縁野 凜

文豪ゆかりの宿や寺社仏閣を巡る旅行記、随筆を更新しております。 今でも語り継がれる物語の執筆や舞台となった宿、寺社仏閣の御由緒などをまとめて行きます。 いつか、本を一冊出すことが夢です。言葉にしておくとね。叶いそうですからね。

縁野 凜

文豪ゆかりの宿や寺社仏閣を巡る旅行記、随筆を更新しております。 今でも語り継がれる物語の執筆や舞台となった宿、寺社仏閣の御由緒などをまとめて行きます。 いつか、本を一冊出すことが夢です。言葉にしておくとね。叶いそうですからね。

マガジン

  • 創作大賞2024応募作品

    note創作大賞2024、エッセイ部門への応募作品まとめマガジンです。 応援していただけましたら幸いです。

  • 【随筆】人生は苦難から学びを得る

    ようやく手に入れた心穏やかに暮らせる日々。それまでにはいくつかの苦難があった。現在の私はそれを乗り越えてきたことで存在する。ありふれた話かもしれないが、何処かにいる、誰かに届けば喜ばしい限り。

  • 我慢のヒト

    私の母は我慢の人。我慢。我慢。また我慢。我慢の人生だ。 彼女は幼い頃から家族の世話に追われていた。 友達と遊ぶこともなく。何もしない母や姉に対して不満を抱くことも無く働き続けた。 ようやく掴んだ幸せもやがて崩れ去った。 彼女の手から幸せが零れ落ちていく。

  • 縁凜旅行記

    著者が訪れた旅先での感動を皆様にもお伝えしたいという思いで書いた記事まとめ。本当は教えたくないお宿ばかりだったり。

  • note公式マガジン追加記事まとめ

    嬉しいことに、note公式「今日の注目記事」「旅行・おでかけピックアップ」「ホテル・フォトアルバム」に取り上げていただいた記事まとめです。

最近の記事

【随筆】線香花火

樹々の間から海を見下ろす展望台に一人立つ。 隣には誰もいない。 中学生の時に家を飛び出し、半ば強引に住み着いたのがとある友人の家。 友人の部屋は母屋から離れた場所にあり、しばらく匿ってもらおうと考えていた。 ご両親にも可愛がっていただいていたため、上手くいけばなし崩し的にそのまま暮らしていければなどと、子供の甘い考えでの行動であった。 今でこそ有り得ない状況であるし、即捜索願案件なのだとは思うのだが、当時のまだ穏やかさが残る時代の風潮と、両親同士の話合い、父の内弁慶、そして

    • 【随筆】我慢の女 最終章

      十二年。あっという間だった。この間、顔が見たいと思ったことが無かったわけではい。会いたくて。寂しくて。心配で。心配で。このまま二度と会うことが出来なくなるかもしれない、そう思うだけで胸が張り裂けそうなほどに苦しくもあった。だがどうしても許すことが出来なかった。意地っ張りだと言われればそれまでだ。強情だと言われてもその通りだとしか言えない。四十を越えた今となっては、何にそんなに腹を立てていたのかも忘れてしまった。潮時。私がこうして悩み、泥水をすすり、泥の中を這いずり回りながらも

      • 【随筆】我慢の女 第三章

        何度学校からの呼び出しがあっただろう。 何度警察署へ迎えに行っただろう。 家にいる時に電話が鳴ると、動悸がするようになった。そんな時の予感は当たるもので、警察や学校の担任の先生から長男が起こした悪事が伝えられる。私は受話器を持ちながらとにかく頭を下げる。 「申し訳ございません」「ご迷惑をおかけしました」 相変わらず家には帰って来ないのだけれど、こうして長男が元気であることを知る。でも、ちょっとだけ疲れてきたかな。 次男も「兄貴と同じ学校に行く」と言って、長男が通う高校を受験を

        • 【随筆】我慢の女 第二章

          高速道路を降り、しばらく走ると段々と建物と建物の間が広くなってくる。 目的地に到着するとそこは一面田んぼと畑。川沿いに伸びる、駅の無い細長い町であった。 夫の実家があるからここには何度も来ている。長閑で良いところだなとも思っていた。まさか住むことになるとは思っていなかったから。 町営住宅。間取りは一階に六畳一間と板の間の台所。二階に六畳間、四畳半一間の3K。昭和47年建築。あの時で築20年か。古くもない気はするけど、見た目はそれよりずっと古く感じた。 廊下や階段の軋み、壁の

        マガジン

        • 創作大賞2024応募作品
          10本
        • 【随筆】人生は苦難から学びを得る
          8本
        • 我慢のヒト
          4本
        • 縁凜旅行記
          7本
        • note公式マガジン追加記事まとめ
          7本
        • 厄年だから神社巡る
          17本

