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軌跡
忘れたくないもの
父宛にバースデークーポンのハガキが届いていて、ふと誕生日について考えた。 誕生日には朝起きるとお祝いしてもらって、夜にはケーキを食べて、プレゼントを貰って、私はもう……歳なんだ!と、一歩大人に近づいたことを喜んだ。 でも時が経つごとにプレゼントの数は減っていき、誕生日の0時は起きて迎え、学校で言われていた「おめでとう」の言葉はメッセージになった。 さみしいことではないはずなのだ。全部が成長を体現している、それだけ。 なのに、時の進まない次元を生きるキャラクターと同い年に
3月の終わり、私は死ぬまでにやりたいことのひとつである「海で朝焼けを見る」を達成しようとしていた。 数週間前、なんとなく母に「いつか真夜中に出かけて海に行きたいんだ」と話したら、母が父にそれを伝えたらしく、数日後の私の通院に向かう車内で父に「来週末海に行こう」と言われた。 ぼんやりと考えていたことが急に鮮明な輪郭を描いて、父母の行動力に対しての驚きと期待を胸に抱いていたらあっという間に、その日はやってきた。 深夜3時に起きて、いつもなら寝る前に歯磨きをしながら見る時刻を
なんとなくの夢があって、なんとなくその夢は叶うと信じていて、でも最近夢を叶えている自分の姿が想像できなくて、無理なのだろうと思った。 それで、じゃあ私は将来どんな仕事に就いてどんな生活をしているだろうかと考えてみたけれど、何もしっくり来なかった。 それどころか、大人になった私が生きているところすら思い浮かばない。 馬鹿だなと鼻で笑われるかもしれないが、私はこういう「漠然とした自信」がないと、それに縋っていないと、自信を持って前に進むことができない。 それはたとえば、「
最近はとても調子が良くて、あの無性に死にたくなる瞬間も、誰かを傷付けたくなる衝動も、全てから逃げたくなる感情も、やってこない。 それがうれしくてたまらなく、ようやく普通の人間としての意識を持った生活が出来ることが楽しい。生きることが苦痛でない、眠りの訪れを待つ間のぐちゃぐちゃや、目覚めに対してのひどい抵抗感がなくて、何にも恐れを抱かないで迎えられる朝が、特別で仕方ない。 それでも、これに終わりが来るのだとしたら、じきにまたあの弱い自分に戻ってしまうのだとしたらと、そんな考
誰かに認めてもらうことが、私にとっていちばんのやりがいだった。目に見える結果を残したい。それを見て褒めてもらいたい。友達が落ち込んでるときには「でもここまで頑張ってきたの知ってるよ」と声をかけるのに、自分自身に対しては過程よりもはるかに結果主義なのだと、ここ数年でようやく自覚をした。 けれど私は、努力をしている姿というのをあまり人に見られたくない。ひっそりと頑張って、大丈夫だと思って挑み、ちゃんと結果を出してそこで初めて人の目に触れたい。小さなときからそうだった。隠れて努力
ずっと、私は文章を書くのが上手い方だと思って生きていた。実際、作文で賞をとったし、小6のとき担任の先生に「中高生くらいの文章力がある」と言われて、それを信じていたから。 文章を書くのが好き。自由に並べられる言葉たち、私の気持ちをできるだけ正確に伝えられる手段。 私が知っていた学校という世界のなかでは、文章を書くのが下手な子が多いように感じた。教室の後ろに貼られたクラスメイトの文章たちを、暇があればずっと読んでいた。新しく掲示物が重なるたび、全員分を読んだ。 でも、そのと
