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読書の秋だからこそ、読書との向き合い方を見つめる【クリエイターフェス特別お題】

みなさん、こんばんは。禧螺です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


本日のお題タグでもある「#読書の秋2022」に相応しい時期になってきました。

何かの本を紹介しようか悩んだのですが、ここはあえて「読書」への気持ちを語ります。

「読みたいのに読めない」とか「これを読まないとダメなんだ」とかそう思われながら、読書をされることはありますでしょうか?



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私は最近、とても久しぶりに、スキル上達系の本を買いました。

理由は、もっと表現の幅を広げたい。

何もおかしいことではありません。

自分が持つ表現以上に、何か別の表現方法を得たいと思うことは、自分の「成長したい」という望みがわかっているからこそ、技術を修得するという行動を起こせているのでしょうから。

まずは、そうして行動を起こせた自分を褒める。


問題は、成長したいという気持ちで読めていた本が、自分へのダメ出しのように聞こえてくること。

「楽しみながら頑張るぞ」という気持ちが「こんなこともできないのか自分は!」という、自分を責めるためのものになってしまうこと。

そう思えてくると、だんだん文字が読めなくなってきたり、読書が義務になって、楽しめていたものが苦痛に変わる。

でも、できないうちは苦労するものだから、そんな気持ちの状態を甘んじて受け入れなければならないと思い込んで、疑わなくなる。

そうして、好きの気持ちが、いつの間にか苦痛に変わって、その苦痛を受け入れなければならないんだと思ってしまう。


なんだか、私が想像していた読書と違ってきます。

本を読んで、気持ちをすり減らしたり、気分を落ち込ませたいわけではないのです。

確かに、技術を修得するには、ある程度の負荷がかかります。

でもそれは、自分が「やってみたい」「したい」「楽しめる」と思える状態があるからです。

苦しい気持ちになるために、読書をするわけではない。

世の中で言う「偉い人」「デキる人」になりたくて読書をするわけではない。


自分のこころの中にある、安息の地を豊かにするために、潤わすために、読書をしたいし、そういう読書が好きなのです。


最近、自分の安息地のことを忘れていました。

今、波に乗っているから、このまま技術をめきめきと磨いていこう。

波に乗れているんだから、できるようになって当たり前。

そう思っていたら、もう一人の自分から「そんなに技術ばっかりにこだわるんなら、創作なんかしたくない!!いらない!!」と怒られてしまいました。

波に乗っている時ほど、技術が修得しやすいから、自分の気持ちを置いて行きやすくなる。

ないものねだりでしょうか。

でも、それを手に入れた後の自分は、一体どんな顔をしているのでしょうか。

清々しい表情でいるかしら、それとも、沈んでいるかしら。


読書のスタイルに「これはいい」とか「これはだめ」とか、ないと思います。

その人が本に触れて、その人なりに充実した時間が過ごせたら、読書を堪能されていると思うから。

そこに「人がどう言った」とか、正直いりません。

むしろ必要なのは「自分が今どんな文章に会いたいか」「どんな言葉を見つけたいのか」という気持ちの方だと思うのです。

その言葉や文章は、自分自身で落とし込んでいくものだから、それ自体が、いつのまにか自分のこころそのものになる、とも言えます。


私自身、この辺で一度、自分の読書の動機や環境を見直してみようと思います。

主に「その読書は、私のとっての安息の地になれているのか?」ということを、最優先軸にして考えて。



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トップ画像は ミオ様 からお借りしました!

ありがとうございました。


みなさんに、ここで出逢えて嬉しいです。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。


それでは、今日はここまでです。

みなさんの本日が、素敵なものでありますように。



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