あなたは本当に会社から評価されたいと思っているのか?
先日、上司との期中面談があり、下記の指摘を受けました。
「プロアクティブさをもっと発揮できる余地がある。プロアクティブさは若手にとって分かりやすい差別化項目となる為、プロアクティブさを発揮する事を意識して欲しい」
どうやら私は「こいつは主体性・積極性がまだ足りん!」と上司に思われているようだ。裏を返せば、「よりプロアクティブに行動すれば、あなたの評価は上がるよ」という指摘とも読み取れる。
さて、困ったものだ。
上司からより評価されたいと思っている自分もいれば、別にそこまで評価を上げなくても良いと思ってる自分もいる。しかし、第三者の評価としてプロアクティブに動けていない自分がいる為、プロアクティブに動くにはどうすれば良いか考えてみたい。
そもそもプロアクティブの意味は何か。積極性・主体性・先見性を総じて表す形容詞として良く用いられるが、具体的な行動に落とし込むと、主導権を握ることがプロアクティブな行動だと理解している。つまり、私はまだ十分に主導権を握ろうとしていないということである。主導権を握るにはどうすれば良いのか。ここではテクニック論は割愛し、精神論に焦点を当ててみたい。テクニック論については、ネット記事や自己啓発本などに記載されているが、それら全ての根底にあるのはモチベーションだと理解している。
モチベーションとは何か。ここでは自分の描くビジョンに向かう為の心のエンジンと定義したい。
では、プロアクティブに行動できている人全員が自分の描くビジョンに向かう為の心のエンジンを備えているのだろうか。必ずしもそうではないであろう。プロアクティブに行動できている人には2パターン存在するのではないだろうか。
①仕事に向き合うモチベーションが高くて積極的に主導権を握ろうとする人
②仕事に向き合うモチベーションが特別高いわけではないが、テクニック論を理解した上で、積極的にそれを駆使して主導権を握ろうとする人
①と②では、結果は同じと言えど、そこにたどり着く過程の質に違いがある。まずはモチベーションのベクトルが違う。①の場合は、自分の描くビジョンがあり、それを積極的に実現しようとする意志が働いている。②の場合は、何か描きたいビジョンがあるわけではないが、より評価の高い理想の自分へ向かう意思が働いている。つまり①と②では、意思が働く目的が違うのである。マズローの欲求5段階説に当てはめると、①は自己実現欲求が働き、②は承認欲求が働いている。
①と②では心のエンジンが稼働する目的が違うわけだが、労働観も違うと考える。①の場合は、非常にシンプルで仕事は自己実現の手段である。②の場合は、少し複雑だと考える。一概に定義できないが、飽くまでも仕事は仕事として捉え、私生活との明確な区分けがあり、理想とする自分を実現する手段、または生活に必要なお金を稼ぐ手段といったところだろうか。表にまとめると下記の通りである。
さて、ここで重要なのは、自分の労働観を明確にするという事である。
自分の労働観によってモチベーションとの向き合い方も変わる為である。仮にあなたが仕事は自己実現の手段だと考えるのであれば、承認欲求を満たそうとするモチベーションは心のエンジンとして上手く機能しないだろう。また、あなたが仕事はお金を稼ぐ手段だと考えるのであれば、何か明確なビジョンを実現しようとしているベンチャー企業などの組織で働いても周囲との温度差が生じるだろう。逆に自分の描くビジョンが属する組織のビジョンと一致する場合、モチベーションはハイスペックな心のエンジンに化け、自然とプロアクティブに行動できるはずだ。私は自分に対する戒めも込めて世に問いたい。
「あなたは今の属する組織でくすぶっていないか?」
仕事は自己実現の手段だと思っているのに、無理して会社からの自分の評価を上げようとしていないだろうか?
仕事は生活に必要なお金を稼ぐ手段だと思っているのに、無理して企業ビジョンを実現しようとしていないだろうか?
個々のポテンシャルが120%発揮され、自然とプロアクティブに行動できる瞬間とはモチベーションのベクトルと労働観が合致した時だと私は考える。両者の不一致は誰も幸せにしない。今の組織で評価されていないからと言って、別の組織でも評価されないという事は決してないはずだ(私の面談評価の言い訳にも聞こえるかもしれませんが(笑))。
決して仕事はいつも楽しいものではないです。ただ、自分の中での納得感・しっくり感を心から抱ける働き方・職場・職種は、誰にでもきっとあるはずだと信じてます。