いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP ③ part.6
みなさん、こんばんは。禧螺です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
いよいよバレンタインが間近に迫ってきて、創作界隈は、絵や小説の掲載がハート多め、スキ多め、感謝の気持ちの行き交いは、普段よりも多く見られるように思います。
この空気がイベントが始まる毎に浸透するのではなく、実生活で常に浸透して欲しいなぁと願っています。
本日は土曜日
「いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP」
の日です。
読まれる方の数の変動があると、自分の発信にどこか変なのだろうかと感じることがあります。
ですが、これを続けたいと一番に思っているのは自分ですし、その文章に就いてきてくださる人は、自分の「やりたい」を貫いた結果のプレゼントであり、私にとってかけがえのない方々です。
いつもありがとうございます、今日もこの連載を見守ってくださると嬉しいです。
それでは、参ります。
読み進めていく書籍は、
です。
「前回って、どんな話題だったっけ?」な方に向けて、前の記事を貼っておきます。
また「バックナンバーが見たいです!」な方に向けても、マガジンを貼り付けますので、好きな記事をご覧ください。
ナンバリングが続いていますが、原則1記事完結で読めるように書いていますので、よろしければご覧ください。
「HSP関連」の記事を収納しているマガジン↓
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はじめに
最初にお断りしておきます。
この記事は、「HSP」や「生きづらさ」に関連した本の、
レビューではありません。
この連載の構成は、
という
個人の主観、思考や感性に基づいて、紹介する本を、みなさんに
「感じたよ」「学んだよ」「ここの部分をいかしたいと思うよ」
という「表現」を、共有させていただく記事です。
ここで書かれたことだけを鵜呑みにせず、少しでも、自分の中で、
何か「ひっかかった」・「気になって仕方ない」
と感じられた時は、
ご自身で、その書籍をご覧いただくことを、強くおすすめします。
ですので、
という方は、申し訳ないですが、
・他のクリエイター様によるレビュー記事や、レビューサイト
・出版社のホームページ
で、お探しください。
以上の点をご検討いただいた上で、ご覧くださいますよう、
よろしくお願いいたします。
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【感想:第2章 罪悪感と羞恥心に苛まれてしまう 「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」(2)】
罪悪感と羞恥心はいつも私の中にいて、ことあるごとに、私に話しかけてくる。
「そんなふうなだから、みんな私が嫌いになっちゃうんだよ」
「誰かを支援したいって気持ちは、実質的なことができない間は、持たない方がいいんだよ」
そうして、私の「こうありたい」「こうしてみたい」を、ことごとく摘んでいってしまって、生きる力を奪っていってしまう。
最初は、自分から「生」を奪われているなんて、思いもしなかった。
むしろ、「私の失敗や恥を以てして、世の中の常識や正しさをみんなで確認し合っていて、私はそれを体現するのに調度良い、選ばれた人間なんだ」とさえ思っていた。
これが、とんでもない勘違いであることは、数十年も経った後の話。
罪悪感や羞恥心の存在は知っている。
知っているけれど、向き合うのが怖い。
人からも何を言われるかでビクビクしているのに、自分自身からはどんな罵声が飛んでくるか分からない。
その罪悪感や羞恥心は、私が傷付くことを望んでいて、私自身も罪悪感や羞恥心を感じさせてしまったお詫びとして、自分を傷付けてもいいと思っている。
そうした状態を「当たり前」であり「当然のことだ」と信じて、疑問さえ持たなくなることが、真の恐怖だ。
真の恐怖は、簡単に人を死に追いやってしまう。
私は、正直に生きることで、楽に生きられると思っていた。
楽なのは、自分自身に対する楽なのであって、他人から受ける評価が楽になる、ということではない。
どんな思考、信念を持ったところで、必ず反対してくる人間はいて、その人たちに、自分を明け渡し過ぎていた。
どんなに周囲から言われることがあっても、最終的に判断し、身体を動かして実際に行動出来るのは、私の意志と意識、肉体でしかないのに。
そうして向き合っても、また、罪悪感と羞恥心は、となりにやってくる。
嫌だな、逃げたいな。
でも、その先に、私を迎え入れてくれる何かがあると信じているから、心折れながらも、打ちひしがれても、向き合う。
「今、ここ」……ここで会う人たちは、今までの罪悪感や羞恥心に向き合ってきたからこそ、出会えてる。
そんな出会いを信じて、私は今日も罪と恥と共に生きている。
💟
【学んだこと】
私自身が、まだ自分のHSPの気質に振り回されている段階だった時、罪悪感を罪悪感とも思わず、羞恥心を羞恥心とも思いませんでした。
