世界一の幸せ者になるまで終わらないレース。
最近とても素敵な本に出合いました。
「アラン先生と不幸な8人」五百田達成 株式会社ワニブックス
「幸福論」で有名なアラン。「どこまでも楽観主義を貫き、幸せになるための実践的な方法について考え続けた哲学者」だそうです(本書p7より)。
そのアランマニアでもあるアラン先生と様々な悩みを抱えた生徒たちの関わりを通じ「幸せになるためには」どうしたらいいのか、アラン先生が答えていきます。
本書のなかで、社会的地位・より多い収入・よりいい家など「地位財」こそが幸せの条件なのでは?という、発言にアラン先生がこのように答えています。
どんなに努力しても「友達のほうがいい服を着ている」「隣の客のほうがいい肉をたべてる」と羨んで、勝手に不幸を感じるシステムだ。そんなルールの中で幸せ者になろうとしたら`世界一の幸せ者´になるしかない。完全に不毛な戦いじゃないですか。(「アラン先生と不幸な8人」五百田達成p262 株式会社ワニブックス)
「幸福」とは、誰かに比べて自分の方が多いか、少ないか。といったような相対的な判断で決まるものではなく、「今の自分がどう感じるか」が「幸福」の本質である。と、本書では繰り返し話されています。
「給料が多い」「良い家に住んでいる」「社会的地位がある」「見た目が良い」「家族が仲良し」「才能がある」等など。それらが、「幸福になるための条件」であるように思ってしまう。
しかし、何かに条件づけられて「幸福」が決まることはない。もし、幸福が給料の多さや、社会的地位、自身の才能によるものであったなら、それは永遠の比較レースの始まりです。だって、世の中には、どこに行ったって一部分を切り取れば「自分より多くを持つ人」に溢れています。「世界一の幸せ者」になるまで終わらないレースになってしまうのです。
そんなの、無理です。(笑)
「けど、この考え方をしていたら、全員ナマケモノになってしまうんじゃ?堕落まっしぐらじゃん!」
と、思ったのですが(本書にも私と同じような質問をしてくれた人がおります)、本書でアラン先生はこう答えます。
不遇な状況でも「これでいいんだ」と受け入れたなら、それが彼らにとっての幸せですよ。幸せは他人が決めるもんじゃない。p266
「あのときああしていれば」「あの会社に入れていれば」「あの時試験に受かっていたら」「違う家庭に生まれていたら」・・・いろいろな事を、考えますよね。
しかし、そのような「仮定」の話をしても何の意味もない。と。
永久に終わらない、このレースからいったん降りて。
「チョコレートが美味しい」「洗濯して気持ちがいい」「友達と話してたのしかった」などなど、「今の自分が感じる幸せ」を感じて、機嫌よく、生きていきたいものです。
人は、ずっと全力疾走することはできません。けど、ずっと怠けていても悲観的な考えが始まります。
そんなとき、このような楽観的な考えを心に持つことは、結局一番前進する力を人生にもたらすのではないか。そんなことを考える土曜日でした。