【製本記】 Alice in Wonderland | 丸背・ドイツ装
ここのところルリユールの作業にかかりきりで、なかなか本ができあがらない。そこで、以前つくった本の記録も残していこうと思いついた。つくってから随分経つものもあるので詳細はうろ覚えだが、製本様式や製本材料について、思いだせる範囲で記そうと思う。
これはルイス・キャロルの『Alice in Wonderland』の改装だ。邦題「不思議の国のアリス」ではなく、英語の原題で表記しているのは、この本がイギリスで出版されたものだから。「Rylee Classics」という、子どものための名作シリーズの一冊のようだ。表題は『Alice in Wonderland』だが、続編「Alice Through the Looking Glass(鏡の国のアリス)」も収録されている。
もともとは紙表紙の丸背上製だった。持ち主に愛されたのか、すっかり色褪せてくたびれていたのを、シンプルな「ドイツ装」に仕立て直した。
この本を手に入れたのは、20年ほど前、ロンドンで暮らしていたときのことだ。本屋ではなく蚤の市で見つけた古本で、蚤の市ならノッティングヒルとカムデンによく行ったので、おそらくそのどちらかで買ったのだと思う。
あの頃は週末の蚤の市をのぞくのが何よりの楽しみで、でもお金がないからそうそう買えなくて。だから、この本はお手頃価格だったに違いない。ということは、それほど古いものでもないのだろうが、何しろ出版年がどこにも記されていない。おまけに挿絵画家名も見あたらない。おおらかな時代の産物であることだけは確かだ。
表紙の平(ひら)には、無地のブッククロスを選んだ。デンマークの友人に譲ってもらったもので、ブラウンのような、グレーのような、絶妙な色。こんな美しい中間色はなかなか手に入らない。
背には山羊革を用いている。ルリユールの総革装に使った端材で、やや暗めのターコイズブルーといえばいいだろうか。背の題字は金属活字による箔押しで、同じ活字を使って表紙にも題字を入れている。
改装前の丸背は、かなりゆるやかなものだった。これは一度解体して、フレンチ・ソーイングと呼ばれる手法で糸かがりをし、新たに丸みだしをしている。こうしてひさしぶりに見ると、丸みがやや強かったように思う。
背の芯材に何を使ったのか失念してしまったが、もう少し厚いものでもよかったか。背の薄さゆえに、花布が少々悪目立ちしている。花布に罪はないのが。花布もまた、この本と同じ頃にイギリスで購入したものだ。
見返しには、フランスの作家による手染めのマーブルペーパーを。「小石」と呼ばれる模様で、ブルー、グレー、ブラウン……いくつもの色が溶け合うようで溶け合わず、それぞれの小さな細胞領域を保持しながらたゆたっている。
この手の模様を見るたびに、のび太くんの引きだしの中のタイムマシンを思いだすのはわたしだけだろうか。色と光がうごめく細胞模様。これが異世界へとつづくトンネル内の景色……だとすれば、うさぎの穴に落ちてゆくアリスにぴったりじゃなかろうか。いや、アリスが落ちた穴の内壁は、ママレードの瓶の置かれた戸棚だったか。
糸かがりなので、180度すんなり開く。本文用紙はすっかり灼けているが、絹目のような風合いがおもしろい。ときどき入っている挿絵は、つけペンでさらさらと描いたようで洒落ている。
本文については、大きなしくじりを記録しておかなければならない。それは二度断裁して、余白を狭くしてしまったことだ。この本は束(つか=厚さ)が20ミリほどあり、この厚さだとうちの手動断裁機には入らない。そこで、無謀にも手切りしようとしたのだが……あえなく失敗し、よそで電動式の断裁機を借りて再び断裁した。そんなこんなで、版面(はんづら=印刷面)から小口までの距離が短くなってしまったのだ。
余白の狭い本は、開いたときにやかましい印象になる。せっかく大人びた顔に仕立て直したのに、もったいないことをした。
作者のルイス・キャロルが仲のよかった少女、アリスのためにこの物語を書いたというのは有名な話だけれど、キャロルがアリスに贈った一冊目は、全編手書きの手製の本だったそう(このときのタイトルは『Alice's Adventures under Ground』)。挿絵もキャロル自身が描いており、可憐な花模様の飾り枠のついた、愛らしい表紙がついている。
こんなそっけない装丁では、アリスに「装画のない本なんて、何の役に立つのかしら?」といわれてしまうかな。でも、わたしにはこのくらいがちょうどいい。
●『不思議の国のアリス』ルイス・キャロル/ジョン・テニエル 画/河合祥一郎 訳(KADOKAWA)