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#124 「豆腐メンタル」もまた個性

僕は常に自分を変えたいと思って生きてきた。
体型も性格も何もかも――!
とにかく今の自分のままでなければいいとさえ思っていた。
過去形にしているけれど、今でもそう思っている節はある。

僕が今一番変えたいと思っているところは、メンタルの弱さである。
少し傷つけば崩れる、いわゆる「豆腐メンタル」を変えたい。

そう思って生きているけれど、なかなか強くなれないでいる。
そうしてまた落ち込むという日々が今も続いているのだった。

メンタルの弱い自分を全否定

ちょっと仕事上でミスをしてしまうとすぐに凹む。
ちょっと怒られただけでもひどく傷ついてしまう。
物事がうまくいかなければ、すぐに自分を否定してしまう。

ああ、なんて自分は弱いんだ――。
と、意味のない自己否定を繰り返してしまうのだ。

適応障害になったときは、毎日自分を否定し続けていた。
メンタルの弱い自分という人生を生きたくない。
社会に適応できないほど弱い自分なんて大嫌い。

豆腐メンタルを変えたい! 強くなりたい!

何度もそう思っては、自己啓発本を読んだり、心理学を勉強したりしていた。
けれど、一向にメンタルが強くはならない。

どうすれば変わるんだろう。
どうすれば強くなれるんだろう。

そう思い悩んでいたのだが、最近ふと気づいたことがある。
この「メンタルの弱い自分」というのを認めたことがあっただろうかと。

認めると変えるはワンセット

自己否定から始まる自己変革は、永遠に終わることはないのだと思う。
変えても変えても、その変わった自分を肯定することができないからだ。

では、どうすればいいのか。
月並みであるが、まずは自分を認めることが大切なのだろう。
「今の自分のままでもいい。だけど、こうした方がもっと素晴らしい自分になれるから変えてみよう」という具合に。

実際、プラスに変わっていることについて、変わる前の自分を否定していないことに気が付く。
食生活も「(今のままでもいいけど)こっちの方がもっと美味しく健康でいられるんじゃないか」と考えながら工夫をしているし、
時間の使い方も「(今のままでもいいけど)こうした方が読書の時間を多く確保できるのではないか」と実験を重ねながら改良をしている。

自分を認めることと自分を変えることはセットなのかもしれない。
日々の生活を振り返ってみて、そう思った。

そう考えると、自分のこの豆腐メンタルを認めたことは今までで一度もないなと思った。
ただただメンタルの弱さを否定し、変えたいとだけ思っていたから。

だけど、メンタルが弱いことをどう認めればいいのかがわからなかった。
だが、たまたま見つけたページに書かれてあったありふれた単語によって、豆腐メンタルを認めるための光明が差したのだった。

それは、「個性」という言葉である。

豆腐メンタルだって個性の一つだ

上記のページの最初の一文に、僕はひらめきを得た。

メンタルの弱さを個性として認め、配慮する考え方が浸透しはじめています。

【メンタル弱いから仕事続かない】プレッシャーに弱い人などが仕事を選ぶ方法 - CANVAS|若手社会人の『悩み』と『疑問』に答えるポータルサイトより引用

そのたった二文字の言葉で、自分のメンタルの弱さを少し認めることができたような気がした。
そうか、この豆腐メンタルというのもまた個性の一つなのか、と。

そう認められた瞬間、僕はなぜかポケモンを思い出したのだった。
どんなポケモンにだって何らかの弱点はある。
めちゃくちゃ強いミュウツーだってリザードンだって、弱点のタイプがあるわけだ。
それだって彼らの個性であって、それを認めたうえでどのような技を覚えさせるか、どのようなチームで戦うかを考えるのである。

メンタルが弱い自分というのもそれと一緒なのかもしれない。
メンタルが弱いというのを認めたうえで、どのように生きていけばいいのか。自分にある強みをどのように活かしていけばいいのかを考えた方がいいのかもしれない。

僕は、豆腐メンタルの持ち主だ。それは僕の個性の一つだ。
そんな些細な気付きを約1700字の記事にできた今こそ、その個性を強みに転換できた瞬間なのかもしれない。


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立竹落花
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