惹かれるものには似ていると
危ないものが好きだ。
危ないものと言っても、爆竹とか爆弾とかテロとか犯罪とか、そういうものではなく。
なんていうのかわからないけど、不安定な気持ちとか、危うげで儚げな人の裏面とか、そういう概念が好き。
好きというか、惹かれているのかもしれない。
全くの赤の他人の、SNSの病み垢をときどき見る。
別に特定の人、と言うわけではなく。私も病み垢はあるので、そこのタイムラインに流れてきた人のアカウントを見に行くだけ。
そこにはどろどろな感情と不特定の誰かに向けた救いへの懇願が吐き出されている。これはきっと「この人」の裏側の部分で、普段は普通に見える表を持っているんだろうな、と思う。私もそうだから。
ほとんどの場合、現実世界で人と出会うときにまず遭遇するのはその人の「表」な部分な訳で。
インターネットではいきなり「表」も知らない誰かの「裏」を簡単に覗けてしまうんだから、不思議な話である。
表を知られている人には、裏を見せたくない気持ちが強い。多分多数の人がそう思っているのではないかと思う。
表を知っている人に、裏も知って欲しいと思う人もいるのかもしれないけれど。
だから、そういう私たちにインターネットは向いている。
互いの裏だけを知って、繋がっている関係がある。
何だかまさに、インターネットは海のようだと感じるところだ。
本題に入る。私には何となく好きな人が数人いる。
恋愛的なものではなく、いわゆる推しみたいな。
推しなのか?と問われれば、少し返答に悩む。推しほどではないけれど、でも好きな人。
まあ、そういう人がいる。
その好きな人たちのひとりが活動者で、私は特段追っているわけではないけれど、でもたまに最近の動向を伺っている。
その好きな人は活動上で、かわいくて賢くて努力家で、少し茶目っ気があって。
最近、その人の裏を知った。
私が知ったのは最近だったけど、もう数年前に騒がれていたことだった。
いわゆるやらかし、みたいな。でも別にその好きな人にお咎めはなく、今も活動を続けている。
そのやらかしにはいくつかの事件が含まれているのだけれど、そのうちのひとつに別名義の裏垢が流出した、というものがあった。
いわゆる病み垢。もうアカウントは見つからなかった。IDも名前も変わってると思う。
でもここはインターネット。ちょっと探したら、その好きな人の病み垢を観察してる…ファンなのかアンチなのかよくわからない人のアカウントを見つけた(別名義の病み垢を追い続けている時点で、善良なファンではないと思うけれど)。
そのアカウントももう更新されていなかったけれど、過去の投稿には、好きな人の病み垢の投稿のスクリーンショットが何枚も貼ってあった。
身震いした。インターネット怖。
特定を避けるために投稿の内容は伏せるけど、まあそこまで闇が深い、と言うものではなかった。内容も短い(スクリーンショットの内容は)。
でも、まあ活動上で見ていた、かわいくて賢くて努力家で、少し茶目っ気がある好きな人のイメージを覆すのには充分なもので。
すごく驚いた訳ではなかった(他の好きな人たちの裏も見てきたことがあるし)けど、意外は意外だった。
別にそれを見ても今まで通り、好きな人に対する好きの気持ちは変わらない。ただそこに、「あんな気持ちを隠しながらこの顔をしているんだ」と言う愛しさのようなものが増えた。
冒頭に述べた、危ないもの…隠された負の感情とか、不安定で揺らいでいる状態とか。それらの具体例を述べるとしたら、これになる。
その好きな人の話はこれで終わり。
私は、ある言葉を思い出した。
「自分が好きなキャラとか、推しとか、惹かれるものって、自分に似ている部分があるかららしいよ」
事実かどうかは不明。でも、好きなキャラとか推しを連想したときに思いつく共通点はあって、確かにそれが自分にもあるかと言われたら肯定する。
もちろん、他の人はどうか知らないし、偶然かも知れないし、意識しすぎなだけかもしれない。
…これがキャラクター、人物以外にも適用されるか不明だが、もし適用されるなら。
不安定な闇のような、危ないもの、表では見せない危ない揺らぎを抱えた人、概念が好きという嗜好があるのは、私に似ているからだとしたら?
自己嫌悪。
好きなものは好きと思いたいのに、それが自分と共通するからだなんて考えたら、途端に否定したくなる。
明るいとか、優しいとか、あたたかいとか、そういうものも好きだし、それが自分に共通するから好きなのだと聞いたら嬉しい。
でも、アンダーグラウンドな部分も好きで。
いっそのこと私が厨二病で、「えっ闇が好きなのは私にも闇があるからってこと!?うれしーーーーーー!!」ってなれたら良かったとさえ思う。
でもそうは思えないから葛藤が生まれるわけで。
たぶんこの嗜好は正常ではない。
正常が何かわからないし、正常についての定義も知らないが。
だからといって異常、なのかと問われれば異常とも言い切れないかも知れない。
白黒で判断できないこの事象こそ、不安定だ。
正常でもないし異常とも言い切れないから、これは誰にも言わないでおこう。
この文章を読んだあなたにだけ明かす秘密だ。
私が書いた「自分に似ている部分があるから好きになる」という理論だが、そんなに間に受けないで欲しい。別に私が生み出したものではないし、誰が言い出したのかもわからないし、憧れを好きになった人がそう思いたくて吹聴しただけかもしれないから。
だからこれは、もしそうだとしたら、という仮定の話に過ぎない。
でも、不安定な揺らぎが自分にあることで、それを好きと感じるのだとしたら、今まで必死に目を背けてきたものが突然目の前を塞ぐようで苦しくなるのだ。
いつか、「危ないもの」に惹かれなくなったら私は正常になったと言えるのだろうか。
けれどそうなったときは、過去の私が抱えたつらさを切り捨てるときで、それを想像するとそれはそれで、とても悲しくなる。
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