見出し画像

世界はあなたの見方でできている:ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの「環世界」入門

「我々はすべて異なる「環世界」で生きている」 

この名言を生んだのは、ヤーコプ・フォン・ユクスキュル。

エストニア出身のドイツの生物学者・哲学者です。

彼は、生物学と哲学の境界領域を開拓し、生物の主体性と環境との相互作用を重視した独自の理論を展開しました。

その代表的な著作である『生物から見た世界』は、1934年にベルリンで出版された動物学の古典的名著です。

この本は、生物にとって環境が持つ意味を考察したもので、動物学の分野において古典として高く評価されています。

この記事では、ユクスキュルの生涯と業績をたどりながら、『生物から見た世界』の核心に迫り、現代社会におけるその意義について考察していきます。


ユクスキュルの生涯と業績

ヤーコプ・ヨハン・バロン・フォン・ユクスキュルは、1864年のエストニア生まれ。

大学までドイツで学び、そのあともドイツの大学で研究しました。

彼は、筋肉の生理学や動物の行動研究に携わり、生物の行動を機械的にとらえるのではなく、その主体性と目的追求性を重視する独自の視点を打ち出しました。

もうちょっとわかりやすく言うと、動物は単なる機械ではなく、知覚し、作用する主体であると主張しました。

彼は、エルンスト・カッシーラー、マックス・シェーラー、ヘルムート・プレスナー、アルノルト・ゲーレンといった、歴史上の西洋の知識人たちに大きな影響を与え、「新しい生物学の開拓者」と呼ばれました。

特に、カッシーラーはユクスキュルの業績を高く評価しています。

彼の思想は、生物学にとどまらず、哲学、心理学、認識論、環境問題など、多岐にわたる分野に影響を与え続けています。

ちなみに晩年はカプリ島で過ごし、1944年7月25日にこの世を去りました。

彼の死の3日前にはヒトラーの暗殺未遂事件が起こっており、ユクスキュルはこの知らせに深い安堵を感じていたと言われています。

『生物から見た世界』 - 新しい世界観への道標

『生物から見た世界』は、ユクスキュルの環世界論を体系的に展開した書です。

原題は "Streifzüge durch die Umwelten von Tieren und Menschen" で、「動物と人間の環世界への散策」という意味です。

副題には「見えない世界の絵本」とあり、まるで絵本を読むように、様々な生物の環世界を垣間見ることができます。

本書では、様々な生物がそれぞれ独自の方法で世界を認識し、生きていることを示すことで、私たち人間もまた、世界のほんの一部しか見ていないんだよ、ということが書いてあります!

環世界とは何か?

