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#78 打ち込める喜びを噛み締めて

僕はかつて、依存体質に悩まされていた。
かつて付き合っていた女性に対して、その体質を発揮してしまい、相手を疲れさせてしまったこともある。
とにかく誰かと一緒にいないと、約束をしないと強い寂しさに襲われてしまうのである。

そんな体質を自覚してなんとか治そうと思い、色々調べたことがある。
そこで大概の書籍やサイトに書かれてある解決方法は……

打ち込めるものを見つける、というものだった。

何に打ち込めばいいんだろう

打ち込むとは
・その事に全精力を注ぐ。熱中する。夢中になる。
・頭や精神に強く入れる。

デジタル大辞泉(小学館)より抜粋

上記の記事で、趣味を持つことは意外とハードルが高いと書いた。
打ち込むものというのもそれと同様……
いや、それ以上にハードルが高いのではないか。
少なくとも依存体質に悩まされていたときの僕は感じていた。

いったい何に打ち込めばいいのだろう、と。

全精力を注げるもの。
熱中できるもの。
夢中になれるもの。

つまり「推し」と言い換えることもできる。
至る所でこの言葉が使われるようになったから、「推し」を持つことがさも当たり前のようになっているけれど、持っていない人もいると思う。
そういう人からしてみれば、「推し」を見つけるってかなり難しい。

「推し」を持つことは幸福なこと

リタイア直後の父はまさしく打ち込めるものがないようだった。
それまで仕事に打ち込んでいたからである。
それが途端に無くなってしまったとき、父は一気に老けていった。

「推し」がいるかいないか。
打ち込めるものがあるかないか。
これは思っている以上に、人間の心身に影響してくるのだと思う。

自分には好きなものはある。
けれど、全精力を注げられるものがあるかといえば自信がなかった。

上記の記事で、オタクの皆様への羨望を書いたけれど、それはまさしく自分が打ち込めるものを持っていないからこそだった。

世の中には打ち込めるものの選択肢が無限と言っていいほどある。
ある友達は、Vtuberを追いかけることに打ち込んでいる。
ある友達は、毎週の競馬予想に打ち込んでいる。
ある友達は、美味しい日本酒の探求に打ち込んでいる。
ある友達は、子育てと仕事に打ち込んでいる。

打ち込んでいる人たちからは、やはり多幸感が伝わってくる。
数多ある選択肢の中から打ち込めるものを見つけること。
それは、とてもとても幸福なことなのだと思うのだ。

何かに打ち込める喜び

長らく打ち込めるものを見つけられなかったけれど、ここに来てようやく見つけることができた。

それこそまさしく、noteである。

上記のオタクをテーマにした記事には自信がないと書いていた。
それから約1か月。
約80日、毎日記事執筆をし続けた今!
noteは打ち込むほどのものではないなんて到底言えたものではない!

それこそ一時はnoteに依存しかけた時期もあった。
そこでなんとか距離感を保ち、日々何を書こうかと思案している。
noterの方々の更新を楽しみにするのと同じくらい、果たして自分は今日どんな記事が書けるのだろうとワクワクしている自分がいる。

趣味の小説執筆にもモチベーションが高まってきているので、もっと広く「書くこと」に打ち込むことができていると言っていいのかもしれない。

正直、書いている最中は苦しいこともある。
昨日のように、時折書けなくて困ってしまうこともある。
だが、こんな苦しみも打ち込んでいるからこそなのかもしれない。

つらつらと文章を紡いでいるとき。
そして、自分の考えが一つの記事や小説になったとき。
そこに強い達成感を覚えるのと共に、書くことに打ち込めている喜びを日々感じている。

だから僕は今日も書く。明日も書く。
ようやく何かに打ち込むことができているのだから。


余談

最近、自分の興味と強みを活かしつつ、読者の皆様の少しでもためになるような記事の企画を考え付きました。
それを最初の有料記事チャレンジにしようかと思っています。

実現するかどうかは、自分の努力次第。
自分の軸にするには、まだまだ勉強が必要だと痛感しています。
なので、きっとまだちょっと先になるとは思いますが、絶対に書きたい!

何にせよ、あれ書きたい、これ書きたいと思えている時点で、書くことに打ち込めていることを実感しています。
これも読んでくれている皆様のおかげです。


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立竹落花
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