PISIA

小学生の頃、書き物が好きでした。 その後、約50年のブランクを経て、物が書きたくなって…

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小学生の頃、書き物が好きでした。 その後、約50年のブランクを経て、物が書きたくなってきてnoteを始めました。 名前は、MISIAさんが好きだったり諸々の理由から、PISIA(ぴーしゃ)にしてます。 第二の人生に足を踏み入れたオジイですが、よろしくお願いします!

最近の記事

🔶私の好きな奈良:秋篠寺 苔生す境内に残る本堂と天平仏 我が国唯一の伎芸天

奈良市の秋篠寺。 秋篠宮殿下の名称の由来となったこともあり、奈良の有名寺院の一つとして知られていますね。 一方で、静寂を重んじるこのお寺は、多人数の団体による拝観は受けつけていないため、奈良には修学旅行で来ただけという方の場合、コースには入っていなかったかも知れません。 人気のお寺ですので、既に個人的に訪れたという方は多いかと思います。 今回は、まだあまりご存じない人にもお伝えできる様、創建からの歴史や現在の姿について、書いてみたいと思います。 創建と歴史 奈良時代末

    • 「話せばわかる」は9割正しい 残りは…

      「話せばわかる」は、1932年に発生した5.15事件に端を発します。 当時の総理大臣・犬養孝が国家改造を目指す海軍青年将校に銃を向けられ、相手を説得しようと、この「話せばわかる」という趣旨の言葉を繰り返したと伝えられます。 結局、犬養総理大臣は「問答無用」として射殺されてしまいました。 残念ながら話すことが解決に繋がらなかった事例です。 ただ私個人的には、平時であれば、勇気をもって話してみることで、9割ぐらいの確率で状況が好転するように感じています。 皆さんはどのように思

      • 🔶私の好きな奈良:葛城一言主神社 雄略天皇と対面 のち役行者と対立の伝承

        葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)をご存じでしょうか。 奈良県御所市で葛城山東麓に東面して鎮座する神社で、延喜式神名帳における式内社です。 全国の一言主神社の総本社となっており、地元では「いちごんさん」と呼ばれています。一言の願いであれば何でも叶えてもらえる神とされ、「無言まいり」の神として篤い信仰を受けています。 この一言主とは、古事記の下つ巻が初出で、第21代の雄略天皇との対面が描かれています。また、その後も続日本紀や日本霊異記などに登場し、修験道の祖であ

        • 🔶私の好きな奈良:室生寺 女人高野 多くの国宝を有する山峡の名刹

          室生寺を訪れたことはありますか? 大和高原と宇陀山地に囲まれた山峡の地にあり、最寄りの近鉄室生口大野駅から7km。駅からのバスは蛇行する室生川の流れに沿って進みますが、途中には集落がほぼありません。 この先に多くの国宝を有する巨大寺院が本当にあるのか?と不安になりながら、途中の停留所には殆ど停まることなく進むと、室生寺前のバス停に到着してほっとします。門前の宿やみやげ物店が、静かに並んでいます。 昔は女人禁制であった高野山に対し女人高野と呼ばれていました。奥まった山峡の

        🔶私の好きな奈良:秋篠寺 苔生す境内に残る本堂と天平仏 我が国唯一の伎芸天

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        • 🔶私の好きな奈良:葛城一言主神社 雄略天皇と対面 のち役行者と対立の伝承

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          誰もに訪れる「老い」について

          noteユーザーには、いろんな年齢の方がいらっしゃると思います。 還暦を過ぎた私は高齢者グループ… 気持ちは30代40代のつもりでいましたが、年月は勝手に進んでいきます。 それとともに、自分という生物も、知らない間に老いてきていました。 いま、ミッドライフクライシスという言葉があるようです。 中年期特有の心理的危機のことを指し、職場や家庭での環境変化に加え、加齢による身体的変化もその要因の一つと言われます。 今回は、私自身が経験している、加齢によると思われる変化に、個人的

