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【読書】積読する心理、つんどくを語る。

私は本が好きです。

ジャンルは特に問わず、小説、歴史、ノンフィクション、ルポ、社会学、哲学、児童図書、、、何でも興味があります。

また、圧倒的に紙の本派です。
目が悪いのもあるんですけどね、電子書籍は一度試しましたがフィットしませんでした。

本って、あの紙のページを一枚一枚めくる瞬間がよくないですか。
カバーデザインや質感、書体、文字間などもかなり考えられて一つの作品になっていますよね。

読書の好きなところはなんといっても、読む前の自分と読んだ後の自分が完全に別の人になってる実感が得られるところ。

通読することで必ず何かを得ている。確実に。

いや当たり前だろって思うかもしれませんけどね。その当たり前は、本を読まないと得られないですから、あの満腹満足感を得たいからまた本を読みたくなる。

例えば小説は完全にその世界に入り込んでそこはもう非現実的。
しばし日常から離れて、ハラハラしたりワクワクしたり、切なかったり。

逆にルポ、ノンフィクション等で現実に起こっている様々な問題に触れ、考えを巡らせたり、出来ることはないかと行動にうつしたり。

学術書などはその噛みごたえが好きです。
専門的すぎるので用語の難しさで嫌になる時もあります。笑

何でも簡単に、単純に、手軽にというのが増えて情報がおかゆの如くサラサラと入ってくるような時代ですが、そこには『考えなくなる』という弊害もありますよね。

その精密さ、専門的言い回しを解読しないと得られない知識はあるものです。

解らない、、と言う時は、ああ私はこの部分の知識が欠けてるんだな、と気づく。すると知りたくなる。ある種の喜びじゃないですけど、世界を広げるチャンスになる。

いやあ、読書って、本当にいいもんですねぇ。

、、、さて。
ここでようやくタイトルにした『積読(つんどく)』について。

私は本が好きなので、本屋さんへよく行きます。
古本屋さんもよく行きます。背表紙、表紙、好きな作者、テーマなどに心惹かれて、買ってくる。

コロナ禍以前は2週に一度、区の図書館へ通い、子供たちと併せてマックスの冊数を抱えてホクホクと帰宅していました。

お気づきでしょうか。


そんなにあっても読めません。笑

なので、我が家は同じく(いや私よりさらに)読書が好きな夫の分も合わせた積読が常態化しています。

でもこの積読、効果があるんですよね。


まずはいつでも読める、好きな時、その気が起きた時に手を伸ばせばそこにある。すぐ本にアクセスできるんですよ。

読書って、人それぞれでしょうけれど、読書の世界に浸りたいーっていうタイミングというか気分が、こう、いきなりきませんか?

そんな時に、本棚からその日その時の気分の書籍を選択して開く。

選択肢があることですよ、大事なことなんでもう一度言います太字で。 

その時、読みたい本を選んで手に取って読める。

その豊かさ。
積読のメリットですよね。

また、書籍の美しさも好きです。
ハードカバーの本なんて、その丁寧に装丁された存在感たるやもはやインテリアです。

例えば、全く同じテキストが書かれたA4用紙がホチキス止めされて並んでいても、それってつまらないじゃないですか。

積読本はいつでも見られる本棚や寝室の小さな本棚に数冊並んでいます。
全く開いてないものもあれば、途中になっているものもある。

買ってから数年後に急に読破した本もあります。

月に何度かにわけて少しずつ読んでる本もあります。

そんな本との向き合い方も良いんじゃないかなって私は思っています。

読み切れないだろうな、時間ないからな、と買うのをやめた時点で、読む選択肢が消えてしまう方がいやなので買うんですが、直ぐに読んじゃう本とそうでない本があるものです。

積読は、忌避されたり断捨離の的になる側面もありますが、忌避すべきは積読本そのもの、それがあることを忘れる事と思っています。

だから、生活の中で見えるところに本棚がある。

積読してゆるゆると読みたい時に読む、それが私の本との付き合い方です。

この先も、おばあちゃんになっても部屋の中には積読本、置いてあるような生活がしたいなぁ。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました♡

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