ジョン・ボイン『縞模様のパジャマの少年』(千葉茂樹 訳)『ヒトラーと暮らした少年』(原田勝 訳)人間の愚かさを描いた、いまこそ読むべき二冊
ジョン・ボインの『縞模様のパジャマの少年』と『ヒトラーと暮らした少年』を読んだのは、2019年だった。
いまふり返ると、まだ平和な時代だったような気がする。
このたった3年のあいだで、世界中でコロナが蔓延し、どの国も不安と閉塞感におおわれ、ロシアがウクライナに侵攻し、日本では元首相が銃撃され、多くの人が物価高に苦しんでいるというのに、防衛費が膨らみ続けている。
第二次世界大戦下のナチス政権を舞台とするこの二作は、戦争のむごたらしさや人間の愚かさを描いていると同時に、純粋に物語として非常におもしろい小説であり、2019年に読んだときはそのおもしろさの方が強く印象に残ったけれど、不穏な空気が強まりつつあるいま、戦争のむごたらしさや人間の愚かさが思い出され、やるせない気持ちになる。
『縞模様のパジャマの少年』のあらすじ
『縞模様のパジャマの少年』は刊行当時から話題を呼び、30か国以上で出版され、映画化もされたのでご存じのかたも多いかもしれない。
第二次世界大戦中、ベルリンの豪邸で暮らしていたブルーノは、一家が見知らぬ土地へ引っ越すことになったと唐突に告げられる。なんでも、偉い軍人であるお父さんの仕事場が変わったためらしい。新しい家は辺鄙な森のなかにあり、周囲には何もない。ブルーノは学校に通うこともできず、家庭教師と勉強することになったので、同年代の友達もまったくできない。
でも窓の外をよく見ると、森の向こうにフェンスが立っていて、フェンスの奥に小屋のようなものが並んでいるのが見える。もしかして、あれがお父さんの仕事場なのだろうか?
こっそりとフェンスのそばまで探検すると、丸刈りに縞模様のパジャマ姿の同じ歳くらいの男の子に出会った。引っ越してきて、はじめてのお友達だ! ブルーノは喜んで、その男の子と仲良くなろうとするが、どうも様子がおかしい……
無邪気さが呼びこむ悲劇
そう、この小屋というのが強制収容所であり、お父さんはおそらく収容所の所長クラスの職についているのだと想像できる。家には「ソートーさま」と「エバ」が訪ねてくるくらいなのだから、かなりの高い地位であるようだ。
しかし、ブルーノはお父さんの仕事についてはもちろん、収容所についても何も知らず、新しい「友達」シュムエルが見たこともないくらいやせ細り、悲しげであっても深く考えたりはしない。
九歳だから当然なのかもしれないと思いつつ、それでももうちょっと世事に通じていたり、カンのいい子はいるのではないかという気もするが、裕福な家のお坊ちゃまとして育てられてきたブルーノは無邪気で優しい心の持ち主ではあるが、おそろしいほど無知で鈍感だ。
もちろん、人並みの敏感さを持ち合わせていたら、いくら子どもであっても、収容所には近づいてはいけないと察しがつくだろうから、中盤くらいまでイライラさせられたブルーノの無知と鈍感さが、この物語を成立させるのに必要な要素となっている。ブルーノの無邪気さによって、最後の悲劇がいっそうひきたてられるのだ。
この悲劇は、「友情」の帰結なのか、それとも「因果応報」、親の因果が子に報い…というと古すぎだが、と読み取るべきなのか、判断に困った。いや、どちらかが正解というわけではないとわかっているのだけれど。
ブルーノがシュムエルを思う気持ちは純粋な友情だったと言ってもいいが、シュムエルの方はどう思っていたのか、大体あれほどの無理解のもとで友情が成り立つのか? など考えてしまった。
『ヒトラーと暮らした少年』のあらすじ
そして、この姉妹編とも言える『ヒトラーと暮らした少年』。こちらの主人公ピエロは、ブルーノとはまったく異なる境遇にいる。