          誰もに訪れる「老い」について

          🔶私の好きな奈良:西大寺 出家した孝謙女帝が信頼する道鏡と戦勝祈願し創建

          写真は奈良市にある西大寺の東門です。 東と西が違うだけですが、大仏で有名な世界遺産の東大寺と比べると、ちょっと知名度が劣るのではないかと思います。ところが実はこの西大寺は、奈良時代には東大寺に相対・匹敵するほどの大寺だったのです。 今回は西大寺について、その創建から衰退、復興までの歴史と、現在の姿について書いていきます。 孝謙天皇の即位 西大寺の建立を発願したのは、奈良時代後半の孝謙天皇(のちに称徳天皇として重祚=ちょうそ:再び天皇として即位すること)です。 孝謙天

          🔶私の好きな奈良:西大寺 出家した孝謙女帝が信頼する道鏡と戦勝祈願し創建

          🔶私の好きな奈良:石上神宮 伝承通りに神剣が出土して150年 日本最古の神宮

          天理市にある石上神宮(いそのかみじんぐう)。 タイトルの写真は国宝の拝殿、左後方に屋根の千木(ちぎ)が見えるのが本殿です。 日本書紀に記された「神宮」は、伊勢神宮と石上神宮だけで、この石上神宮は日本最古の神宮と言われています。 ところで、「神宮」というのは「神社」とどう違うのか、ご存じですか? 神社本庁のホームページには、以下の記載があります。 整理すると、 ・「神宮」、「大社」、「神社」などは神社名につけられる「社号」 ・「神宮」は皇室の祖先を祀っているか、特別なゆか

          🔶私の好きな奈良:石上神宮 伝承通りに神剣が出土して150年 日本最古の神宮

          🔶私の好きな奈良:聖徳太子の斑鳩宮 三井の地に法輪寺 世界遺産の法起寺三重塔

          タイトルの写真は、奈良県斑鳩町の法起寺です。 三重の塔は現存最古の三重の塔として、世界遺産「法隆寺地域の仏教建造物」のなかでは唯一、法隆寺外から登録されています。 法隆寺については47の建造物が登録されており、あまりにも膨大な数の構成資産があるため別の機会に譲るとして、今回は飛鳥の地を離れて斑鳩宮を築いた厩戸王(聖徳太子:574-622年)のこと、当時の時代背景など大まかな流れを整理し、斑鳩三塔に数えられる法輪寺、法起寺に触れてみます。 斑鳩宮建設は推古天皇の時代 日本

          🔶私の好きな奈良:聖徳太子の斑鳩宮 三井の地に法輪寺 世界遺産の法起寺三重塔

          「未来のためにできること」は、「過去を大切にすること」

          はじめに 昭和生まれの私にとって、未来とは鉄腕アトムやドラえもんに描かれた夢の世界でした。 21世紀になって四半世紀が経過します。当時の想像を超えて発展した分野がある一方で、失望せざるをえない現状も少なくありません。 「#未来のためにできること」がテーマになっているのも、未来に対する危機感の裏返しである様に思います。 科学技術の進歩 人類の発展には、科学技術が欠かせません。 例えば、私たちが当たり前に使っているスマートフォンやインターネットのない生活は、今や考えられ

          「未来のためにできること」は、「過去を大切にすること」

          この気候変動をどうやって生き抜く?

          今年の暑さはクレイジーだ。 私が住んでいる奈良の7月8月の熱帯夜は36日、隣の大阪は53日だ。 9月に入っても一向に涼しくならない。 昔は寝るときにエアコンをつけることはなかったが、今は終日つけないと過ごせない。 これが今年だけのことで、来年は普通に戻る、ということならいい。 でも、多分どんどん気温は上がり続けるのだろう。 何でこんなに暑くなったのか。 主因は化石燃料の消費による温室効果ガスの増加と言われている。 太陽光の強度の影響がより強いと主張する人もいる。 い

          この気候変動をどうやって生き抜く?

