書物の夢 夢の書物
文字からなる文章を読むという作業は、文字の形の具象的な側面(個人差のある筆跡)を取捨して、文字の形の抽象的な面(複製であること)を読み取っていると言えるでしょう。
取捨選択がおこなわれているという意味です。具象(具体・個性)を切り捨て、「同じである」という抽象性を選んでいるのです。
言葉は 魔法
言葉は 魔法
言葉は 魔法
言葉は 魔法
言葉は 魔法
言葉は 魔法
言葉は 魔法
言葉は 魔法
言葉は 魔法
言葉は 魔法
言葉は 魔法
言葉は 魔法
言葉は魔法
言
葉
は
魔
法
言
葉
は
魔
法
言葉は魔法
葉 魔
言 は 法
葉 魔
note はテキスト中心というか記事を載せる画面がシンプルなので、あまり遊べませんが、器用な人は素人が思いつかないような斬新なデザインの記事を投稿していらっしゃいます。いわゆるタイポグラフィを応用して楽しませてくれているわけです。
タイポグラフィでは言葉の意味だけではなく、文字・活字としての形が生かされ、生きるわけです。生き物のように。あるいはバレエのように。身体のように。
言葉は形。
言葉は素材。
言葉は材料。
言葉はオブジェ。
言葉は動き。
言葉は生き物。
文字は生き物。
言葉はダンス。
文字はダンス。
言葉はバレエ。
文字はバレエ。
言葉は身体。
文字は身体。
*
私の学生時代には、杉浦康平さんの装幀やデザインが本屋さんに満ちあふれていました(どれも高価でした)。圧巻は、雑誌「エピステーメー」のデザインです。ぜひ、以下のウェブサイトをご覧ください。
難しい論考が満載の雑誌でした。私は買い集めて次第に模様が明らかになっていく背表紙を眺めていただけです。それだけで十分に幸せでした。
せっかく集めた雑誌もいまはありませんが、それはそれでいいです。こうやって、ネット上でまた会えた喜びを噛みしめたいと思います。文字通り有り難いことです。
本が売れないと言われるようになって久しいですが、出版界は依然として大不況下にあり、斬新かつ贅沢な本作りは許されない時代になっているようです。上で述べたような雑誌や本は新刊では見当たりません。寂しい限りです。
note で以下の記事を見つけました。白江幸司さんがお作りなったこの記事に引用されている、雑誌「エピステーメー」に収録されていた論文やエッセイのタイトルを見るだけで、いまもわくわくします。
*
雑誌「エピステーメー」のデザインを手掛けた杉浦康平さんのお仕事は多岐にわたりますが、ブックデザインでの趣向には度肝を抜かれる作品があります。
以下の動画のシリーズは他にもあるので、ご興味のある方はあとで検索し、ごゆっくりお楽しみください。見ていて飽きません。特殊な撮影はしてあるようですが、どれもCGではないとのことです。
*
この本も持っていました。『人間人形時代』、編集したのは松岡正剛氏。『少年愛の美学』を書いた稲垣足穂のエッセイ集です。
穴のあいた本ということで、当時話題になりました。足穂にとって、「穴」(意味深ですが)と「宇宙」はつながっているのです。それが書物という具体的な形になっているのが感動的です。
この本の穴を実際に覗いてみた時の記憶がよみがえってきました。稲垣足穂、杉浦康平、松岡正剛――、これはどう考えても必然です。
書物は生き物。
書物は夢を見る。
書物は書物の夢を見る。
言葉は書物。
言葉は夢の書物。
言葉は書物の見る夢。
*
ステファヌ・マラルメ。
言葉にまつわる偶然と必然についての思索と詩作と試作――。マラルメは私にとっては言葉であり文字でありイメージでしかない存在ですが、ときどき来てくれて言葉を投げてくれるのです。
一緒にサイコロを振るのです。マラルメ師はとてもお茶目なおじさんなのです。大詩人に妙なイメージを勝手につけていますが、それほど私にとって大切な存在だということでご勘弁願います。
マラルメの書物。
マラルメの夢見た書物。
詩作、思索、試作、施策。
フランスの詩人であるステファヌ・マラルメ (Stéphane Mallarmé )のある詩の中で、私が特に好きな箇所があるので紹介させてください。「海のそよ風(Brise maraine) 」の冒頭部分です。
(原文)
La chair est triste, hélas ! et j'ai lu tous les livres.