時々思い出す記憶がある。今よりは涼しかった夏の日、家のソファに座って開いた窓から流れ込む風を受けていたこと。 なんてことない記憶だ。別に誰かと喋ったわけではないし、特別な日だったわけでもない。 でも、何度も何度も思い出して、なんて穏やかな時間だったのだろうかと回想に浸りたくなる、思い出。 窓はソファのすぐ後ろにあって、私は背もたれで後屈していた。でもすぐに目が回って、身体ごと窓の方へ向き直った。風の温度は覚えていない。涼しかった気もするし、ぬるかった気もする。 空の色
小学校低学年の頃、大好きな友達が居た。仮にUちゃんとする。 Uちゃんは小柄で私よりも小さくて、私がしたい遊びに付き合ってくれて、今思い返すと天然で、なのに喧嘩をすると絶対に先に謝ることはしない、ちょっと頑固なところもある子だった。 Uちゃんとは幼稚園も一緒だったけど、仲良くなったのは小学生になってからだった。 私の親友はUちゃんで、休み時間も放課後も、いつも一緒に遊んでいた。ときどきUちゃんの友達のRちゃんも交えて3人で遊ぶこともあった。 Rちゃんは優しくてしっかり者
遠い、と思う。 私は夢想家だ。「こうだったらいいな」の叶わない夢を描き続けている。 その中に、「大人になったらきっとこの職業についているだろうな」というものがある。憧れの職業だけれど、それはとても狭き門であり、成功するかどうかもわからないし、まだ世間一般に受け入れられているとは言い難い職業だ。親にも「これになりたい」と言ったらきっと渋い顔をされるだろうなと思う。 でも私はその職業に憧れていて、なんだかんだなれるんじゃないかと思っている。 その姿を想像しているときは幸せだ
プロフィールを書くのが好きだった。ちょっと難しい質問は答えを考えるのに悩んだけれど。 たくさんの質問に答えていくにつれて、そこに段々と出来上がっていく個性──私が見えてくる。特別な人だと思われたかった私は、「みんなと同じ」よりも「私だけ」の答えを書くように努めた。承認欲求が強かった。 でも数年経ったら、今度は何も情報のない人がかっこいいと思い始めた。ふといいな、と思ったアーティスト、作家、イラストレーターのプロフィール画面に飛ぶと、ほぼ何も書かれていないのである。辛うじて名
新年が明けてしばらく経ったので、この話を書こうと思う。諸事情ですぐに書くことを躊躇していた。 書くにあたって、私の小学校から中学校のことを記しておく。 私は小学6年生の夏頃から、学校を休むことが増えて不登校になった。 それでもすぐに夏休みに入ったので、ずっと休んでいたのは9月の1ヶ月間。 10月に入ってからは少しずつまた学校に行き始めた。 けれど体調を崩しがちで、起立性調節障害も患っていた私には困難な日々が続き、結局卒業するまで殆どの日は午後から登校して職員室で過ごし
あ、この匂い、あのときのあれだ。 ってふと思うこと、ないだろうか。 私はある。 割と人間って、匂いに情報とかイメージとか、そう言うものを紐付けているのかも知れない。 匂いを嗅いだことで忘れかけてた記憶を呼び覚ましたり。そう言う意味では、匂いは記憶をしまっておく引き出しの、"取手"の役割をしているのかも。 甘い匂いとか、美味しそうな匂いとか、香料の香りとか。そんな人工的な香りも好きだけれど、私は自然の空気の匂いも好きだ。 雨が降る前の匂いとか、夏の蒸し暑い夜の匂いとか、
危ないものが好きだ。 危ないものと言っても、爆竹とか爆弾とかテロとか犯罪とか、そういうものではなく。 なんていうのかわからないけど、不安定な気持ちとか、危うげで儚げな人の裏面とか、そういう概念が好き。 好きというか、惹かれているのかもしれない。 全くの赤の他人の、SNSの病み垢をときどき見る。 別に特定の人、と言うわけではなく。私も病み垢はあるので、そこのタイムラインに流れてきた人のアカウントを見に行くだけ。 そこにはどろどろな感情と不特定の誰かに向けた救いへの懇願が吐き