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⚜️Ray👼✨絶望の底から天国創造✨
2018年5月娘が命を絶ち、社会を捨て引きこもった私が、自責→気づき→目覚めへと導かれ地上の天国に生きるまでになった過程を書いています。私にとって絶望は天国への近道でしたが、ここに書いた内容を知って頂ければ、望まぬ絶望など体験する必要はないかもしれません。また今まさに絶望の中にいる方にも、地上の天国への入り口を見つけるヒントとなるでしょう。 すべての人はすでに愛されています。あとはその愛を受け取るだけ。 是非あなたの人生にお役立てください。
2018年5月、三姉妹の長女だった娘が命を絶ちました。最高の家族だね!学校楽しい!と幸せそうで、優秀で優しくて頼もしくて、前世記憶があったり、 UFOを目撃したり、母である私にたくさんの初めての経験をさせてくれた娘でした。 3年が経った今、私は、死も絶望も、人を不幸にするものではなく、むしろ幸せへと導いてくれる「愛」だという考えに至っています。娘の死に絶望したが故に、愛を知るに至った私の三年間を振り返り、ここにまとめていきます。愛する人の死に絶望しているすべての人にギフトと
無償の愛とは、 見返りを求めずに相手のためを思う 気持ちや行動のことです。 自分の子として、 自分の親として 自分のパートナーとして 自分の友人として 生きてくれていたから愛していたのですか? 隣で生きてくれるという見返りを期待して 愛し合っていたのですか? そしてそれがなくなったことに嘆いていますか? そうだとしたら、条件付きの愛ですよ。 結局その程度の愛なのです。 与えられた愛に気づいていない自分を棚にあげて、 悲しんでいるふりをして、 自分
愛する人を亡くしたとき もう自分も死ぬしかないと思うなら その愛は偽物 愛する人を亡くした人が 愛する人への愛を証明する 残された道はひとつ 幸せな自分をあの世に見せ続けること とても難しいかもしれないけれど それしかない 受け取った多くの愛に感謝する姿 過ごした日々を愛でる姿 愛された自分を大切にする姿 死の体験から学び、自分を成長させていく姿 それらはみな あの世の人を喜ばせる 自分の幸せを喜ばない人だと疑うなら 愛の出し方をこちらから教えて
おもいっきり悲しんでいい。 でもそれは、 ずっと苦しみ続けないために、 悲しい気持ちを存分に味わう儀式。 悲しみによって、 ずっと苦しみ続けることは、 あなたを愛している人を傷つける。 悲しい友を見て幸せになれる人はいないから。 悲しい人を見て幸せを感じられますか? できません。 誰かを愛するということは、 自分を幸せに生きること。 愛する人があの世にいても同じ。 すこしだけ頑張って、 幸せを生きる方法を探してください。 やる前からできないという
やっとご案内できる日がやってまいりました。 このnoteに書き溜めてきた文章たちが、遂に出版されます! このマガジンを始めたのは、本を出版することを目標に、出版塾に入ったことがきっかけでした。 あの世の娘から学んだことを書いてきたブログは、どうやら人を救うらしいことがわかってきた頃、もっと多くの方に読んでいただきたいな〜と思っていた矢先、探したわけでもなく、たまたま見つけた出版塾でした。 その塾の開始日は娘の祥月命日でした。 娘が「本を書いて!」と言っているのだと思えまし
出版させて頂けることになりました! 娘のメッセージがより多くの人に届くと思うとワクワクしかありません! いつも応援してくださる読者の皆様、チャンスを下さったClover出版さんにこの場をお借りして心よりお礼申し上げます。 明日アメブロ(https://ameblo.jp/angelily-ray)にて、感謝の気持ちを込めたプレゼント企画のご案内を致します。よかったら覗いてみてください。
誰しも、かわいそうだなと思った人には、つい慰めの言葉をかけてあげたくなるものです。いてもたってもいられなくなる、あの不思議な感覚は、反射的に目の前にいる可哀想に見える人を励ます言葉を口走ります。人間が持っている愛ゆえだと思います。 ですが、自分が自死遺族となり、優しさのつもりでかけてくださる言葉の中に、受け入れ難いものがあることに気づきました。遺族になってみなければ気づけなかったことだと、私自身が気付かされたことでしたので、優しい方達のために書いておこうと思います。 私は
愛する人が、自ら命を絶つ選択をしてしまった時、残された人はどうしたらよいのでしょうか。家族でなく、友人、恋人、好きな人や芸能人だったとしても、ショックで生きる気力を失うと思います。私も娘が死んだ時、身を裂かれるような痛みとともに、色のない世界で、かろうじて呼吸をするだけの生き物になっていました。 そして現実に引き戻されると、「私も死にたい」と思ってしまう方もいらっしゃると思います。私も思いました。自分に何かできたのではないかと自分を責め、時には、必要とされていなかったのかと
