの箇所にシビれました。今でも繰り返し書き写し、引用してしまいます。もちろん何度も読み直しています。
そして、今回の「大きなシステムと小さなファンタジー」の第一章で、影山さんはこう問いかけられています。
とても鋭い問いかけだと感じました。
時間がいのちであれば、仕事の正体も「いのち」ということになるのだろう。
そう考えた時に、僕自身の仕事は一体どんな形をしているのか、してきたのか、と考えさせられました。そこに僕の「いのち」の形があるのではないか、とも。
僕にとっての2015年
話を2015年に戻します。
実は、この本と出会った数ヶ月後に僕はメンタル面で不調に陥ってしまい、勤務先で当時担当していた仕事を続けるのがしんどい状況になってしまいました。自分の能力を求められているレベルまで引き上げられなかったのです。短い期間でしたが会社を休みました。会社に入って20年、そんなことは初めてでした。
休養と家族の支えもあって仕事に戻ることができましたが、翌年には、仕事の中身が大きく変わりました。
勤務先は同じですが部署を異動、仕事はほぼゼロからのスタートになりました。ですから、2015年の秋に僕自身に起きたことは、会社員としてのキャリアを仕切り直しするチャプターイレブンだったのかもしれません。
一方、僕の資産(金融資産)の中身を変更させていく方針転換を行ったのも、2015年のことだったように思えます。ただその時、その判断が大きな変更になるとは想像していませんでした。
2015年6月から毎月『スパークス・新・国際優良日本株ファンド』という投資信託を買い始めました。それまでの僕なら、まず選ぼうとしない商品でした。
というのも、この商品は信託報酬(投資信託を運営している投資会社のサービスに対する対価)が割高に見えていたからです。
当時の僕は、この信託報酬が安ければ安い方がいい、そう強く信じ込んでいました。いまから思い返すと、投資会社の皆さんのサービスに対する信頼感が少なかったということです。
投資会社の皆さんが投資家のためにしてくださっている「仕事」に対する理解、納得が乏しいからこそ信頼感が生まれない。そもそも興味そのものが薄っぺらでした。
「大きなシステムと小さなファンタジー」の第十章からです。
「仕事の正体は人の働いた時間、いのち」という見方を持てていなかったから、サービスを提供してくれている人たち(投資会社)への意識、関心が乏しかったのです。投資会社で仕事をしてくれている人たちの営みへの関心が乏しい(無い?)からこそ「安ければ安いほどいい」と短絡的に考えていたわけです。
この投資信託に投資を始めたことで、じわじわとその見え方が変わってきたことがありました。その一つが、鎌倉投信さんの投資信託「結い 2101」です。この投資信託には2010年からお世話になっていました。2015年よりも前のことです。
でも、その本当の値打ちを、鎌倉投信のみなさんのお仕事を、僕はわかっていなかった、腹の底から理解できていなかったように思います。
2015年以降、「結い 2101 を買って保有することは、そういうことだったのか」とあらためて気づかされることが格段にふえました。そこに『スパークス・新・国際優良日本株ファンド』に投資を始めていたことの影響があったと思います。
何よりも僕が腹の底から理解できていなかったのは、株式投資の成果がどこからもたらされるか、その源泉でした。
株式投資の成果は、投資している会社の事業、そこで働いてくれている人たちの仕事からもたらされている、それを理解できていないからこそ「安ければ、安いほどありがたい」という思考になっていたのです。
当時の金融資産はほぼ全てが投資信託でしたが、その中身は株式で構成されています。しかし、その株式を発行している会社、その会社(はたらく人たち、事業の内容、何を実現しようとしているのか)への興味、関心が、極めて乏しい。
当時の僕の”あり方”は、「主体性」の無い株式保有だったのです。
2017年12月に、この本と出会い、ブログで紹介しました。
農林中金バリューインベストメンツさんの存在を「おおっ!」と認識したきっかけになった読書体験でした。
「構造的に強靭な企業」という概念と出会い、深く深く頷かされたのもこの本です。
この出会いについて、一つ思うことがあります。
それは、2015年に『スパークス・新・国際優良日本株ファンド』への投資を始めていなかったら、農林中金バリューインベストメンツさんの投資に対する構え、哲学をその場で的確に理解することができなかっただろう、ということです。
2015年にスパークス・新・国際優良日本株ファンド』への投資を始めていなかったら、「構造的に強靭な企業」というコンセプトに深く頷けるだけの土壌、基礎が僕にはなかっただろう、正しく的確に認識することはできなかっただろう、と。仮に出会うことができていたとしても、刺さる、突き刺さることがなかっただろう。
こうして時間をかけて、僕の考えは、少しずつ、ちょっとずつ変わっていき、今に至っていると思います。
そんなことを考えると、2015年に『スパークス・新・国際優良日本株ファンド』への投資を始めたことが、僕の資産形成にとってもチャプターイレブンだった と思えるのです。
株式投資=金儲け という「大きなシステム」
株式投資ってどういう行為、営みか、を自分で考えてみると、「株式」に限定することなく”投資”をもっと広げて考えなきゃ、とか、そういう展開が自分の頭の中で自ずから生まれるようになりました。
