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暗く、きわめて抑鬱。詩と日記と掌編小説を書く。

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マガジン

  • 蝋燭の詩

    詩をまとめました

  • 初見さん向け

    初見さんに読んでほしい記事や、個人的によく書けたなと思った文章だけをまとめました(というか、これ以外はあんまり読む価値がない)

  • 蝋燭の日記

    日記や回顧録をまとめました

  • 蝋燭のエッセイ

    エッセイをまとめました(注意:退屈で偏った思想を多分に含みます)

最近の記事

難破

 ただただ、ただただ、死にたいのだなぁ。  とめどなく、とりとめもなく、わけもなく溢れつづける哀しみでボロボロに剥けていく顔面の皮膚が、ほんとうに(ほんとうという言葉がこんなに熱く、眩く、眼球を焦すほどに、けれど見つめつづけたいと思わせるほどに美しく、僕のために灯ったことがあっただろうか)ただ、死にたいと声高に叫んでいる。  大好きだったはずのショートケーキが冷蔵庫のなかで油の塊と化していく日々だ。  舵輪が外れた、情緒の難破船に揺られつづけて耳鳴り。  もう、朝も来

    • 口紅

      「調子、どう?」 「(全然良くない。今日だって、ずっとベッドに横たわりながら天井を見ていた。頭のなかがうるさいんだ。メタルバンドのライブ会場で、スピーカーに耳を押し当てているくらい。君とこうして会話できていること自体、奇跡だ)それなりかなあ」 「良かった。……まあ、私といても良くならないしね」 「君のせいじゃないよ。誰かと一緒にいて鬱が良くなったという経験がない(悪化したことは多いけど)」 「自分のことしか信用できないからじゃない? 私は『この人といると安心するな』っ

      • 道行く健常者を「NPC視」してしまうとき

        ローゼンハン実験というものがある。(以下、Wikipediaリンク) 健常な協力者を用意する。彼らは精神科医に対して幻聴を訴える。 つまり「精神科医は正しく精神疾患を見抜けるか」ということを調べた実験である。 結果から言って見抜けなかった(それどころかほとんどの医師は統合失調症と誤診し、入院を勧めてしまった。ただし五十年前の実験ということもあって、現在では信憑性を疑問視する声もある)わけだが、僕が興味深く思った点はそこではない。 医師たちがまるで見抜けなかった協力者た

        • 救い

          寝室にて独り 目覚めたら気分が上向きになっている そう信じてただ眠る 思うに、鬱病患者には信仰心が必要ではないか 神が居ないなら、誰が僕を救えると言うのか 眠るしかない 夜が山のずっと向こうまで繋がっていたとしても 果たして、神が居なかったとしても 数珠繋ぎの絶望だ どうすれば無になれる 誰か 誰も、神も、居ない 終わりだ 終わりの連続体だ 煙草を吸って およそ愛と呼べるものは愛飲以外になくなった 終わりの共依存だ 勃起した十字架を潰れるほど握りしめ お互いにとっ

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          7本
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        記事

          初めて鬱だと診断された日

           初めて鬱だと診断された日、私は(あくまで個人的には)救われたような気持ちがしました。それまで頭の真んなかに寝そべっていた「死」という形の、わけのわからない記号が雪みたいに溶けていったのです。  一般に鬱病患者は初診を受けた際、自分が鬱病であるという事実に落胆するそうです。人非人の烙印を押されたような気持ちがするのでしょうか。はたまた、落胆できるほど自覚症状が少なかったのでしょうか。あるいは突然の宣告に脳のキャパシティを超えてしまうか。自死の口実を得た喜びに客我が気づいて絶望

          初めて鬱だと診断された日

          趣味快楽と鬱症状に関するメモ

          【前口上】 精神状態の荒波を乗りこなすうえで趣味快楽が重要な役割を担うことが最近ようやく自覚されてきた。 日々のなかで得た知見を自分なりに咀嚼し、再解釈したメモを、どこかの誰かの役に立てばそれもいいと思い、公開することとした。 元々自分用に書いていたものなので、箇条書きの、かなり偏った見方の記事となってしまったことをお許しいただきたい。 (あと、そんなに大した内容ではない) 【本論】 趣味快楽は大きく五つに大別される。 ①消費系 ②創造系 ③鍛錬系 ④育成系 ⑤瞑想

          趣味快楽と鬱症状に関するメモ

          精神のヌシ

           逃げたい!  自分の、精神世界の真んなかに鎮座する、ブルジュ・ハリファよりも大きな『ヌシ』の支配から!  僕のいくつもの精神は、ひとつひとつを注意深く紐解いてやれば、『ヌシ』から分岐した枝先の、葉末の一点一点に過ぎない。この、いま記事を書いている僕だってそうだ。  では『ヌシ』とは、樹幹のように強靭で、神のように絶対的な何かかと言われれば、まったくそんなことではない。ブヨブヨとした赤子だ。立ち上がることもままならない、喃語の巨人だ!あれが言葉を操れないせいで、僕は僕を理解で

          精神のヌシ

          享年、二十歳

          もしも神がいて 人間の寿命を二十歳にプログラムする そうしたら、どんなに幸福だろう! 秩序的に平等で、不平等にも無秩序となった僕等は 果てしなく自由で、あまりにも刹那だろう 大人なんて存在しない 大人っぽい子どもがいるだけ 小遣い程度の人生だ 昼過ぎに目覚め、夕方から働き、晩飯をどうしよう? 病的な量の合法ドラッグ 踵が浮くほどの、飢えたセックスに明け方 平等な命を生むんだ 平等に、平等に 義務教育のない草原に寝そべって詩を浮かべたら アナーキストの洞窟に集まって革命