私は娘が自殺した自死遺族としてアメーバブログを書いているのですが、娘のしたこと全部を肯定するスタンスをとっているせいか、自殺願望のある方や、遺族の人から「死にたいです」とLINEを送られることがあります。そんな方には私は思いっきり塩対応です。自死遺族である私に「死にたい」ということは暴力に等しいと思っているので、その旨伝えます。 特に、遺族になった人(大人)から言われると、正直がっかりします。自分がされて辛かったことを、今度は自分が他人に対して与えようとしていることに気づけ
大切な人を亡くすということは、とても悲しく生きる気力さえ奪われる、とてもショックな出来事であることは間違いありません。「どうして死んでしまったの?」とショック状態のまま余生を過ごすことも、その人が望むなら許してあげたいと思うこともあります。でもそんなショック状態をあの世の存在が見たらどう思うだろう。私はその点が気になってしまう人間です。 もちろん大切な人を亡くして日の浅い頃は、故人の気持ちを考える余裕もないかもしれません。葬儀屋さんやお坊様に促されるまま、作法を覚えて、形だ
私が娘の死後から書いているアメーバブログで、ずっと読み続けられている記事があります。それが「死んだ人に会う方法」という記事。アメーバユーザーだけでなく、検索サイトなどから見にいらっしゃる方もいるようです。それぐらい、死んだ人にみな会いたいですよね。私もその一人でしたから、その記事になる情報を求め得たわけなのです。 「死んだ人に会う方法」という記事を書いたのは、まだ娘が亡くなってから数ヶ月の頃でした。その数ヶ月の間に娘の声を聞いたり、娘が夢に出てきたりした時の、まだ少ない事例
ヒプノセラピーというものをご存知でしょうか。催眠という変性意識状態になって、潜在意識という自分の深層部分に刻まれた記憶にアクセスすることで、現状の心的問題解決などをしていくために利用される心理療法とでもいいましょうか。前世や幼少期の自分を体験したり、亡くなった人に会えたりする夢のようなツールです。 怪しいと思う人もいるかもしれませんが、私は騙されないように生きるより、騙されても楽しくて自分の体験が増えるなら良しとする人間なので、長女が生きていた頃から利用していました。そして
今回はあまり言いたくない、残念な過去の私に気づいた時の話ですが、子育て中の方には参考になるのではないかと思うので、書いておきます。 長女が亡くなって半年経った頃、まだ私は引きこもりをしていました。そんなある日、小一だった三女が「学校に行きたくない」と登校を渋りました。長女のことがあってから、とにかく娘たちの幸せを守ることを意識するようになっていたので、以前だったら、理由も聞かずに休ませることはありませんでしたが、とりあえず、休ませることにしました。正しさよりも娘が大事です。
何を隠そう私は、娘が亡くなる前までは、良い子良い妻良い嫁良い母良い友を心がけていた人でした。正しいと教えられたことをこなして、少し無理をしながらでも正義と慈悲を貫いて生きている自分はまんざらでもないと思っていました。誰にも迷惑をかけなかったと思いますし、人が嫌がる地域活動や役員も引き受けたり、慈善活動も積極的に参加して、良い親になろうと本を読み、マナーを習い、友達の相談に乗り、寄付をして、確かに「悪い人」ではなかったと思います。 しかし娘が亡くなった時に私の本性が現れました
私は、娘が死んでしまうまで、死について真剣に考えたことがありませんでした。子供の頃に母親が自分を置き去りにしていなくなる夢を見て、悲しくて泣きながら起きた記憶がありますが、子どもにとって親の死は生命に関わることですから、本能的に恐怖をおぼえ、死を考えないようにしたのかもしれません。 そんな私の身に起こった、ある日突然娘が死んでしまうという体験は、いつか人は必ず死ぬという事実を強烈に突きつけました。怖いものを見たくないがために、あたかも死が存在しないかのように、いつまでも生き
生まれてから死ぬまで気持ち良いことばかりで過ごしてみたい。それが人間の素直な願いだと思います。だからこそ、心地よくなるためにどうしたら良いだろうと自分なりに考えたり、観察したり、助けを求めたりして、人生を生きているのだと思います。なぜ「生まれてから死ぬまで気持ち良いことばかりで過ごしてみたい」という発想になるかといったら、人生は良いことばかりではないことを、生まれてまもない頃から体験しているからです。 思い通りにならないこと、思いもよらないアクシデント、納得いかない人間関係