ドイツ人の父親とフランス人の母親のもとに生まれ、パリで暮らすピエロだったが、父親は第一次世界大戦に従軍したトラウマのせいでアルコール依存症となり、まともに働くこともできず、酒を飲んでは母親に暴力をふるっていた。結局、父親はピエロが四歳のときに家を出て、そのまま列車に轢かれて死んでしまう。
ピエロは四歳から七歳までの三年間、毎日、二階でママンが客に給仕をしているあいだ、その部屋にすわって午後を過ごした。そして、口には出さないものの、毎日父親のことを思いだしていた。目の前にパパがいて、朝、制服に着がえ、一日の終わりにチップを数える姿を……
そうして、ピエロと母親のふたり暮らしがはじまるが、ちょうどアパートの下の階に住むユダヤ人のアンシェルも父親を亡くしていたため、まるで兄弟のようにずっと一緒に過ごすようになる。
アンシェルは生まれつき耳が聞こえないので、ふたりは手話で会話をしながらボール遊びや読書に興じ、ときにはアンシェルが作った物語で遊ぶこともあった。アンシェルは作家になるのが夢だったのだ。
ところが、ピエロが七歳のときに母親が結核にかかり、あっという間に命を落とす。身寄りのなくなったピエロは、アンシェルともはなればなれになって孤児院に送られ、父親の妹のベアトリクスおばさんに引き取られることになり、おばさんが家政婦をしている山荘で暮らしはじめる。
ある日、ふだんは留守にしている山荘の主がやって来たので、ピエロはおばさんに言われたとおり、力強く、はっきりと挨拶する。
「ハイル・ヒトラー!」と……
立場が異なる者との「友情」
本格的に物語が展開するのはここからだが、ピエロの人格が形成される背景が描かれた序章が、この小説の要だと思う。
このあと、ピエロはヒトラーの信奉者となっていくのだが、その心理の裏には、父親への憧憬、自分を庇護してくれる強い者を求める気持ちがあったことが、この悲しい生い立ちから理解できる。
先にも書いたように、『縞模様のパジャマの少年』とはまったく別の物語だけど、あとから読み返して気づいたが、『縞模様のパジャマの少年』に出てくる登場人物がちらほらと顔を出している。
どちらの作品も、ナチス政権下において、正反対の立場にある者同士のあいだで生まれる「友情」がテーマとなっている。
しかし、「友情」と言えるものなのかあやふやだった『縞模様のパジャマの少年』とちがい、この『ヒトラーと暮らした少年』は正面から「友情」を取り扱っていて、洞察がより深まっている。
さらに、登場人物たちの人物像も『ヒトラーと暮らした少年』の方が複雑に描かれているので、『縞模様のパジャマの少年』のような衝撃はないが、最後の場面の感動はいっそう胸に迫る。なので、ぜひ二冊とも読んでほしい。
ナチス政権やユダヤ人迫害を取り扱った物語は数多くあるが、この二作のように、ナチスの内部に入りこんだ子どもの視点から、つまり加害に加担した子どもという立場から描いているのは異色ではないだろうか。
彼らは知識もなく、自分たちの周囲が何をしているのかもよくわからないまま巻きこまれていく。恐ろしいと感じる反面、誰の身にも起こり得る物語だともつくづく思う。
『ヒトラーと暮らした少年』の訳者、原田勝さんによるあとがきではこう書かれている。
そして原田さんは、2022年12月8日付のブログでもこう書いている。
自分も含めて人間はみな愚かであること、誰もが加害者になりうること、取り返しのつかない事態を防ぐためにどうしたらいいのか、そんなことについて考えさせられるこの二作、いまこそぜひ読むべき本だと言えるだろう。
(2022/12/10 2019/8/30付はてなブログ記事を加筆修正)
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