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26 ちゃんとしなきゃ病

2018年5月の長女の死から2ヶ月が過ぎた頃、次女と三女は夏休みを迎えていました。私はその2ヶ月の間、少しずつ無理や我慢をやめ、引きこもりながら自死遺族ブログも始め、泣いて過ごすだけではなく、静かに自分を見つめ、自分らしく生きる新たな人生を歩み始めていたように思います。そして少しだけ余裕が出てきた頃、三女のおかげで、またひとつ自分を取り戻し、楽になったことがありました。その時の話です。

三女はその春に幼稚園を卒園していたので、同じクラスだったママの間では小学校が別々になる子ども達のために、夏休みに同窓会をやろうという話が以前から持ち上がっていました。私はクラス役員でしたし、娘も担任の先生やお友達に会えることを楽しみにしている企画でしたから、久しぶりに社会活動をしてみることにしました。

ちなみに、幼稚園のママ友には私が自死遺族になったことを知っている人は、公表しないことを理解してくれる人が数人いるだけでしたので、気持ちを切り替えて、げっそりと痩せてはいたものの、何事もなかったように振る舞いました。

企画を立ち上げ、イベントの準備も当日の仕切りも、以前の私に戻ってサクサクと執り行い、私自身は以前のようにママ友たちの会話を盛り上げようとするパワーこそなかったですが、同窓会は盛り上がり、子ども達の楽しそうな姿が見られて私も大満足でした。

ところが、同窓会が終わり、子ども達の集合写真をクラスLINEにアップして、片付けも終えて帰ろうとした時、あるママからのメッセージを見て、どっと疲れがでてしまいました。そこには「楽しそう!行きたかったな〜、次は絶対参加するので、また誘ってね♡」とありました。

別段何もおかしなところがないメッセージです。参加できなかった人が、次回は参加したいなと思うほど楽しそうに感じたのですから、主催者としてはしてやったりなはずなのですが、その時の私は違いました。この時の私は、「え?また企画してほしいってこと?」と受け取ったのです。

クラスの同窓会とはいえ、場所を予約したり、先生の都合を聞いたり、安全に配慮したり、多くの子が参加できるよう日程を調整したりと、なかなかの仕事です。引きこもり中で他に仕事はしてないとはいえ、また悲しみを少しは忘れられるとはいえ、そもそも承認欲求さえなくなってる私には、三女が喜ぶことや、自分の楽しみ以外に興味はありませんので、「なぜこの人のために、もう一度やらなくちゃいけないの?」と本気で思ったのです。

冷静になれば、単なる社交辞令だとわかります。自分も同じようなことをしてきたと思います。裏側で仕事が発生していることも、体験しなければわからないことですし、私が苦労なくちゃっちゃとこなしている人だとおもったかもしれません。それでも私の本心は、不快感を感じていました。面倒を押し付けられたと感じ、不満に思っているのです。

私はまず、その不快感を持っている自分を認めてあげました。以前の私なら間髪入れずに「また誘うね〜」などと返信していたと思います。でもそれは偽りの自分でした。もちろん偽りなどとは気づいていません。本心では不快感を持っている自分を「意地悪な人」などと責めて、あってはいけないことと自分を否定し封印していたからこその反応だったと思います。

そして、そもそもの話、「え?また企画してほしいってこと?」と少々面倒なことに感じたということは、私にとって子ども達のためとはいえ、企画や準備をすることは楽しいことではなかったということです。面倒を率先して自分に抱え込ませていたのは自分なのです。役員になったのも自分ですし、役員だから同窓会を仕切らなくてはいけないと思い込んでいたのも自分です。

自分で自分の首を締め続けていた自分を見つけてしまいました。私は「ちゃんとしなきゃ病」に冒されていたのでした。母親なのだから、娘がお世話になっている園の役員ぐらいやらなくちゃ!役員なのだから、みんなのためにはたらかなくちゃ!頂いたメッセージには優しく応えなきゃ!などなど・・・・どこで仕入れたかもわからない「ちゃんと」に洗脳されてしまっていました。でもその生き方はこの数ヶ月の間にやめると決めたはずなのです。

だいぶ自分の素直な気持ちがわかるようになった私は、自分に無理や我慢をするのはやめたことを思い出し、この不快感も無駄にしないよう、「もうやりたくないな」という自分の気持ちをはっきりさせました。でも「もうやりたくない」とママ友に返信してよいのでしょうか。

自分の正直な気持ちで生きなくちゃだめだ!という声が聞こえました。ここでも私の「ちゃんとしなきゃ病」が発動したのです。自分に我慢をさせないと決めてしまったものですから、自分の「ちゃんと」は「我慢しないこと」にも適用されてしまっていたのです。それにもらったメッセージには「ちゃんと」返事をしなくてはいけないとも思い込んでいました。

でも、自分の本心を伝えることも、返事をすることも、なにか気持ちよくないのです。もちろん我慢をしないことや、無理をしないことも大事ですが、我慢や無理をしないことにこだわり、「ちゃんと」しようとすること自体が、自分を苦しめていたのです。

そこで、私は自分がどうしたいのかを、あらためて整理してみました。
・卒園したのだから、もう役員から降りたい。
・企画の主催はもうやりたくない。
・本音を相手に伝えたくない。
・嘘を言うのも嫌だ。

そして辿り着いた答えは、「既読スルーする」でした。良い人を頑張ってた私にとってはかなりのチャレンジでしたが、家族を相手にスルーすることへの抵抗感はだいぶなくなっていましたから、よい機会をあたえられたのだと思いました。そしてめでたく華麗なスルーを初体験したのです。相手の人には申し訳ないけれど、自分に感謝したくなる気持ちの良い体験でした。

実はその一年後の夏休みにも、同窓会は行われました。でも今度は、まず自分に、どうしたいかを確認しました。そして私は場所取りだけを担当し、他のことは人に任せ、また当日に子どもだけを参加させたいから預かって欲しいなどというちょっと面倒なご依頼も、負担だからとお断りしました。へんに「ちゃんと」するよりも、じぶんがどうしたいかを優先したのです。

すると思ってもみなかったことに、手伝ってくれたママや、預かってあげなかったママから、「学ばせてくれてありがとう!」と分担の仕方や断り方に対して感謝されたのです。自分に無理をさせない行動が、周りの人にも無理をしなくていいという手本となったようでした。自分を大切にすると、人からも大切にされるとは言いますが、自分を大切にすることは、人も大切にすることだったので、感謝されるのです。

ところで、あの時既読スルーしたママ友とは今は全く接点がなくお会いすることもないので、あんなに悩まなくてもよかったとも思えます。ただチャレンジさせてくださったことには感謝しかありません。あの時、私に必要な経験でした。全ての経験は愛なのだと思います。

さて、今回は「ちゃんとしなきゃ病」から回復するために、あえて「本音を言わない」選択をした話をしました。本音を言いたくないという本音を尊重したのです。でも普段の私は基本的にいつも本音で話します。偽りの自分で生きることは、自分にも自分の周りの人にも失礼だと思うからです。そして、本音で話しても一緒にいられる人が自分に必要な人だとも思っています。



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ダークな内容が多めですが、
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私の体験した闇があなたの光を見つけるヒントになれば幸いです。


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