Fuir ! là-bas fuir ! ……
(普通の訳)
ああ、肉体は悲しい! それに私はすべての書物を読んでしまった。
逃げよう! 彼方へと逃げるのだ!
(うつせみ訳 aka アホ訳)
うつせみは悲しいよな、やれやれ、読むものはなくなったし。
こうなったら、逃げよう! うつせみのあなたに逃走するのだ!
勝手な解釈で恐縮ですが、マラルメの「海のそよ風(Brise maraine) 」は、私の大好きな「うつせみのあなたに」というフレーズを具現した文学作品なのです。フランス文学を学び、この詩に出会えたことを感謝しているほどに愛着を覚えています。
なんとステファヌ・マラルメに扮した俳優の出てくるフィルムの動画を見つけたので以下に紹介します。
動画の24:28あたりから、マラルメ作の 『Un Coup de dés(骰子一擲)』という詩が出てきます。その斬新なレイアウトに注目してください。そこを見るだけで結構です。
この詩は、雑誌に掲載されたのが亡くなる前の年である1897年、決定稿が単行本として刊行されたのが没後1914年だそうです。その年にこのような「前衛的」な作品をものしたのですから、すごいと思います。
*
マラルメの詩における斬新なレイアウトで連想するのは、ローレンス・スターン作の『トリストラム・シャンディ』です。真っ黒なページや、大理石模様のページでよく知られている長編小説です。
ブックデザインとタイポグラフィという点からしても、独創的かつ創意にあふれた作品というべきでしょう。1759年から1767年にかけて出版されたという、この小説の比類のない新しさと奇妙さについては以下の解説が詳しいです。作品に突然出てくる変な曲線にも触れてあります。
脱線と逸脱だらけで物語が進むこの長い長い作品は、私の愛読書のひとつなのですが、正直言って全体を読み通したことはありません。読み通した人はあまりいないと思いますし、読み通す必要もないでしょう。
とはいえ、確実に読み通した日本人をひとりだけ知っています。朱牟田夏雄さんです。この小説の邦訳者ですから、当たり前ですけど。それにしても、個人訳とは、すごすぎます。マルセル・プルースト作の長い長い『失われた時を求めて』よりも読み通した人は少ないのではないでしょうか。
『トリストラム・シャンディ』も『失われた時を求めて』も『源氏物語』も、長時間の読書に向いた作品ではなく、長期間の読書に適した作品だと思います。
*
『トリストラム・シャンディ』から、私は常にインスピレーションをいただいています。とても感謝しています。
十五年ほど前に約一年間かけて書いた脱線だらけのブログ記事「うつせみのあなたに」(全11巻)は、私なりの『トリストラム・シャンディ』へのオマージュといえます。書き上げてから気がついたのですが、あれは小説なのです。
小説では何を書いてもいいという意味での小説――。
*
上の動画を見ていると、ため息が出ます。息を飲む瞬間の連続です。
言葉は 生き物。
文字は 生き物。
活字は 生き物。
言葉は 息もの。
文字は 息もの。
文字は 動き。
言葉は 呼吸。
言葉は 息。
言葉は 命。
言葉は息吹。
言葉は anima。
言葉は animal。
言葉は animus。
言葉は animism。
言葉は animation。
ジャズのアドリブのように、ぽんぽん言葉を投げていく。骰子を振って遊ぶ。ジャズのように言葉をつづりたい。文章をつづりたい。言葉は踊る。
文章と書物は、踊る文字たちを収めた箱。
言葉は夢の書物。
言葉は書物の見る夢。
#このデザインが好き #振り返りnote #本 #書物 #読書 #文字 #活字 #アート #デザイン #タイポグラフィ #杉浦康平 #松岡正剛 #稲垣足穂 #ステファヌ・マラルメ #トリストラム・シャンディ