詩人ポール・ヴァレリーの時間論が、哲学者アンリ・ベルクソンに近い。
今回の記事では、第Ⅱ部第一章にて、「時間のあり方」に注目します。
詩人はみな、独自の時間を、つかめているのだろうか。
その矛盾を超えるためには、自らの内に秘める男性性と女性性のバランスをとらねばなりません。それで、ヴァレリーのバランスを保つべく、女性性を活性化し得る女性たちが、彼の周りに現れたのではなかろうか。
清水徹『ヴァレリー 知性と感性の相克』(岩波新書)では、ヴァレリーの四度の大恋愛を通して、彼の人物像に迫っています。彼を、ただの女好き、と評価する人もいるようだが、そういうことではありません。
格闘する詩人の知性を生かしたのは、彼女たちです。
ところで、ヴァレリーは、形式としての「現在」を問います。
以上、言語学的制約から自由になるために。つづく。
この書物に触れる記事は六つあります。次の「伊藤亜紗『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』にて(錯綜体)」という記事が、それらのまとめです。