        記事

          【随筆】我慢の女 第一章

          「おどっつぁんも俺も姉ちゃんも忙しいんだがら、おめぇが全部やんだがんない!」 当時の福島では女でも自らを「俺」と呼んだ。 私の母が福島弁でそんなことを捲し立てる。 小学校へ上がって間もなくの話だ。 当時の私はそれが当然のことなのだと思っていたし、親に言われたのだから従うのも当然なのだと疑いもせずにそう思っていた。 家族4人分の食事を三食作り、家中の掃除をし、夜には薪を焚いて風呂を沸かす。 当然なのだ。これは私がやらなければならないことなのだ。 家の敷地にあるアパートも我が家

          【随筆】我慢の女 第一章

          これまで訪れた文豪ゆかりの宿 記事目次

          同じ空気を味わうかつて文豪達が現在でも語り継がれる名作を執筆した、若しくは舞台とした宿が現在でも宿泊することが出来る。 それはもちろん決して簡単なことではない。 古くは大正から残る建物を維持している宿もある。 文豪達が吸った空気、触った柱、見た景色を現在でも味わうことが出来るというのは、一種奇跡のようなものだと思う。 川端 康成「雪国」の舞台となった越後湯沢 高半は老朽化のため現在は新しい建物となっている。 館内には川端執筆の部屋がそのままの姿で保存されているが、環境が環境

          これまで訪れた文豪ゆかりの宿 記事目次

          川端康成 伊豆の踊子の舞台 湯ヶ野 福田屋で時間旅行

          私の伊豆の旅は幸いにもそのような雨には降られることはなく晴天に恵まれた。 ノーベル文学賞受賞作家、川端 康成が旧制一高(現 東京大学教養学部)の学生時代、孤独に悩み、憂鬱から逃れるため一人旅で訪れた伊豆の旅路。 その中で出会った旅芸人一座と共にした数日間を描いたのが、川端初期の代表作「伊豆の踊子」 その作品内での「私」こと川端と旅芸人の同行の旅は、このトンネルの先から始まる。 私が訪れた当日の気温は10度、陽の光は暖かいが強く冷たい風が吹いていた。 トンネルの向こうに小

          川端康成 伊豆の踊子の舞台 湯ヶ野 福田屋で時間旅行

          島崎藤村ゆかりの宿 湯河原 伊藤屋で時間旅行

          木曾路はすべて山の中である。 このような書き出しで始まる島崎藤村による長編小説「夜明け前」の原案を練ったとされる宿が湯河原にある。 当日は大粒の雨が降っていた。 若干の気持ちの落ち込みを感じながらも、文豪や墨客、要人達が愛した宿への期待に胸が高鳴っていた。 国道135号線湯河原温泉入口から温泉街へ向けて走る。 千歳川沿いに走ると伊藤屋の数軒手前、交番脇に駐車場入り口がある。 入り口は車一台分程の細い道だが、奥には6台程の駐車スペースが広がっている。 画像奥に見えるのは和

          島崎藤村ゆかりの宿 湯河原 伊藤屋で時間旅行

          【随筆】因果

          母の許に引き取られ、父と一つ上の姉と三人で暮らした家から出ることになった。 胸から抜け落ちる感情と、新たに湧き上がる感情とが渦を巻く。 姉が心配であった。 家を出たとはいえ母と暮らす町は隣町。 会おうと思えばいつでも会うことが叶う距離ではあるのだけれど、心の中から父への想いは日毎薄れてきている。 本当ならば今も一緒に暮らしているはずだった姉は、父が一人になると可哀想だからと父の許に残った。 父は仕事から帰ると酒を飲み始め、酔ってくると二人を部屋から呼び出して怒鳴り始める。

          【随筆】因果

          沖縄移住に失敗した男が美味い沖縄そばを紹介していく 2024年2月再訪分追記、画像追加

          今回は約一年半という移住と呼ぶには短い期間ではあったが、沖縄滞在中に食べた沖縄そばの中でも特に私がおすすめしたいお店をご紹介。 有名なお店は食べ終えて、次はどこに行こうかと迷っておられる観光客の方に参考にしていただけたら幸いでございます。 木灰そば木灰そば とらや 木灰と書いて「もっかい」や「もくはい」と読む。 現在多くの沖縄そばの麺は小麦粉、塩、かん水で作られているのだが、戦前はかん水の代わりに木灰が使用されていた。 こう書くと灰を練り込んでいるとイメージしてしまうがそ

