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道をつくりたいなら共に歩く仲間を増やせ!

――SNS時代にアナログなやり方をするのは滑稽ではあるけれども、道をつくるにはうってつけの術なのかなと思います。


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「道をつくりたいなら共に歩く仲間を増やせ!」というテーマで話していこうと思います。


📚魯迅『故郷』を読んで

先日、大学の授業で魯迅の『故郷』を取り上げるものがありました。教材研究して、どんな授業が展開できるのかを考える内容です。大学生作家とはいえ、僕は教育学部の学生なので、教材として見つめる授業を履修していたわけです。

一応、中学三年生の教科書に載っているんですが、当時僕はその授業をされた記憶がなく、今回の授業で初めて読んだんです。授業を通して、深掘りしがいのある作品ってことが分かり、とても有意義だったので、今回は『故郷』について綴っていきます。


ざっくりあらすじを共有しておきますね。

20年ぶりに帰郷した「私」は、変わりはてた街の様子に寂寥の念を抱きます。子どもの頃に憧れていた閏土ルントーと再会を果たしますが、あの頃には感じなかった身分の違いを思い知り、悲しみに暮れるのです。

「私」が帰郷したのは、実家の引っ越しの手伝いのためだったんですが、帰りの船の中、「私」はひとつの希望を抱くんです。とても印象的なフレーズなので、紹介しますね。そして、このフレーズから、「希望」について向き合ってみようと思います。

希望をいえば、彼らは新しい生活をもたなくてはならない。私たちの経験しなかった新しい生活を。
 希望という考えが浮かんだので、私はどきっとした。たしか閏土ルントーが香炉と燭台を所望したとき、私はあい変わらずの偶像崇拝だな、いつになったら忘れるつもりかと、心ひそかに彼のことを笑ったものだが、今私のいう希望も、やはり手製の偶像にすぎぬのではないか。ただ彼の望むものはすぐ手に入り、私の望むものは手に入りにくいだけだ。
 (中略)思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとおも言えない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
魯迅『故郷』


📚「希望」とは何か

国語の授業らしく、本文の表現から「希望」について掘り下げていきましょう。

「私」の希望は「『彼ら』が『新しい生活をも』つこと」です。ここでう「彼ら」とは、宏児ホンル水生シュイションというふたりの子ども。「私」の甥が宏児で、閏土の五番目の子どもが水生です。

「私」は、過去の自分と閏土を、ふたりの子どもの姿に重ねています。だからこそ、ふたりの子どもだちに自分たちと同じような未来、つまり身分の差によって距離が生まれてしまう社会を生きていってほしくないから、新しい生活を望んでいるわけです。

ただ、「私」は、その希望を「手製の偶像」といっています。

自分の抱いた希望を、「盲信の対象」として受け止めているのです。そして、それを手製といっている。偶像とは、信じるだけの価値を見出している人が多くなければ意味を持たないものです。


奈良の大仏は、当時流行っていた疫病をどうにかしようとして建てられたものだし、どうにかしてくれると信じていた人が多かったから偶像として価値がありました。

アイドルだってそう。まだ無名のアイドルだとしても、熱狂をつくり、夢に向かって真っすぐに頑張る姿に魅せられた人が多いからこそ、偶像としての価値がある。メジャーデビューしようものなら、破壊的な熱狂が生まれるわけです。

一方、「私」の抱く希望は、自分のお手製であり、抱いた時点で信じているのは「私」だけ。それが信じる対象として価値を持つためには、「歩く人」を増やさなければいけないわけです。

何も場所にひとりが歩いたとしても、そこに道はできません。刻んだ足跡も雨や風のせいで消えることでしょう。しかし、同じ場所を歩く人が多くなれば、そこに道が生まれるのです。

希望を偶像にする方法も一緒。同じ希望を抱き、行動する人を増やせば、それを叶えることができるのです。


📚共に歩く仲間を増やせ!

今回の話はあらゆることに通じるものです。

政治も宗教もビジネスも教育も夢も趣味も、全てにいえることです。共に歩く仲間を増やせば、道をつくることができます。たとえそれが何も無い場所から始めようと、人から笑われるような挑戦だろうと、極端な話、間違いだろうと、母数を増やせば道はできます。


僕もそれはとても実感していて、この半年でいえば初書籍『Message』がひとつの道をつくってくれました。

『Message』を共同創作でつくったのも、もちろんそうした方が読者ファーストの文章ができると思ったし、作者のひとりよがりな作品にならずに済むと思ったからですが、同時に同じ道を歩いてくれる人を増やす目的もありました。

『Message』の認知を増やして、なんなら作り手になってもらって、真っ白なページに物語を綴っていく過程の目撃者になってもらったわけです。

また、僕が手売りすることにしたのも、Amazonで出版したところで誰にも届かないから自分が稼働しなきゃと思ったからでもありますが、ひとりずつ届けることで、手売りという文化の認知を広めていく目的がありました。

SNS時代にアナログなやり方をするのは滑稽ではあるけれども、道をつくるにはうってつけの術なのかなと思います。

これからもnoteやオフラインでのコミュニケーションで仲間を増やして、自分の信じる道をつくっていこうと思います。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

20230210 横山黎



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