          享年、二十歳

          漕艇

          非差別主義など嘘っぱちだ! もし非差別主義者が在ろうものなら、社会的生物たる主体を好んで引き剥がし、餓死寸前の戦争孤児のように痩せ細りながら独り、死を待つことだろう。 私の元に現れた自称・非差別主義者共は、そういった覚悟もなしに、ただ人畜無害な━━人畜無害という幻想も、フィクションと辞書のなかにしか存在しない紛い物であるが━━そうと言わんばかりのツラをして、一張羅でビル街を闊歩しやがるペテン師だった! 真に孤高たる非差別主義者は誰の前にも現れない。ホモ・サピエンスが一体、差別

          優しい人よ、剣を持て。

          「優しい人ほど不幸になっていくシステム」 ああ、資本主義のことです。 細路地にて。 赤ちゃんを抱いた男が前方からやってくる。 僕は歩速を落とし半身に構える。 彼は堂々たる振る舞いでツカツカと。 そうしてすれ違い様に僕だけが会釈する。 「あ!しまった!」と、自らの過ちに気づく僕。 僕には「子は国の宝」という右翼的発想がない。 単に、遺伝的連続体の断片としか見ていない。 (哀しいかな、「子持ちは周囲から親切にされて当然」という強者の遺伝子が、また一人分この世界に増えたわけだが

          優しい人よ、剣を持て。

          性悪説とユーモラス

          (※今回コメディ・テイスト多めです。資本主義社会の鉄錆びた歯車にはユーモアという潤滑油が足りていないので) ネットの泥濘からこんばんは。蝋です。 これ読んでる人、誰かいますかっていねーか、ハハ。 「一人くらいいるかも」というコンドームより薄い期待をメンタルに装着しながら、頑張って書きます。 少し気分がいい。黄色くてモチモチとしたラブラドール・レトリーバーを腕いっぱいに抱きしめる夢を見たから。 三百円のスピーカーで「風になる」を流すとイイ感じにLo-Fiっぽくなる。中世貴族

          性悪説とユーモラス

          ザッキ・ニッキ

          四月一日  フォロワーとライン。二時間半ほど通話する。  恋と性欲をテーマに議論する。血の通わない、冷たいタイルに寝そべっていた僕には、本質論者の叫びこそ新鮮な温もりだった。  生命の産声だ。獣臭い呼吸だ。そうだ、春がやってきた!  フォロワーからサークルの原稿を依頼され、僕は快諾し、さっそくプロットを話し合う。充実していた。  三月中旬に訪れた鬱の波なんて、見えなくなるほどに。 四月二日  フォロワーがイラスト制作を開始。原稿は、ある程度イラストが出来上がってから取り掛か

          ザッキ・ニッキ

          暴発

          暴発 肉体のピストルから放たれた、ヘビのようにグネグネと捩れた弾丸が君自信を撃ちぬくだろう。 いずれにせよ回転を続ける。縦に、横に。もとより上下が存在しない惑星で。 君は、何に恐怖する? 僕は、ようするに、という言葉に恐怖する。 それが射殺してしまうであろう、アイボリーにくすんだ言葉の数々。 ニビルに飛び散った青い血液を愛した人もいる。 いずれにせよ回転を続ける。縦に、横に。それら死骸を横切りながら。 路地裏にネコ。残飯をめぐって争う。 了

          ネズミになった夢を見たよ

           夢を見た。  僕はガールフレンドとともに、サイケデリックな配色の建造物へと侵入する。狂っているのは配色だけではない。柱や梁がグニャグニャと湾曲し、ディズニーランドのトゥーンタウンを想起させる。  先導する一匹のネズミ。僕はあの灰色の小動物をガールフレンドと認識している。それで僕自身もネズミに違いないと分かった。いったい、四足歩行のクオリアを手足に感じる。  紫色のカベの廊下に四つのドアがある。干し肉の匂いに誘われてガールフレンドはキッチンへ向かう。  僕は残り三つの部屋を偵

          ネズミになった夢を見たよ

          都会というモルヒネ

           本懐ばかり探して生きていると、果たして、本懐など存在しないという予感が、恐ろしいことにある種の人間性を帯びてくるのです。  有機質の輪郭に、これまた有機質の髪や髭が生え、ザラザラ、モチモチとした触感を覚えます。  一旦立ち止まって考えます。  ……自分とは何だっただろう。  齢25にして、まるで床に臥す耄碌のような頭でこのような問いを編み出しながら(厳密には比喩ではなく、明らかに自分は最期までこの解を持ち合わせないだろうという確信が、5時に東から登った陽がおよそ12時間

          都会というモルヒネ

          「不幸」換金型ビジネス

          世の中には人の不幸を願う仕事がたくさんある。 3.11の時、報道ステーションを見ながら思った。 行方不明者数が増えるほど、番組の視聴率は上がっていくだろう。 逆に、復興が進んでいけば世間の関心は薄れていくだろう。 コロナが流行って同じことを思った。 東京の新規感染者数が一日三桁以上ならマスコミにとって喜ばしいことこの上ない。 僕がマスコミ嫌いだから特別に冷遇しているのではない。 誰かが不幸になるとなぜか儲かる、そんな事例がいくらでもある。 例えば栄養ドリンク……なんで

          「不幸」換金型ビジネス