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🔶私の好きな奈良:岡寺 草壁皇子が住んだ岡宮跡 名僧達を育てた義淵が創建
岡寺をご存じでしょうか。
明日香村の東側、岡山の中腹にあるこの岡寺は、西国三十三所観音霊場の第七番札所として、また日本最初の厄除け霊場としても知られています。
もともと東光山・真珠院・龍蓋寺(りゅうがいじ)という山号・院号・寺名がありますが、古くから、飛鳥の岡にある寺という意味で、親しみを込めて「岡寺」と呼ばれており、宗教法人としての名も龍蓋寺ではなく岡寺となっています。
開祖である義淵(ぎえん)は、703年に朝廷から僧正(僧官の最上位)に任命されました。大仏建立に尽力した行基、東大寺の開山である良弁、遣唐使僧として帰国後活躍した玄昉など、他にも時代を造った多くの名僧を育てたことでも知られます。
岡寺について、義淵の足跡と共に、見ていきましょう。
開祖 義淵の出生 草壁皇子と共に育った伝承
義淵の出生については、平安時代に書かれた「扶桑略記」や「東大寺要録」に、父母が長年観音菩薩に祈願して授かった子との記録があります。寺のホームページによると、「伝説」として次のように記載されています。
大和国高市郡に子供に恵まれない夫婦がおり、彼等は日々観音様に子が授かるよう祈りを捧げていました。そんなある日の夜突然子供の泣き声がして、夫婦が表に出てみると柴垣の上に白い布に包まれた赤子がおり、驚き中に連れて入ると馥郁たる香りがたちまちに家の中に満ちました。その後この夫婦に養育されていましたが、その噂を聞いた天智天皇は観音様の申し子だとしてこの子供を引き取られ、岡宮で草壁皇子とともに育てられました。この子供こそ後の義淵僧正その人である。というのが出生の伝説です。
草壁皇子は天智天皇にとっては弟・大海人皇子(後の天武天皇)と、娘・鸕野讃良(後の持統天皇)の子ですから、甥であり孫にあたります。
草壁皇子が生きたのは662年~689年、一方の義淵は生年不詳と言われますが、643年頃の生まれ(没年は728年)との記録もあります。正確な年齢差は不明ですが、同じ時期に同じ場所で過ごしたとしても矛盾はありません。
龍蓋寺 名前の由来
のちに義淵は、草壁皇子とともに育ったと言われる岡宮の地を与えられ、龍蓋寺を建立しました。「龍蓋寺」という寺名は、740年、751年の正倉院文書に見られ、現在の吉野町にあった龍門寺とともに、義淵が国家隆泰、藤原氏繁栄のために建立したとの記載が、醍醐寺蔵「諸事縁起集」の「龍門寺縁起」にあります。
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奈良のいろいろなところを訪れた記録です。あまり馴染みのない人が読んでも魅力が伝わる様、わかりやすく紹介できればと思います。
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