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現代のアメリカを代表する短編集『The Best American Short Stories 2022』① ローレン・グロフ「The Wind」
さて、6/24の『マナートの娘たち』読書会に向けて、現代を代表する短編小説をもっと知ろうと、『The Best American Short Stories 2022』を読んでいる。
この本にはタイトルのとおり、2022年にアメリカで発表された短編のなかから選りすぐった20編が収められている。毎年刊行されているが、選者は年によって変わり、2022年はアンドリュー・ショーン・グリア、前回紹介した『レス』の作者が務めている。
個々の収録作品の前に、冒頭に掲載された選者による評を紹介したいと思う。小説のプロである小説家は、どういう観点から読み解いて評価するのかということが、実にわかりやすく、そして興味深く書かれているからだ。
Readers, I bring good news: the American short story is thriving. …………Who says a nineteenth-century art form can't flourish in the twenty-first? This is my introduction, so I say it can!
『レス』と同様に軽快な文体ではあるが、アメリカの短編小説が活況を呈していると神の宣託のような口調で述べ、19世紀に確立された芸術の形態が21世紀になっても衰えることなく花盛りだと力強く言い切っているさまからは、小説に対するゆるぎない確信が感じられる。
では、すぐれた小説とはどういうものなのか?
選考にあたり、アンドリュー・ショーン・グリアが重視したのは、「The language in which it is told」だと書いている。
We are rightfully interested in what the story is about, but equally important (and mostly unexamined) is the language in which it is told.
何について語っているのかも大事だが、それをどういう言葉で語っているのかも同じくらい大事(精査されないことが多いが)――たしかに、この短編集に収められている作品は、移民や人種の問題を扱った物語から、ごく個人的でささやかな話まで内容は幅広いが、共通しているのは語り口に工夫を凝らしている点だ。いや、語り口に工夫のない小説はすぐれた小説ではないのは言うまでもないことだけど。
具体的な例として、この短編集に収められた作品のなかでもひときわ印象に残る一編、つまりベスト・オブ・ベストのひとつ、ローレン・グロフの「The Wind」を紹介する。物語はこんなふうにはじまる。
Pretend, the mother had said when she crept to her daughter’s room in the night, that tomorrow is just an ordinary day.
夜、母親は娘の部屋に忍び入り、明日はごくふつうの日のようにふるまいなさいと言う。そこで娘はいつものように起きてトーストを焼き、ふたりの弟を連れてスクールバスに乗る。
ところが、車に乗った母親が3人を迎えに来る。娘は弟たちとともにバスから降りて、母親の車に乗る。そして母と子の逃避行がはじまる。
暴力的な夫(父親)から逃げる。よくある話だとも言える。けれどもグロフのテンポのいい文体によってスリルが増幅し、3人が感じている恐怖がひしひしと伝わってきて、読者はこの母子が無事に逃げられるよう、思わず手に汗を握って祈る。
この要素だけでもじゅうぶんに上質のサスペンスになっているのだが、この物語の肝は別のところにある。
先に引用した冒頭を読むと、三人称で書かれた小説のように感じる。しかしその先を読むと、「娘」が自分の母親であるということが明かされる。つまり、「娘」の「娘」が母親から聞かされた話を語るという構造になっているのだ。
その時点で、逃避行の顛末がどうなるにせよ、少なくとも「娘」が暴力や事故で命を落とすことはなかったとわかるので、一瞬安堵しかけるが、最後の最後にぞっとする一節が記されている。
But always inside my mother there would blow a silent wind, a wind that died and gusted again, raging throughout her life, touching every moment she lived after this one.
タイトルにもなっているwind、silent windとはいったい何なのか?
暴力にさらされて育った「娘」のなかで、どういうものが吹き荒れていたのか?
そんな母に育てられた語り手はいったいなにを受け継いだのか?
アンドリュー・ショーン・グリアも、この小説が「娘」の「娘」によって語られていることを選評で指摘し、こう続けている。
It makes the story somehow grander and more terrifying, because it is a story passed down through generations, a story told to make sense of who these women are.
「娘」の「娘」が語っていることによって、この物語の奥行きが広がり、いっそう恐怖が増す。その次は、the storyではなく、a storyとなっているので、この小説にかぎらず、この種の物語は普遍的なものとして次世代に引き継がれ、この種の女たちの在り方をわからせるために――make sense of は他人に理解させるという意味も、自分が納得するためにという意味もあるのかもしれない――語られる物語であると述べている。
ローレン・グロフはニューヨーク州出身の作家であり、前々回紹介した『恋しくて』に短編「L・デバードとアリエット――愛の物語」が収録されている。単著としては『運命と復讐』『丸い地球のどこかの曲がり角で』が訳されていて、『運命と復讐』は全米図書賞最終候補作である。この2冊も読むべき作品なのはまちがいない(←自分に言っている)。
と、選評も合わせて紹介していたら、今回は1作のみになってしまいましたが、今後も『The Best American Short Stories 2022』収録作品を紹介していきたいと思います。