「環世界」がなんだか分からないと思うので、まずそこを説明しますね。

ユクスキュルによれば、すべての生物は、それぞれ固有の「環世界 (Umwelt)」の中で生きています。

環世界とは、生物が自らの感覚器官を通して知覚し、意味を与えて構築した主観的な世界のことです。

客観的に存在する環境は「周囲世界 (Umgebung)」と呼ばれ、環世界とは区別されます。

例えば、同じ部屋にいても、人間、犬、ハエでは、それぞれ異なる世界を見ていることになります。

人間は家具や本棚など、部屋にあるほとんどのものを認識できますが、犬はテーブルの上のご馳走やソファーにしか関心を示しません。

ハエにとっては、照明とご馳走だけが意味のあるものであり、他のものはほとんど認識されません。

このように、生物はそれぞれに必要なものだけを知覚し、それ以外のものは無視することで、効率的に生きているのです。

ユクスキュルは、環世界の概念を説明するために、ダニの例を挙げています。

ダニは視覚や聴覚を持たず、嗅覚、触覚、温度感覚のみで世界を認識します。

彼らは、哺乳類が発する酪酸の匂いを感知して木から飛び降り、体温を頼りに哺乳類の皮膚にたどり着き、血を吸います。

ダニにとって、世界は酪酸の匂い、体温、皮膚の感触だけで構成されており、それ以外のものは存在しません。

知覚と作用 - 環世界の構成要素

ユクスキュルは、環世界を構成する要素として、「知覚世界」と「作用世界」を挙げました。

知覚世界とは、生物が感覚器官を通して受け取る刺激を、脳内で処理して意味づけられた世界です。

作用世界とは、生物が外界に対して働きかけ、変化を与えることで形成される世界です。

これらの知覚と作用は、「機能環」と呼ばれる図式で表されます。

機能環は、生物の主体と客体との間の相互作用を、記号論的に表現したものです。

主体と客体は、この機能環によって結びついています。

客体のもつある性質は、生物にとって「知覚標識」となり、感覚器官を通して知覚されます。

一方、生物の行動は、客体に対して「作用標識」を刻みつけます。

ちょっと難しいですよね。分かりやすく例えます。

例えば、クモがハエを捕らえるために張るクモの巣は、ハエにとっては見えない罠であり、クモにとっては獲物を捕らえるための道具です。

このように、知覚と作用は互いに影響し合い、環世界を形成していくのです。

時間と空間 - 主観的な世界の枠組み

ユクスキュルは、時間と空間もまた、生物によって主観的に構成されると考えました。

例えば、人間にとっての「一瞬」は1/18秒ですが、ダニにとっては18年にもなります。

これは、ダニが哺乳類の酪酸を感知するまでに、最長で18年も待たなければならないからです。

このように、生物はそれぞれ異なる時間スケールで生きており、その時間感覚は環世界によって規定されます。

空間についても同様です。

ユクスキュルは、人間の空間知覚を、以下の3つに分類しました。

作用空間
身体を中心とした三次元空間。自分の身体を起点として周囲の空間を認識する

触空間
触覚によって認識される空間。物に触れることで、その形や大きさ、材質などを認識する

視空間
視覚によって認識される空間。目で見て周囲の空間を認識する

これらの空間は、それぞれ異なる情報を提供しますが、脳内で統合されることで、統一的な空間として認識されます。

影響と遺産

ユクスキュルの環世界論は、生物学、哲学、心理学、認識論、環境問題など、多岐にわたる分野に影響を与え続けています。

彼の理論は、その後、生命記号論 (biosemiotics) という学問分野を生み出す基盤となりました。

生命記号論は、生物における記号の役割を研究する学問であり、ユクスキュルの環世界論をさらに発展させたものです。

『生物から見た世界』が現代社会において持つ意義

ではこの百年前の本が、現代社会にどう役立つか、まとめてみました!

多様性への理解

ユクスキュルは、生物多様性の重要性をいち早く認識し、それぞれの生物が独自の環世界を持っていることを明らかにしました。

これは、現代社会における多様性理解の基盤となる考え方です。

異なる文化、価値観、ライフスタイルを持つ人々も、それぞれ異なる環世界の中で生きていると考えることができます。

相手の環世界を理解しようと努めることは、相互理解を深め、共存していくために不可欠です。

ユクスキュルの環世界論は、私たち人間もまた、限られた環世界の中で生きていることを認識させ、他者への共感と寛容の重要性を教えてくれます。

環境問題への新たな視点

ユクスキュルの環世界論は、環境問題を考える上でも重要な視点を提供します。

人間中心的な視点で環境問題を捉えるのではなく、他の生物の環世界にも目を向けることで、より深く問題の本質を理解することができます。

地球温暖化などの環境問題は、人間の環世界が作り出した問題であり、その解決のためには、人間以外の生物の視点も考慮する必要があるでしょう。

人工知能への応用

近年、人工知能 (AI) の発展が目覚ましいですが、ユクスキュルの環世界論は、AI研究にも新たな可能性をもたらします。

AIが独自の環世界を持つことができるのか、AIの環世界は人間の環世界とどのように異なるのか、といった問いは、今後のAI開発において重要な課題となるでしょう。

AIが人間のような知性を持つためには、人間の環世界を理解するだけでなく、独自の環世界を構築する必要があるかもしれません。

結論 - 環世界という鏡

ヤーコプ・フォン・ユクスキュルと『生物から見た世界』は、私たちに「世界の見方」を問い直す機会を与えてくれます。

生物はそれぞれ独自の環世界を持っており、客観的な世界は存在しないというユクスキュルの思想は、現代社会においても色褪せることはありません。

環世界という鏡を通して、自分自身の世界観を見つめ直し、他者への理解を深めることが、より良い未来を創造する鍵となるのではないでしょうか。

ユクスキュルの環世界論は、生物学、哲学、そして現代社会における様々な問題に、新たな光を当てています。

この本の一番重要なところは彼の思想はもはや学問分野を超えていて、人間、動物、そして環境との関係をよりよくする芸術みたいな考えです。

必ず一読してみてください。

、Kindleアンリミテッドなら無料です


いいなと思ったら応援しよう!

おすすめの本を紹介しまくる人
いただいたサポートは全て次回の書籍に充てられます。また次回の記事の最後に『謝辞』として、あなたのnoteを紹介する記事を追加させていただきます。