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夏の日

時々思い出す記憶がある。今よりは涼しかった夏の日、家のソファに座って開いた窓から流れ込む風を受けていたこと。

なんてことない記憶だ。別に誰かと喋ったわけではないし、特別な日だったわけでもない。

でも、何度も何度も思い出して、なんて穏やかな時間だったのだろうかと回想に浸りたくなる、思い出。

窓はソファのすぐ後ろにあって、私は背もたれで後屈していた。でもすぐに目が回って、身体ごと窓の方へ向き直った。風の温度は覚えていない。涼しかった気もするし、ぬるかった気もする。

空の色も覚えていない。でも飛行機が飛んでいたことは覚えている。静かに飛んでいた飛行機。ほんとうに、この記憶には飛行機と風と私しかいない。

ささいなことなのに、別に意識していたわけではないのに、印象に残るような記憶はもっとたくさんあるのに、それよりもっと思い出す回数のある記憶。


そんな記憶はいくつかあるのだけれど、そのぜんぶが夏の日の記憶であることに気づいた。

夏休みの部活が終わった帰り道、ポケットにたまたま入っていた100円玉で自動販売機に売っていた青いサイダーを買ったこと、夏に家族で旅行に行った日、軽井沢のアウトレットモールが続く道を、照りの強い空を見上げて歩いたこと、真夏の朝、ベランダで洗濯物を干したときの、冷たく濡れた洗濯物の感触。


夏は嫌いだ。暑いのが苦手だから。それから、友達が亡くなったり、連絡が取れなくなった季節が夏だから。
なのに夏の記憶ばかりを覚えている。今も、少しだけ夏が恋しい。実際に夏が来たら忌まわしく思うのだろうけれど。

ないものねだりなのかもしれない。目の前にある季節じゃなくて、遠くにある季節を恋しく思う。


夏の夕方、誰もいない屋上で歌を歌ったときの、明日のことを考えなかった頭の中と美しかった夕焼けと、暑さ。
何年か前の夏だった。あの頃は夕方になれば幾分か暑さはやわらいで、外に出るのも今ほど苦ではなかった。
でも今の夏の暑さはもうとんでもなくて、夕方ですら外に出るのを躊躇う。夜でさえ毎晩が熱帯夜だ。

夏のきれいな、穏やかな思い出はもうできないのかと思っている。

でもそれは、夏が暑くなってしまったからなのか、それとも私が変わってしまったからなのか。


夏は嫌いでも、夏の日のあの記憶たちは、私にとって紛れもなく宝物である。

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