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うつつ

遠い、と思う。

私は夢想家だ。「こうだったらいいな」の叶わない夢を描き続けている。
その中に、「大人になったらきっとこの職業についているだろうな」というものがある。憧れの職業だけれど、それはとても狭き門であり、成功するかどうかもわからないし、まだ世間一般に受け入れられているとは言い難い職業だ。親にも「これになりたい」と言ったらきっと渋い顔をされるだろうなと思う。

でも私はその職業に憧れていて、なんだかんだなれるんじゃないかと思っている。


その姿を想像しているときは幸せだ。夢を叶えて充実した生活を送っている私。憧れの人と並んで仕事をする私。
でも、ふと今に戻ってきたとき、それらはあっという間に溶けていって、私の前には「明日」に対するゆるやかな絶望だけが残っている。

明日のことを頭に浮かべると、とてつもなく死にたくなる。「明日」がずっと続く。夢には程遠くつらい毎日が、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと。死にたい。


脳内はそれで、埋め尽くされている。

感化されやすい人間だと思う。憧れの人はころころ変わる(憧れなくなるわけではないけれど、もっとも近づきたくなる人が変わりやすい)し、一度どっぷりと憧れてしまうと、その人と同じ道を辿りたくなる。今なんて、「その人」になりたいとすら思っている。その人の経歴を調べあげて、その人の人生がとても素敵だと感じて、その人と同じ高校に行けば良かったと後悔している。なんなら今から転校したいと本当に思っているのだ。そもそも募集が出るかわからないし、多分受からないし、2回も転校するなんて許されたことではないけれど。


でも、でも、その道に進んだら、あなたの後を追えば、私も幸せに──充実して、笑える毎日を送れるようになれるのではないかと夢見てしまうのだ。


それからまた現実に急速に戻ってくる。通信制高校に通う自分、落ちていく学力、染みついたマイナス思考と人見知り、「その人」とはかけ離れた価値観と性格。

届かないものに手を伸ばし続ける。馬鹿じゃないのと笑ってみるが、でも心の半分くらいが「出来るかもしれない」で埋まっているのです。無理でしょう。──わかんないじゃん。

「その人」になりたくて、考え方を無理にでも寄せようとすらしている。本心では違うことを思っているのに、無理やり心を捻じ曲げて、「これでいい」と信じ込ませようとする。

その癖「その人に近づきたいこと」「そのために違う道に行きたいこと」は誰にも言えない。

馬鹿みたいだ。

きっと叶うだろう、と微かに信じている未来ははるか向こうで、遠くてたまらない。今だってその未来へ地続きになっているのに、では努力をしなければいけないのに、できない。

涙がとまらない。死にたい。変わりたい変われない努力がしたい努力ができない向こう側に行きたい向こう側に行けない転学したいできない叱られたくない私は無能だ何もできないくせになにをゆめみているのかはやくしんでしまえどうせ何も叶わないまま命を無駄にし続けるのだから。



あたまがとれてしまえばいいとおもった。
もうなにもかんがえたくないって、所詮そんな話。

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