与那覇百子「生かされて生きて」を読んでみて思ったこと

こんばんは。レンディです。

世界中でコロナウイルスが蔓延している現在、多くの方々が感染によって命を失っているという情報をここ最近毎日耳にします。

中でも僕が1番衝撃を受けたのは、ドリフターズの志村けんさんが亡くなったことです。

僕が小さい頃はバカ殿様が大好きで、テレビで放送される度にビデオに録画して、バカ殿専用のビデオテープを作ったりしたものです。

誰もが尊敬する偉大な方で、大勢の方々が悲しんでいましたが、まさか急に亡くなるとは想像できませんでしたね。

当たり前のように存在していると思っていたものが、ある時急に去っていった時の絶望感は計り知れませんね。

ウイルスの感染以外にも、戦争や災害で日常が奪われていった方々も存在しますね。

沖縄戦により、突如当たり前の生活が崩れ去った10代の若い女の子達は、志半ばで「ひめゆり学徒隊」に編成され、負傷者達の看護業務の担当に任用されてしまいます。

著者の与那覇百子さんもその内の1人だったそうです。

海と自然に囲まれ、慣れ親しんだ美しかった街には爆弾が鳴り響きます。

病院という名の壕で看護をすべく派遣されてきた与那覇さんでしたが、心の準備をする間も無く、戦いで負傷した兵士達がやってきました。

軽い症状でやってきた兵士もいれば、両腕が無くなったり、片手片足になった兵士、中には傷口にうじ虫が湧いてしまっている人もいたそうです。

ある日、与那覇さんは兵士達に飲ませる水を汲むために、壕を出て500m先まで行きます。

水を汲み終わり壕に戻ろうとしたその時、大きな音が鳴り響きました。

近くに爆弾が落ちたのです。

皆のことが心配になった与那覇さんは、水を持ったまま山道を走って戻ります。

すると、さっきまであった壕が無くなっていました。

急いで土を掻き分けている最中、何かグニャっとしたものを踏んだ感覚があり、足元を見ると看護服を着た友達の胴体が転がっていたというのです。

その後も与那覇さんは次々と友達の死を間近にしたそうです。

人間はいつ死ぬか分からないなんてよく聞きますが、現在では世界中の人々が人間の脆さを本当の意味で感じているのではないでしょうか。

自分の家族も友達も恋人もお世話になった人も尊敬する人も、そして自分も突然死んでしまう可能性は十分にあります。

明日死ぬとしたら今日何をしておきたいのか、もしくはやり残した事はないのか、「死」への現実味が増したこんな時だからこそ、命について考えるいい機会なのではないでしょうか。

時には余裕が無くなって自分の事しか考えられなくなってしまう事もあるかもしれません。それでも、「自分は生かされているんだ」という事実を認識することが重要だと思います。

まずは、日頃から身近な人達に感謝を伝えることを心掛けていこうと思いました。











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