          沖縄移住に失敗した男が美味い沖縄そばを紹介していく 2024年2月再訪分追記、画像追加

          厄年を乗り越えろ 番外編 2月22日は猫の日 猫にまつわる東京の寺社

          本日は2024年2月22日。 今回調べて初めて知ったのだが、1987年に猫の鳴き声「にゃん・にゃん・にゃん」の語呂合わせで「猫の日実行委員会」によって2月22日は「猫の日」と制定されたとのこと。色々な委員会があるものだ。 今回はそんな猫の日ということで、最近訪れた猫にまつわる東京の神社、お寺をご紹介。 猫にまつわる寺社今戸神社 御祭神 應神天皇 伊弉諾尊 伊弉冉尊 福禄寿 夫婦神である伊弉諾尊、伊弉冉尊を御祭神として祀る縁結び、恋愛成就で有名な神社で、いつ訪れてもカップ

          厄年を乗り越えろ 番外編 2月22日は猫の日 猫にまつわる東京の寺社

          厄年を乗り越えろ 京都厄払いの旅 祇園 八坂神社 末社 美容の神を祀る 美御前社

          京都 祇園 八坂神社。 平安京遷都以前とも伝わる古来より疫病除けの神様として、京都の人々に信仰されている。 畏敬の念、親しみを込め「祇園さん」とも呼ばれる。 日本三大祭とされる祇園祭もこちらの祭礼であり、かつて疫病が流行った時に、それを鎮める、取り除くために祈念したことに由来するとのこと。 京都祇園といえば、京都屈指の観光スポットとしても知られるが、この祇園という地名の由来ともなったのがこちらの神社。 古代インドにあった僧院、「祇樹給孤独園」称して「祇園精舎」では牛頭天王が守

          厄年を乗り越えろ 京都厄払いの旅 祇園 八坂神社 末社 美容の神を祀る 美御前社

          【随筆】万感交到る

          ばんかん【万感】交(こもごも)到(いた)る さまざまの感慨がつぎつぎに胸中に起こるさま。 ブラウン管テレビの湾曲した画面に映し出された彼女はとても美しく、二年前まで隣にいた女性だとは思えないほどに大人びた表情を見せていた。 画質は荒いが間違いなく彼女だ。 妖艶な、湿度を帯びた艶。それでいて幼さの残る美しい瞳。 友人と並び、三人でテレビに齧り付く。 異常な興奮を覚えた。 私は小学校四年生時にあの駅も無い田舎町に引っ越した。 全校生徒300人にも満たないこの地の小さな小学校に

          【随筆】万感交到る

          厄年を乗り越えろ 京都厄払いの旅 元伊勢 籠神社 奥宮 眞名井神社

          前回の元伊勢 籠神社に引き続き、奥宮 眞名井神社へ。 神代とも呼ばれる遥か昔からこの地に鎮座する神社。 旧宮号は匏宮。 匏宮の匏とは、匏と読み、ひょうたんを意味し、このひょうたんに眞名井の御神水を入れて神祭りを執り行っていたと伝わる。 匏の褒め言葉を天のよさづらと言い、そのよさの字を冠し宮号が起きたとのこと。 また、同音の吉佐宮とも書く。 こちらの手水舎の脇には御神水が湧く場所があり、多くの地元の方が列を作っていた。 手水もこの御神水から引かれているのだが、この手水からも

          厄年を乗り越えろ 京都厄払いの旅 元伊勢 籠神社 奥宮 眞名井神社

          厄年を乗り越えろ 京都厄払いの旅 お伊勢さまのふるさと 元伊勢 籠神社

          伊勢へ詣らば 元伊勢詣れ 元伊勢 お伊勢の故郷じゃ 伊勢の神風 海山越えて 天の橋立吹き渡る こちらの神社が鎮座する宮津に伝わる民謡だそうだ。 ご祭神 主神 天火明命 亦名 天照御魂神、天照国照彦火明命。 また、先代旧事本紀では饒速日命と同一神とされているが、こちらで拝受出来る御由緒略記でもそのように記されている。 別名はまだあるが、こちらに伝わる御名としては以上のようだ。 そして驚くことに極秘伝として伝わるに、上賀茂神社の御祭神、賀茂別雷大神と、その御祖である下鴨神社の

          厄年を乗り越えろ 京都厄払いの旅 お伊勢さまのふるさと 元伊勢 籠神社

          厄年を乗り越えろ 京都厄払いの旅 お千度参りで開運 九頭竜大社

          九頭竜大社知る人ぞ知る・・・と言うにはあまりにも有名な御社が京都の八瀬にある。 誰もが知るような企業の創業者の方も年参りどころか、月参りで訪れるとのことだ。 こちらの神社はお千度と呼ばれる参拝方法が有名で、数多く開運の喜びの言葉を目にする。 私が訪れた時にも多くの方がお千度参りをされていた。 まずは拝殿にて参拝。 お千度以前に、参拝の作法もこちらは他には無いものだ。 拍手や礼の回数も、所謂二礼二拍一礼ではない。 そして御真言を唱え、自身の祈願をさせていただく。 作法や御

          厄年を乗り越えろ 京都厄払いの旅 お千度参りで開運 九頭竜大社