「大きなシステムと小さなファンタジー」の第八章からです。
この本で説かれている「投資」。証券取引所に上場する会社の株式、それを流通市場で買い付ける形であっても、こういう感覚は持てるはず、僕はそう感じています。要は、やり方、そして、そこに参加している人たちの意識、想い次第です。
これって「小さなファンタジー」ですよね。本のなかで、ファンタジーは”創造性ある想像力”とされています。
多くの人たちは株式投資=金儲けだと思い込んでいる、その状況は、一種の大きなシステムにも見えます。実際、株式投資という行為、株式投資家というあり方を、「胡散臭い」と捉えている人もまだまだ多いなあ、と感じることがあります。
そういえば、このイベントでも 株式投資=金儲け という大きなシステム の存在を感じました。
でもね、そうじゃないんだよ、って僕は認識しています。
株式投資で自分の共感する事業に参画する、学ぶ、経験する、感じる。それを可能にしてくれるのが株式投資だぞ、と。上場企業にも当てはまる、大きな会社だって起こりうる。これが広がったら、色々と変わってくるはず。
自分が共感できる、参画したいと思える事業と出会うには何が必要だろうか、最も大事なことは「主体性」ではないでしょうか。自分でじっくりと考えてみる。
主体性を持つことで、持ち続けることができれば、自分が参画している会社、事業への関心、興味が、少しずつでも高まっていくと思うのです。
こんな記事にも出会いました。
「考察の時代」、とのことです。
なるほどね、と頷きながら、不思議に思うことがありました。
「正解」というものがあるのかどうかわかりませんが、株式投資には「答え合わせ」がある、と思っています。その「答え合わせ」のタイミングは自分で「主体的に」決める必要があるのですが。
個別会社への株式投資には、「考察」の要素がたくさんあります。会社の数だけストーリーがあります。上場会社は約4000ありますから、それだけの数のストーリーに参画する機会がある、門戸が開かれています。
しかし、世間では数百、数千の会社の株式を一まとめにしたファンドに投資するのが大流行りです。
そのファンドに投資することは、どんな会社に投資するのか、その会社をいくらで買い付けるのか、それらを全て他の誰かに任せてしまいます。
数百、数千の会社、それぞれにストーリーがあるのですが、どんなストーリーに参加しているのか、よくわからないはずです(しっかりと理解、納得して投資している人もいるのでしょうけど<嫌味です笑)。
そんな投資には「考察」の余地は、ほとんど無いように思います。あるとすれば、その集合体に付けられた値段の推移を追いかけることくらいでしょう。
この手の商品が大流行しているのに、いったいどこが「考察の時代」なの?
と不思議に思いました。
でも気づきました、不思議なことは何もない、と。
世間の大きなシステムは 株式投資=金儲け で動いているんですよね、依然として。
ストーリーに参加する、考察する、株式投資にそんなイメージを持っている人が、そもそも少ない。圧倒的に少数派。
だから、「どんな会社に投資するのか、その会社をいくらで買い付けるのか、それらを全て他の誰かに任せてしまう投資」が大流行するわけです。
僕自身の「小さなファンタジー」
僕自身のチャプターイレブンを経て、「投資」とは、をこう認識しています。
魅力ある人たち、ストーリーに出会い、
そこに参加して「考察」する、
自分で決めたタイミングで「答え合わせ」を楽しむ。
「答え合わせ」で大きな喜びや達成感、充実感を味わう。
ストーリーに参加しているなかでお金では量れない資産も得られている。
これが(株式)投資なんだ!と認識する人が、もっとふえてもいいと思うのです、本当に「考察の時代」であるならば。
こんな想像が、僕の「小さなファンタジー」です。
こんなファンタジーを小さくても、強めようとすると、この本で説かれている「とにかく歩いてみる」はとても大事なことですね。歩いてみるからこそ他人事ではない事柄が増えるのだろう、って思います。そして、その中から自分のなかに「種」を見つけることもできるようになるのでは、と。
ここでも大事になるのは「主体性」「主体的に」だと思います。
金融資産だけでなく自分の資産と感じられる範囲の中にどれだけ「主体性」を埋め込めるか、を大切に、大事に、していきたい。それを認識して見失わない。
その”あり方”が、僕自身の、僕なりの、僕だけの「小さなファンタジー」を強くするのだろう、って思います。
僕の第11章、2015年から始まったとするとそろそろ10年。第12章に向けての準備は整ってきたのかもしれない。いやもしかしたら、知らぬ間に第12章、第13章と進んでいるのかもしれない。まだまだ第11章は続くのかもしれない。
ともあれ、
「主体性」「主体的に」小さなファンタジーをもっと強くしていきます!
長文、最後までお読みくださってありがとうございました!
大きなシステムと小さなファンタジー のメモ(付箋)
僕が付箋を付けた箇所の一部、キーワードです。気になることばが見つかったら、本を手に取ってみてください。
蔵前と神保町の Reading As Investing で本を手に取ってみてください
僕の一棚書店、Reading As Investing でも「大きなシステムと小さなファンタジー」を取り扱っています。
蔵前
神保町
ご来店、お待ちしています!
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