混沌と希望の狭間をゆく創作
みなさん、こんばんは。禧螺です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
世間は昨日でバレンタイン終了しましたが、私の中では、私の都合によって、バレンタイン期間がまだ続いています。
もうしばらくこのお祭りテンションでいると思いますが、どうか温かい眼差しで見守ってくださると嬉しいです。
みなさんは創作される時、どんなことを考えていらっしゃいますか?
「気合い入れて創るぞ!うおぉぉぉぉぉ!!」
「よし、今回はあの部分をつくるぞ……!」
「これ、○○さんが喜んでくれたらいいなぁ💞」
「つくっても発表しなければ認知されないから、つくるしかない……」
様々な感情があります。
すべての思いに、創作に対するなんらかの強い思いがみられますね。
💖
作品をつくっている時の私。
「気合い入れて創るぞ!うおぉぉぉぉぉ!!」
もちろんですね。
あ、今「暑苦しい」と思われたでしょう?
創作する時って、ある程度の熱がいるのではないかと思っています。
誰からも相手にされなくとも、無関心のままでいられようとも、自分の「スキ」を表現するには、そうした悲しみとか、虚しさをも抱えられるほどの熱が、必要になってくることがあります。
熱を持ち続けるために、自分で、自創作大祭に狂っています。
毎日自創作について、ド派手に狂い踊ります。
その中で、誰か一人でも一緒に踊り狂ってくれることがあるのが、奇跡なのです。
💖
「よし、今回はあの部分をつくるぞ……!」
もちろんです。
あの部分をつくりたいと思っているからこそ、結果として、作品に具現化できたということがあります。
人から見たら何てこと無い部分ですし、中には「そんな部分のどこに魅力に感じるわけ?さっぱり理解出来ないんだけど?」と思われる人もいるでしょう。
理解も共感も欲しい時がありますが、それでも、喉から手がでるほどはいらないかなと、思ってます。
その部分があってこそ、その部分がないと、ここまで形にしたいだなんて思いません。
それくらい、私の創作したいこころを揺さぶってくれる、魅力があるものなのです。
💖
「これ、○○さんが喜んでくれたらいいなぁ💞」
当たり前過ぎるので、もちろんとは言いません。
あ、念のために言っておきますが、○○さんの部分は、必ずしも他人の名前が入るわけではないですよ。
どうぞ、ご自身のお名前を入れて差し上げることをお忘れなく。
自分以外の誰かが、創作に共感してくださったり、体感してくれることは、とても嬉しいですし感激しますが、その作品に一番長く付き合い、よく見ているのは、自分自身です。
だから、うっかり勘違いしそうになるのですが、その作品が完成した時に、一番嬉しいかったり、幸せな気持ちでいたりする人間が、他の人だとちょっと危ないです。
本当に歓喜に湧いていて欲しいのは、あなた自身なのですから。
💖
「つくっても発表しなければ認知されないから、つくるしかない……」
「以前の私が」そうでした。
つくっても、世に出さなければ認知されない。
「何を当たり前なことを…」と思われているかもしれませんが、こう考えること、場合によっては危険な思考です。
全てがすべて、認知されればいいものかを考えると、甚だ疑問です。
その認知されたい気持ちが、境界線を飛び越えて「この人に認められなければ、もうやっていけない」という気持ちになることがあるからです。
もし、その人が、あなたにとってのお気に入りの作品を「気に入らないから、跡形も無く潰して!」と言われた時、ためらいなく潰すことができますか。
その作品が、例えば命、生命であっても、同じように潰せますでしょうか。
人に評価を求める時があってもいいけれど「すべて」は、危険なのかもしれません。
💖
そんな気持ちを持っていて、それでもその時に向き合って、具現化されたのが、私の作品であり、あなたの作品です。
創作って面白いですね。
いろいろな感情と思考が混ざっています。
だから、あなたの創作にふれることが、興味深く、感慨深いのです。
💖
トップ画像は 狩野慎太朗(かりのしんたろう)様 からお借りしました。
ありがとうございました。
みなさんからのスキで、創作がはかどります。
この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。
それでは、今日はここまでです。
みなさん、今日もお疲れさまでした。
クリエイターの活動費として、使わせていただきます。 また、日本を中心とした、伝統文化を守り後世にも残して参りたいですので、その保護活動費としても使わせていただきます。