学びを止めた時
大学時代は、真面目に学んでいた方だと思う。
本を読み、考え、また本を読み。
現代哲学、中でも言語哲学、社会哲学といったところを専攻しながら、
心理学、精神医学、民俗学、社会学など、周辺のものや関心が湧いたものなど、あれこれ本を読んだりしたわけだけれど。
それだけに、卒業後、ほぼその時で、知識がアップデートされていない分野が多々、生じていて。
それに改めて気づいたのが、最近のこと。
ふと、改めて心理学周りの概念のマッピングをしたいなと思い、手に取った中の一冊が『心理学の名著30 (ちくま新書 1149) 』(サトウ タツヤ 著/2015年)。
そうしたら、入門概説書的なこの本を通してでさえ、まあ自分がいかにアップデートしていなかったかを思い知らされ。おいおい、それはまずくないか、と。
いや、もちろんアップデートしていなかったのはまずい。
それにも増して、アップデートしていなかったことに気づいていなかったのが、まずすぎる。
……そうこうして、アップデートを地道に進めようとしていた中で、ふと人から勧められたYouTubeチャンネルが、「ゆる民俗学ラジオ」。
第1回から見始めたのだけれど、第3回の「民俗学の父・柳田國男への反撃は「餅」だった【餅が変えた民俗学】#3」でまたまた、「アップデートしてなかったじゃないか……」の激震が。
大学時代、網野善彦の本をあれこれ読みながら、坪井洋文の著書もわずか2冊ほどだったけれど読み、強く印象に刻まれ(『イモと日本人: 民俗文化論の課題』『稲を選んだ日本人: 民俗的思考の世界』)。その時の、坪井による「米」対「芋」という対置構図で、私の認識は止まってしまっていたわけです。
しかし、上述の「ゆる民俗学ラジオ」で、稲作単一文化にフォーカスした民俗学の父・柳田國男、そしてそれに対して「餅なし正月」を取り上げた坪井洋文、そしてその両者の対立(対置)を視野に入れながら新たな展開をしたものとして挙げられていた、安室 知(やすむろ さとる)の存在を知るわけです。「もち正月」と「餅なし正月」、あるいは稲作文化と畑作文化の対置ではなく見ていく、という。
まぁこのあたりは、これに影響されて安室知の『餅と日本人』(雄山閣 1999年)を読み始めたばかりのところなので、詳しくは書きません(書けません)が。
いやはや。
当然ながら、学問は、折々、アップデートされているわけですね。
そのことを改めて意識しつつ、学びを進めていきたいと思った次第です。
——ああ、知らぬ間に、学びが止まっていた。
その、止めていたのは、他ならぬ、自分でした。
*安室知『餅と日本人』は上記の雄山閣刊のものの後に、吉川弘文館から同タイトルにて、おそらく「補論」を加えたものが、2020年に「読みなおす日本史」シリーズの一冊として刊行されている。
*以下は昔読んだ記憶のある、このあたりの本からいくつか。(新装版や文庫版などがある場合は、刊行年がより近年のものをリンクしています)