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#103 書くことで癒される

僕は、ストレスを受けやすく、溜めやすいという自覚がある。
ちょっとしたことでネガティブになるし、傷つくし……。
そんなネガティブ状態を、若い頃は野放しにしていたから、今以上に「生きづらい」と思っていた。

だから、いかにストレス発散が生きる上で大切かが身に染みている。
ストレスを発散することは、自分を癒すこと、大切にすることなのだ。

しかし、長い間「どうやってストレスを発散するのか」に悩んでいた。
周りの友達や同僚に尋ねてみると……

「推しの動画を見ることだな」
「ゆったりした音楽を聴いてボーっとすることかなぁ」
「カラオケで大声出しまくってるね」
「とにかく寝る!」

話を聞いていると、本当にさまざまで興味深い。
もちろん僕も友達や同僚と同じような方法を持っている。
けれど、一番ストレス発散を感じられる方法がある。

それは、書くことである。

日記がなんでも吐き出せる場所

かれこれ僕は10年以上、日記をつけている。
毎日必ず書いているわけではないが、感情の高ぶりがあったときはそれを文章に起こすようにしている。

今使っている日記でこれで11冊目
かれこれ1年以上使っている
コーヒーのシミや折れなどもあるけど、それだけ身近に頼っているもの

noteを始めようと最初に宣言したのもこの日記だった。
他人には絶対に見せられない自分の気持ちを、唯一受け止めてくれるのがこのノートなのである。

書くことは、頭や心の整理にもなる。
少なくとも僕は、定期的に整理しないとすぐに頭や心の中がとっ散らかってしまう。
自分の持っていた目標や行動指針なども、気づけば見失ってしまう。
そういうときにも、日記をつけることで改めて背筋を伸ばせるのである。

何より日記に頼るときは、やはりネガティブになったときだ。
ダメダメモードになったとき。
傷つくようなことがあったとき。
イライラモヤモヤが頭の中に充満したとき。

それらを静かに発散できる日記は、僕にとって最大の逃げ場所なのである。

もちろん頭の中にある愚痴や不満を、そのまま自由に文章にできるのも日記の素晴らしいところ。
だが、手書きの日記の利点は、感情そのものを文字にできるところ。

手書きへの愛を以前記事にしたが、これも手書きが好きなところの一つ。
PCやスマホだとできないことである。

こんな感じ
感情を自由に爆発させられるのも手書きならではだ
ちなみにこれは本記事を書くためにわざと書いたもの
今は画面の前でニコニコしてます

書くことそのものが自己肯定

本記事を書くにあたり、「書くこと」が本当に癒しに繋がるのかを調べた。
今回書いたことを「ジャーナリング」と呼ぶのだそうだ。

確かに自分の気持ちを書くことというのは「瞑想」なのかもしれない。
周りのことを一切気にせず、「いまここ」に集中することができるから。
やはり書くことはストレス発散に繋がっていたことを知れたのが嬉しい。

今回、感情を爆発させられる点で手書きを推したけれど、どんな方法にしたって、文章を書くことは、自分を癒すことであり自己肯定だと思う。
もちろん書く内容にもよるけれど、書き上げたときというのは、どことなくスッキリしているものだ。

だから、noteを書くことも自己肯定のうちの一つ。
よりよく日々を過ごすために、これからも続けていこう。
と、この記事を書いたおかげで、とても前向きになれた。

やっぱり書くことって素晴らしい!


余談

皆様のストレス発散方法はなんでしょうか?

僕はまず読書
活字を追っていると、不思議とストレスが解けていく気がします。
そして、カラオケ
一人カラオケがメジャーになって嬉しい人類の一人です。
最後に、サイクリング
風を切って走るだけでストレスが霧散していく感じがします。
なので、自転車に乗っているときもニッコニコです。
補導されないように気をつけます。



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