全て「私には足りないもの」として捉えていて、これが人から認めてもらえるようにクリアできないと、人としてダメな人間になるんだと、思っていました。
しかも、これはつい数年前までの話です。
ここまでくると、もはや、洗脳レベルにまで達していると考えてもおかしくないほど、人の考えや行動を決定付けてしまうものだとわかります。
「他人事だ」と思って、馬鹿にはできません。
サン博士によると、罪悪感には2種類あるそうです。
HSP気質の強い方は、後者の「度を超した罪悪感」を抱きやすいことが多く、それ以上に、何にでも対して、謝り過ぎてしまうという傾向があるとのことです。
この、度を超した罪悪感の例ですが、以下のようなことが具体的に考えられます。
どんなに自分が出来る範囲のことで、しっかりやっていたにしても、予期せぬ出来事や、自分の力ではどうにもできないことが起こります。
一番目の例を挙げて言うならば、全くの第三者同士の交通事故を、自分の持つ思念だとか実際的な財力で、起こさせないようにするのは、まず無理だと思います。
(私が、そうした能力をお持ちの方を、見たことないだけかもしれません。)
こうした
自分の力を及ばせないことに対しても、罪の意識を感じるのであれば、その罪悪感は行き過ぎている
と、教えてくださっています。
また、健康面での罪悪感についても、命自体が不確かなもので、どんなに健康管理していても、病気にかかる時はかかります。
そうした、
生命の危うさと自分の無力さに向き合うことが、過度な罪悪感に苛まれない自分をつくる第一歩
と、なるようです。
羞恥心について、私はなんとなく字の感じと、その言葉に合っている雰囲気で分かっていたつもりでしたが、サン博士の記述に、非常に興味深くなって、まさに目が釘付けになりました。
文章をそのまま抜粋します。
ここではっと感じたことですが、HSPさんは、深く物事を観察し情報処理ができるがゆえに、原因がわからないけれど、分かる部分だけでも、深く読み取って情報処理してしまい、確証はなくとも、想定出来ることの選択肢として、様々な考えが浮かんでくるのではないかなと思いました。
これに加えて、明るみに出る恐怖を考えると、何とかして自分の頭の中だけで解決しようと考える方が、多いのではないかと考えます。
実際に、私もこのことと似た考え方をするので、以前の自分の考え方と行動を振り返りつつ読んでいくと、目から鱗でした。
個人的な感想として、一人で何とかするには、できなくはないけど、時間も労力も大きく使う上に、至難の業だと感じます。
そんな羞恥心との向き合う方法の一つに、サン博士は
他の繊細な人たちと話すこと
を挙げられていました。
他の繊細な人たちと話して
「自分の感じる羞恥心は、自分だけではない」と安心できること
自己開示してみたくなる気持ち
が大事だと、言われていました。
その経験を積み重ねることによって、羞恥心が薄らいでいくとのことなので、完全に一人で克服することが、できないことではないけれど、現実的に難しいのだろうと思います。
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【自分でどのようにいかすか】
今回は特に、自分の中でいろいろつながった部分があります。
本当にありがたいことで、noteやTwitter以外で、関わりを持ってくださり、日々の敏感さで感じたことやそれぞれに励んでいることを話し合える、クリエイターさんとの交流が増えつつあります。
私も、個別でも関わってくださるみなさんはもちろん、ここでの関わりで、よくしてくださっているみなさんと、SNSを通してお話できる機会を得られるようになったのは、正直に嬉しい想定外でした。
おそらく、ここで記事としてお話できていることや、個別にオンライン上で会ってお話していること自体が、
私が持つ羞恥心に向き合うきっかけと力、お相手からの「大丈夫だよ」という温かいご支援を授けてくださっているのだ
と、思うのです。
「んな大袈裟な……」
「えええー?!そんなそんな、何もしてないよ💦」
と言われる方が多いのですが、私がここを続けていられるのも、HSPや好きなことを夢中でできるのは、あなた様が、私と関わってくれるおかげでもあります。
自分一人のためだけでなく、羞恥心に向き合うことで、応援してくださったり、一緒に歩いて行こうと励ましてくださる方がいるからです。
HSPさんにとって、話を聴いてもらえる、もしくは聴くというのは、単につらさや繊細でよかったことを、分かち合うだけのものではないと思います。
自分一人が背負ってきた罪悪感や羞恥心を、みんなで癒してもらう、そんな浄化に似た作用があるのでしょう。
今日も、この記事でお話を聴いてくれて、またはコメント欄でお話してくださって、本当にありがとうございます。
💟
みなさんからのスキに、いつも励まされています。
この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!
それでは、今日はここまでです。
みなさん、よい連休をお過ごしください。
クリエイターの活動費として、使わせていただきます。 また、日本を中心とした、伝統文化を守り後世にも残して参りたいですので、その保護活動費としても使わせていただきます。