          🔶私の好きな奈良:吉野神宮 南朝正統論が高まり明治に創建された官幣大社

          タイトルの写真は、奈良県南部の吉野町にある吉野神宮の拝殿です。この奥に本殿があります。 8月のある日、お昼前に撮った写真ですが、何か気が付くことはないでしょうか? 光の当たり方とか、影の具合とか… 夏の太陽が建物の背後から射し、逆行気味の写真となっていますね。 ふつう、神社や寺院ではあまり見ない光の当たり具合です。 そう、多くの寺社では本殿が南あるいは東向きに建っているのに対し、この神社の本殿は北向きに建っています。 主祭神である後醍醐天皇が、京都のある北を向いているから

          🔶私の好きな奈良:吉野神宮 南朝正統論が高まり明治に創建された官幣大社

          🔶私の好きな奈良:岡寺 草壁皇子が住んだ岡宮跡 名僧達を育てた義淵が創建

          岡寺をご存じでしょうか。 明日香村の東側、岡山の中腹にあるこの岡寺は、西国三十三所観音霊場の第七番札所として、また日本最初の厄除け霊場としても知られています。 もともと東光山・真珠院・龍蓋寺(りゅうがいじ)という山号・院号・寺名がありますが、古くから、飛鳥の岡にある寺という意味で、親しみを込めて「岡寺」と呼ばれており、宗教法人としての名も龍蓋寺ではなく岡寺となっています。 開祖である義淵(ぎえん)は、703年に朝廷から僧正(僧官の最上位)に任命されました。大仏建立に尽力

          🔶私の好きな奈良:岡寺 草壁皇子が住んだ岡宮跡 名僧達を育てた義淵が創建

          人生 折り返し点を過ぎて思うこと

          知らないうちに人生の折り返し点を過ぎていた 人生って長いようで短い。 ついこの間、高校生だったように感じるのに、気が付くとセカンドライフに入っていた。 知らない間に人生の折り返し点を過ぎている。 ていうか、折り返し点はだいぶん前で、平均寿命的にはもう1/3も残っていない。 本当に何十年も経ったの?という感じがする。 この間の年月は矢のように過ぎたのだろうか?  どうやって過ごしてきたのだろう。 幸い、フォトアルバムにあちらこちらに出かけた記録がある。 いろいろ楽しい

          人生 折り返し点を過ぎて思うこと

          🔶私の好きな奈良:鏡作坐天照御魂神社 三種の神器を造った鏡作職人の氏神

          古代の鏡というと、どのようなものを思い浮かべますか? 弥生時代に、中国や朝鮮半島から青銅鏡がもたらされたのが、日本列島における鏡の始まりとされます。当時、鏡は祭祀の道具であり、古墳時代以降は副葬品となるなど、その後も特別なものとして大切に扱われてきました。 八咫鏡(やたのかがみ)が、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)とともに三種の神器として皇室に伝わっていることはみなさんご存じの通りです。 今回は、そんな鏡を造る古代工人鏡作集団がいたとされる鏡

          🔶私の好きな奈良:鏡作坐天照御魂神社 三種の神器を造った鏡作職人の氏神

          🔶私の好きな奈良:喜光寺「試みの大仏殿」 民の救済を続け、天皇をも動かした行基

          写真は喜光寺の本堂です。 もとは奈良時代の創建で、この建物は鎌倉時代に再建されたものですが、何か別の建物に似ている様に感じませんか? 実はこれは「試みの大仏殿」と呼ばれています。のちに東大寺大仏殿の建立を依頼されることになる行基が、元正天皇の勅願を受け任された菅原寺に、雛形としてこの本堂を建てたと伝承されています。 喜光寺 もとは菅原寺 奈良市菅原町にある喜光寺、もとは菅原寺という名前でした。天満宮で有名な菅原道真のルーツがある土地です。 行基の信者が寄進した住居が菅

          🔶私の好きな奈良:喜光寺「試みの大仏殿」 民の救済を続け、天皇をも動かした行基

          🔶私の好きな奈良:日の沈む山に埋葬された悲運の大津皇子 鳥谷口古墳

          タイトルの写真は何だかご存じでしょうか? いかつい鉄格子の様な扉で閉められており、監獄か何かの様にも見えてしまいますが、実は二上山(にじょうさん)麓にある鳥谷口(とりたにぐち)古墳です。 歴史好きの人なら、イケメンヒーロー大津皇子が、非業の死を遂げたあと、二上山の頂に葬られたという話を聞かれたことがあるかも知れません。宮内庁により、大津の墓は山頂の二上山墓と治定されていますが、近年の調査で、この鳥谷口古墳が真の墓ではという説が有力になっています。 今回は、二上山と大津皇子

          🔶私の好きな奈良:日の沈む山に埋葬された悲運の大津皇子 鳥谷口古墳